曇時々雨、そんな天気が何週間と続いている。でも、一日中雨が降り続く日は少ない。だから、八月二七日から昨日まで、一日も休むことなく、走った。でも、今日は走らなかった。朝四時すぎに目覚めたとき、すでに雨が降っていた。午前十時からの授業の最終準備をしつつ、雨が上がるのを待った。降り止めば、授業前に走るつもりだった。でも、止まなかった。
雨天故、大学へ出向くのにも路面電車を使った。移動に電車を使うとき、ヘッドホンで音楽を聴く。アップル・ミュージックのカテゴリー別のランダム選曲に任せるので、どんな曲が流れてくるか、わからない。欧州議会場前の駅で電車を待ちながら、鈍色の空から降ってくる氷雨を見上げていると、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」のハープ演奏のヴァージョンが流れてきた。ちょっと胸を突かれた。涙が込み上げてきた。
路面電車の車内から雨に濡れた街の風景を眺めていると、二十七年前に初めてこの街に降り立ったときのことが思い出された。その日は曇りだった。九月十一日のことだった。暗く重い。それが中央駅からタクシーでジャン=リュック・ナンシー先生宅へ向かうタクシーのなかから見上げた街並みに対する第一印象だった。
その年の暮から翌年の二月にかけての真冬はほんとうに寒かった。雲に厚く蔽われた灰色の空の下、アパルトマンからキャンパスまで三十分ほどかけて歩いて通った。午後に気温が急激に氷点下まで下がることがよくあった。外で立ち話しをしていると、耳が痛くなった。大気中に浮遊していた水蒸気が急に凝固して、スターダストのように煌めきながら地表に落ちていく。そんな厳しい冬はもう来なくなった。
ストラスブールは美しい街だ。二十七年前より今の方が美しい。そんな街で暮らせることはそれだけで幸せだ。そう思う。日没迫る夕刻、大学からの帰り道、降りしきる雨の中、欧州議会場前の駅で下車して、自宅までの数百メートルを歩いているとき、喜びと悲しみが相互に浸透し合う不思議な情感に満たされる。
そのとき、万葉集の我が愛唱歌の一つが自ずと思い起こされた。
うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流れあふ見れば (巻一・八二)
この歌の私的鑑賞についてはこの記事を参照されたし。