内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日本人の死生観を授業で正面から取り上げる ― 島薗進『死生観を問う』を教材として

2023-11-14 18:09:42 | 講義の余白から

 日本人の死生観は、私がかねてから授業で本格的に取り上げたいと思っているテーマの一つである。
 過去二年間にも、三年生の「日本の文明と文化」という授業で取り上げてはきた。ただ、この授業は日本語で行うということもあり、それほど立ち入った話はできず、しかも私が話してばかりだと、学生たちの集中力もすぐに切れてしまうので、日本のテレビドラマや映画を教材として利用し、それはそれで興味を持ってくれた学生たちもいたのだが、日本人の死生観というテーマに真正面から向き合っているとは言い難かった。今年度末で終了する五年間のカリキュラムの枠の中では、他の担当授業でこのテーマを扱うこともできなかった。来年度からの五年間のカリキュラムには「日本思想史」という授業が新たに導入されるので、そこでは何回かこのテーマを扱うことができることを今から楽しみにしている。
 それはそれとして、いろいろ思案した挙げ句、今年度後期は研究休暇で授業を持たないこともあり、この前期の「日本の文明と文化」に残されているあと三回の授業(その後の二回は学生の口頭発表に当てるので、もう授業はできない)で、「日本人の死生観」というテーマを正面から取り上げることを今日決めた。日本語だろうがフランス語だろうが、私がもっとも話したいと思っているテーマを取り上げるのがこの授業の主旨に相応しいと今更ながら考え至ったからである。
 といっても、ただ一方的に話すのでは、学生たちの関心を高めることもできない。それに、そもそも若い彼女・彼らたちが自ずと死生観に関心を持ってくれるとは考えにくい。いや、死について考えることを嫌う学生たちもいる。
 だが、日本への関心が現代日本の社会や文化の表層的な傾向や事象に偏りがちな学生たちに対しては、もう少し腰を据えて、長い歴史的な視野の中で、日本の文明と文化の深層へと問題意識を深めてはくれないかと密かに願ってきた。だから、今回の決断は、私にとって一つのチャレンジなのである。
 しかし、なんの参考文献もなしに話すわけにもいかない。先週の授業では、五来重の『日本人の死生観』(講談社学術文庫、2021年。原本、角川書店、1994年)の一部を紹介した。名著ではあるが、さすがにこれは日本語のレベルが高すぎるし、その民俗学的な考察の解説は容易ではない。
 さて何かよい参考文献はないかと探していたところ、幸いなことに、先月、現代の宗教現象研究の第一人者である島薗進氏の『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』(朝日選書)が刊行された。すでに死生観をめぐる著作を何冊か出版され、「toibito トイ人」というサイトには「日本人の死生観」というタイトルで氏へのインタビューが四回に分けて掲載されてもいる氏が、古代から現代まで文学作品のなかに日本人の死生観を探った本書は、まさに教材として相応しい。
 明日の授業では、まず上記のインタビュー記事から要点を取り出すことを導入とし、補助教材として、上田正昭『死をみつめて生きる 日本人の自然観と死生観』(角川選書、2012年)からの抜粋を読んだ上で、『死生観を問う』の読解へと入る。もっとも、読解といっても、本書のなかから選んだ数節に私が解説を加えていくという形になる。解説は全部日本語で行うから、話が一方的にならないように、学生たちには、話の区切りごとに、いくつか問題を出し、その解答を書いてもらいながら、授業を進めていくつもりである。