内的自己対話-川の畔のささめごと

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三木清『パスカルにおける人間の研究』を読む(十六)―「物質と無のあいだの真空」と「無とすべての中間」との構造的相似性

2023-11-02 21:51:49 | 哲学

 パスカルが milieu という言葉に重要な意味を込めて使っている最初の例は、真空の存否について論争したカトリックの神学者 Etienne Noël 宛の1647年10月29日付の書簡においてである。

D’où l’on peut voir qu’il y a autant de différence entre le néant et l’espace vide, que de l’espace vide au corps matériel, et qu’ainsi l’espace vide tient le milieu entre la matière et le néant.
                                                               Œuvres complètes, II, Desclée de Brouwer, 1970, p. 526.

 パスカルが24歳のときに真空の規定として用いた milieuと『パンセ』の断章(S230、L199、B72)における milieu entre rien et tout との間に直接的な関係があるわけではない。前者は無と物体との milieu としての真空のことであり、後者は無とすべてとの milieu としての中間のことである。まさにそうであるからこそ、両者の構造的相似性はパスカルの思考の特徴をよく示している。
 デカルトを顕著な例外として、古代ギリシアからパスカルの時代まで、西洋の哲学的思考がその俎上に乗せることができなかった中間的な実在の次元を、パスカルは milieu という一語によって端的に切り開いてみせた。
 後に『パスカルにおける人間の研究』にその第一論文「人間の分析」として収録されることになる「パスカルと生の存在論的解釈」を書いた弱冠二十八歳の三木清は、パスカルにおける人間の研究にとっての milieu という存在論的次元の決定的重要性を的確に捉えていた。