内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

第一次大戦前のフランスのある「おてんば娘」の夢見るように幸福な夏のヴァカンスの想い出

2023-02-18 23:59:59 | 読游摘録

 昨日の記事で言及した Marie-Madeleine Davy (1903-1998) のことを彼女のベルジャーエフ評伝 Nicolas Berdiaev ou la Révolution de l’Esprit を読むまではまったく知らなかった。日本語にはシモーヌ・ヴェイユ論が一冊訳されている。ダヴィはヴェイユとほぼ同世代であり、ヴェイユに数回会ってもいる。
 ダヴィは、中世神秘主義を専門とする神学研究者として出発しているが、二十世紀をほぼ覆うその長い人生の中で、広い意味での宗教的体験、特に個人の内的世界の探索者として、そしてその探索を通じての自然とコスモスとの合一へと向かう思索者として、二十世紀フランス思想史において揺るぎない独自の位置を占めるようになる。彼女は研究者という枠に収まらない。作家でもあり詩人でもある。東洋思想にも強い関心を持ち、正確にいつかはわからないが、おそらく1970年代に日本を旅行している。
 ベルジャーエフの評伝を読んでいて、その文章にとても惹かれた。おこがましい言い方だが、何か親和性を感じたのだ。先週彼女の本を六冊一度に注文し、それらを机の上に積み上げて、あちこち拾い読みしている。読めば読むほど惹きつけられる。その中で今夢中になろうとしている一冊がある。こんなことは久しくなかった。
 それは彼女の自伝 Traversée en solitaire, Albin Michel, 2004 (1re édition, 1989) である。今、彼女の少女時代の想い出を語る最初の章を大きな喜びとともに読んでいる。これほど生き生きと魅力的に自分の少女時代のことを語っている文章を私は他に知らない。ところどこに雅語や今ではあまり用いられない文章語が使われている以外は実に平易な文章で、初級フランス語を終えていれば、辞書を片手に一人で読めるだろう。
 第一次大戦前のフランスの良家の「おてんば娘 garçon manqué」が祖母の広壮な館と川に挟まれた広大な敷地の中で過ごした夏のヴァカンスの夢見るように幸福な想い出の数々は、それを読んでいるこちらまで幸福な気持ちにしてくれる。引用したくなる箇所がいくつもある。というか、四十頁ほどの少女時代の章を全部引用したいくらいだ。
 彼女が祖母の家に到着した直後の様子を語っている一段落だけ引用する。

À l’arrivée, après les effusions d’usage, je partais aussitôt dans le jardin. Il me semblait immense. J’allais saluer les arbres, j’embrassais les troncs les plus gros, frottant mes joues contre les écorces. Craignant d’attrister les arbres minces, je tentais de les enlacer. Ensuite, je m’étendais successivement sous les trois tonnelles. M’attardant devant les massifs de fleurs, je posais mes lèvres sur des roses épanouies, sans me rendre compte que ma tendresse les effeuillait. Ramassant les pétales tombés, je les mettais dans ma bouche, les mâchais avant de les avaler. Puis j’allais voir la rivière en guettant les poissons. Je croyais que ma présence provoquait leurs sauts. N’étaient-ils pas des amis heureux de me rencontrer ? Je courais dans la noue où paissait une mule qu’on nommait Fraya. Venant au-devant de moi, elle me laissait passer ma main sur ses naseaux de velours. (p. 18)

 かくしてマリー=マドレーヌ・ダヴィという稀有な女性の生涯と著作に、大変遅まきながらとはいえ、邂逅できたことは私にとって小さくはない幸いの一つである。