内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「神秘主義」という閉ざされた戸の前に立ち続ける

2023-02-16 23:59:59 | 読游摘録

 もういつのことか正確には思い出せないが、ドイツ神秘主義に関心を持つようになったのは、西田幾多郎の著作を真剣に読み始めてまもなくのことであったから、もう四十年近く前のことである。特にマイスター・エックハルトには強く惹かれ、当時発売されたばかりの相原信作訳『神の慰めの書』(講談社学術文庫)は以来繰り返し読み、今も手元にある。
 ちなみに、この「ドイツ神秘主義」という呼称は、日本ではいまでも広く使われているようだが(例えば、世界大百科事典には項目として採用されており、その項目の執筆者は上田閑照である)、これに相当するフランス語 La mystique allemande は、ナチスによってドイツ的精神の精華として喧伝されたこともあり、今日ではもはや使われることが少なく、La mystique rhénane(ライン河流域神秘主義)という呼称に取って代わられている。
 この神秘主義への強い関心は以来保たれてきたばかりでなく、それに関連する蔵書の数は増え続け、ちゃんと数えたわけではないが、今では百冊は下らないと思う。しかし、その間、理解が徐々にでも深まったかと問われれば、口籠らざるを得ない。
 その理由は、オイゲン・ヘリゲルが『弓と禅』のはじめの方で述べていることと重なる。自分をヘリゲルに引き較べようなどという度外れな不遜さからではなく、ヘリゲル以上に的確には言えないから、同書(魚住孝至/訳・解説、角川ソフィア文庫、2015年)から当該箇所を少し長くなるが引用する。

私は学生時代からすでに、不思議な衝動に駆られて、神秘主義を熱心に研究していた。そのような関心がほとんどない時代の風潮にもかかわらずに。しかし、いろいろ努力を尽くしても、私は神秘主義の文献を外から取り組むよりほかなく、神秘主義の原現象と呼ばれていることの周りを回っているだけであることを意識し、あたかも秘密を包んでいる周りの高い壁を越えて入ることができないということを、次第に悟るようになった。神秘主義についての膨大な文献においてすら、私が追求しているものを見出せず、次第に失望して、落胆して、真に離脱した者のみが、「離脱」ということが何を意味するかを理解できるのであり、自己自身から完全に解かれて、無になって抜け出た者のみが、「神以上の神」と一つになる準備ができるようになれるのだろうという洞察に達したのであった。それゆえ、私は、自らが経験すること、苦しみを味わい尽くすこと以外には、神秘主義に至る途はないこと、この前提が欠けている場合には、神秘主義についてのあらゆる言明は、単なる言葉のあげつらいに過ぎないということを悟ったのである。[中略]神秘主義的な経験は、人間がどんなに思い願っても、こちらへもたらされ得ないということではないのか。いかにして、それに手掛かりをつけようか。私は自らが閉ざされた戸の前に立っていることに気づいたが、繰り返し戸を揺さぶることをやめることもできなかった。しかし憧れは残っていた。うんざりはしていたが、この憧れに対する強い思いはあったのである。(72‐74頁)

 ヘリゲルの言葉を借りることが許されるならば、私もまた「閉ざされた戸の前に立っている」のだが、諦めてそこから立ち去ることもできずに愚図愚図しているうちに四十年近くが経ってしまった。
 しかし、そんな私にも「導師」とも呼べるような書物との出会いはこれまでに何度かあった。そのおかげで、その内側がまったく見えない高い戸と壁に囲まれた神秘主義に向き合い続けている。