内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

現代社会のよりよき理解のために必要な歴史研究

2023-11-13 09:48:48 | 読游摘録

 一昨日と昨日の記事で取り上げた和文仏訳の問題文の内容と親近性のあるテキストを今朝たまたま見つけた。ここに摘録しておきたい。
 その前に、そのテキストに行き当たるまでの経緯を記す。
 三年生の授業で読んでいる前田勉の『江戸の読書会』(平凡社ライブラリー)には、ロジェ・シャルティエからの引用があることには11月10日の記事で言及した。本書には、シャルティエに依拠したシュテファン=ルートヴィヒ・ホフマンの『市民結社と民主主義 1750‐1914』(岩波書店、2009年)からの引用もある。

ロジェ・シャルティエが強調するように、ヨーロッパのどこでも、そうした読書サークルや協会の会員たちは、たとえ身分が違っていたとしても、おたがいに平等であった。彼らは、より文明化されたふるまいの高いレベルに到達しようと、お互いに協力しあうことを望み、国家の枠をこえる新しい社会空間を創り出した。そうした新しい社会空間では、ヨーロッパの啓蒙思想のテキストや理念が流通し、批判的に議論された。 

英語原文は以下の通り。

As Roger Chartier has emphasized, the members of such circles and societies throughout Europe were equals among each other, whatever their position in the corporate order might have been. They wanted to help each other attain a higher level of civilized behavior and created a new, transnational social space in which the texts and ideas of the European Enlightenment could be circulated and critically discussed.
                Stefan-Ludwig Hoffmann, Civil Society. 1750-1914, New York, Palgrave Macmillan, 2006, p. 17.

 前田書がこの引用を行ったのは、同書のもくろみを提示する文脈でのことである。「本書のもくろみは、江戸時代の会読する読書集団のなかから、いかに明治時代の民権結社のような政治的問題を討論する自発的なアソシエーションが生まれていったのか、その過程をたどることによって、ヨーロッパのみならず、東アジアの片隅に位置する島国日本でも、読書会が大きな思想的な役割を果たしたことを示すことにある。」(19‐20頁)
 上掲の引用箇所でホフマンが依拠しているシャルティエの本は、Les origines culturelles de la Révolution française, Éditions du Seuil, 1990 の英訳版である。シャルティエは同書でフランス革命の文化的起源の一つとして自発的な読書サークルを挙げているのだが、ホフマンはそのような身分差を超えたサークル活動が市民社会の形成契機であるとする、より一般化された議論を上掲書のなかで展開する。
 こんな芋づる式検索を授業の準備という名目でしているとき、手元にあるシャルティエの本を何冊か参照していて、本記事の冒頭の段落で言及した一節に出逢った。その一節は、彼の著書のなかではなく、シャルティエがノルベルト・エリアスの『諸個人の社会』(Gesellschaft der Individuen, Suhrkamp Verlag, 1987)の仏訳 La Société des individus, Pocket, 1991 に寄せている序文の最後の段落のなかにある。

L’exigeant détour par l’histoire – une histoire qui, pour lui, n’est pas celle des historiens, trop événementielle – est la condition pour que puisse être élaborée une intelligibilité véritable du monde contemporain. (p. 29)

 同時代の社会学者たちが「現代」にしか関心を示さないことをエリアスが厳しく批判していたことをシャルティエが指摘している文脈でこの一文が出てくる。現代社会を真によく理解するためには、過去の史実を正確に認識することが不可欠であるというこの主張は、昨日の問題文の意図と重なる。