内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

カラダ日記 ― 自己観察としてのジョギング

2023-11-07 23:59:59 | 雑感

 特に運動を日常的にしていなくても、日毎の体調の変化に敏感な方もいらっしゃると思う。私は、毎日の運動のおかげで敏感になった。
 パリに住んでいたときに始めたプール通いは、ストラスブールに赴任してからも継続し、一昨年まで十一年余り続けた。その間に気づいたことは、日毎に体調は微妙に変化するということだった。体が前日より重く感じられたり、その逆であったり、水によく乗れる日もあれば、なぜか乗れないままに終わってしまう日もある。水泳をしていなければ、こうした日々の微妙な変化には気づくことはなかっただろう。
 ジョギングを始めて二年数ヶ月になる。ほぼ毎日走っているので、やはり日毎の体調の微妙な変化がよくわかる。
 今年の二月半ばのある日、走り始めてすぐ、急に呼吸が苦しくなり、走れなくなった。それまでにないことだった。歩いている分には苦しくない。それでまた走り出す。だがすぐにまた苦しくなる。その日はその繰り返しだった。
 翌日、まったくなんともない。以前のように走れた。しかし、数日後、やはり走り出してすぐに苦しくなる。歩きながら苦しさが治まるのを待つ。そしてまた走り出す。
 以後、そんな日が月に何回かあり、それは季節にもよらず、天候とも関係なく、やってくる。原因はわからない。走っているときの姿勢や呼吸の仕方をいろいろ変えてみたが、問題は解消しなかった。苦しくなるのは走っている間だけのことで、日常生活にはまったく支障はなかった。ただ、気にはなった。
 九月に、ネットでスロージョギングを勧める記事を読んだ。それがとても興味深く、かつ説得力があったので、その記事が勧める走り方を翌日から早速取り入れた。
 簡単に言うと、歩幅を小さく取り、一分間に160~180歩くらいのピッチで走る。記事では、運動経験のない人は歩幅30センチから始め、無理せずに、少しずつ歩幅を広げていくことを勧めていた。このような走り方は、それ自体がウォーミングアップになっているので、走り始める前に準備運動をする必要もないという。
 この走り方を取り入れてから、呼吸が苦しくなることがなくなった。長い距離を走ることがまったく苦にならなくなった。もちろん、速くは走れない。そういう目標は立てていないから、それでかまわない。一定の距離をより速くとか、一定の時間でより多くの距離を走るとか、とにかくスピードアップは目指していない。ゆっくりでいいからできるだけ長い時間走れる体を維持できればよい。
 先週土曜日、24キロ休まずに走った。二時間半かかった。走り始めたときは10~12キロくらいのつもりだったが、10キロ過ぎたあたりから、何かとても体が軽く感じられ、これはまだまだ行けそうだと、走り続けたら、結果24キロに達した。これは今年の最長記録(個人最長記録は昨年の27キロ)。さすがに最後の1キロは右足裏に痛みが走るようになって、もうこのあたりで止めようと思って止めた。
 翌日日曜日、足全体にだるさが残っている。まあ当然だろう。でも、不思議なことに、走り出すと、そのだるさを感じなくなる。ただ、調子に乗ってはいけないと、10キロで止めた。昨日月曜日、足のだるさはまだ残っているが、痛みはどこにもない。で、やはり10キロ走った。前日以上に不思議だったのは、体が以前にもまして軽く感じられることだった。数値的は、ここ二ヶ月体重はほぼ一定している。体感的に軽いのだ。今日、さらに体が軽く感じられる。12キロ軽快に走れた。
 なぜだが説明はできないが、土曜日に24キロ走ったことで、体の中になんらかの変化が起こったような気がする。一過性かも知れない。しばらく走りながら自己観察を続ける。