島薗進氏の『死生観を問う』(朝日選書)で取り上げられている『私の夢まで、会いに来てくれた』(東北学院大学震災の記録プロジェクト・金菱清(ゼミナール)編、朝日新聞出版、2019年)に収録されている、大切な家族を震災で失った被災者の方たちの夢の語りの記録には深く心を動かされた。同書は電子書籍版でも刊行されているので、すぐに購入した。
プロジェクト・リーダーの金菱清氏は、震災直後から学生とともに「震災の記録プロジェクト」に取り組み、その取り組みにおいて、人々の生活現場からの発信を重んじるアプローチをとってきた。そのアプローチは、島薗氏が指摘されているように、「被災者にとっても、学生にとっても、そして研究者や多くの市民にとっても、心に届く新たな力をもった方法」(『死生観を問う』、14頁)の実践であった。その持続と蓄積の上に、被災者の方々の話を聴き、記録する企てが実行され、上掲書『私の夢まで、会いに来てくれた』として結実した。
本書に収録された語りの記録の要になるのが「夢」である。「「夢」を媒介として多くの悲嘆が語られ、そして夢がもたらした癒やしや慰め、また新たな目覚めの体験が語られることになった。死者は生きている。夢を通して、死者は思いがけない恵みや導きをもたらしてくれる。」(島薗上掲書、同頁)
「『私の夢まで、会いに来てくれた』が如実に示しているのは、現代日本では心の痛みを負うふつうの人々にとって、「夢」と「生きている死者」が深い心の痛みを慰め癒やしてくれるような経験領域があるということだ。」(島薗上掲書、14‐15頁)
毎日碌でもない夢ばかり見ている私は、『私の夢まで、会いに来てくれた』の夢語りに表出された痛切な悲嘆、深い慰めと癒やし、夢が与える生きる力の証言を読んで、まさに目が覚める思いであったばかりでなく、何かとても大切なことを教えられたことを感謝とともに実感している。
最愛の妻と娘を震災で失った亀井繁さんの語りのなかの次の一言を私は忘れることはないだろう。
宏美はどこにも行かず、姿は見えないけれど、そばにいてずっと見守ってくれている。そのことをはっきり感じた夢でした。夢なんて誰でも見るでしょ、とか、脳が見せているだけと言う人もいるけれど、私にとっては、単なる夢ではないんです。夢の二人は、魂の姿。だから、夢を見ることは、私にとって生きる力。これからも、宏美と陽愛も一緒に、家族として生き続けることなんです。