内的自己対話-川の畔のささめごと

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鴨長明『無名抄』― 興趣尽きない和歌随筆

2023-02-14 08:29:16 | 読游摘録

 現代では、鴨長明は『方丈記』の作者として著名であるが、本人が生きていた時代には、歌人としてよく知られ、管絃にも巧みな当代一流の文化人の一人であった。その長明が書き遺した歌学書・歌論書が『無名抄』である。昨日の記事でも言及したが、執筆時期に関しては、『方丈記』『発心集』との前後関係は不明である。
 角川ソフィア文庫版の久保田淳氏の解説によると、『無名抄』はそれ以前に現れた歌学書・歌論書とは大層趣を異にする作品である。論としての一貫した構想らしいものはなく、「ところどころ連想の糸でつながりながら、硬質な歌論的部分と肩のこらない随想的乃至説話的部分とがないまぜなっている作品」であり、「歌論書というよりむしろ和歌随筆または歌話とでも呼ぶほうがふさわしいとすら思われる」と久保田氏は評している。
 たとえば、「会の歌に姿分かつこと」では、自らの歌人としての誉れをなつかしく回想し、それに続く「寂蓮・顕昭両人のこと」では両者の人柄を自らの経験に照らして比較・評価した後、「そもそも、人の徳を讃めむとするほどに、わがため面目ありし度のことながながと書き続けて侍る、をかしく。されど、この文の得分に、自賛少々混ぜてもいかがはべらむ」(「さて、人の徳を讃めようとして、自身のために名誉であった時のことを長々と書き続けましたのは、おかしなことで。けれども、この文章の役得として、自讃を少々混ぜても、どうでしょう。大目に見ていただけるのではないでしょうか」久保田淳訳)と、ちょっと茶目っ気混じりに自己弁護したかと思うと、それに続く段では、和泉式部と赤染衛門の歌人としての優劣の評価の時代による揺れの理由を式部の名歌二首を例にとりつつ見極めながら、秀歌とは何かという大問題について犀利な論を展開する。
 自身の歌人としての経験と才能と見識に裏打ちされた、まさに随筆と呼ぶのがふさわしい興趣溢れる作品である。