『発心集』(角川ソフィア文庫、2014年)は上下二巻からなり、一〇六の仏教説話が集められている。成立年は正確にはわからず、一二一二年成立とほぼ確定されている『方丈記』の前なのか後なのかもわからない。長明の没年は一二一六年、ほぼ六十二歳で亡くなったと推定され、『発心集』『無名抄』ともに長明晩年の作品だとは言うことができるようである。
『発心集』には、「武蔵国入間河沈水の事」と題された水害の話が一つ収められている(第四-九)。入間川の氾濫による大洪水の話である。その描写は、長明自身がこの眼で見たかと思われるほどに迫真性に富んでいる。浅見氏は解説で、長明が建暦元年(一二一一)に鎌倉に下向したとき、川越まで足を延ばし、そこで洪水の被災者たちから生々しい話を聞いた可能性を示唆しているが、これは史料的根拠のない推定に過ぎない。
仮に被災者たちから話を聞く機会があったとしても、それだけで水害についてあれほど現場性のある叙述ができたわけではないだろう。浅見氏が言うように、『方丈記』で見せた災害描写の筆の冴えは『発心集』でも発揮されている。
堤防が決壊し、瞬く間に洪水が川沿いの村に広がり、官首(かんじゅ)という男の家が家族もろとも河口の方に流されていく場面を引こう。
ある時、五月雨日ごろになりて、水いかめしう出でたりけり。されど、いまだ年ごろの堤の切れたることなければ、「さりとも」と驚かず、かかるほどに、雨、沃(い)こぼす如く降りて、おびただしかりける夜中ばかり、にはかに雷の如く、世に恐ろしく鳴り響(どよ)む声あり。この官首と家に寝たる者ども、みな驚きあやしみて、「こは何ものの声ぞ」と恐れあへり。
官首、郎等をよびて、「堤の切れぬると覚ゆるぞ。出でて見よ」といふ。すなはち、ひき開けて見るに、二、三町ばかり白みわたりて、海の面と異らず。「こは、いかがせん」といふほどこそあれ、水ただ増りに増りて、天井までつきぬ。官首が妻子をはじめて、あるかぎり、天井に登りて、桁梁に取り付きて叫ぶ。この中に、官首と郎等とは葺板をかき上げて棟に登り居て、いかさまにせんと思ひ廻らすほどに、この家ゆるゆると揺ぎて、つひに柱の根抜けぬ。つつみながら浮きて、湊の方へ流れて行く。
全文は文庫本で数頁(私が所有しているのは電子書籍版なので正確に言うことができない)。ご興味をもたれた方は是非原文をお読みください。