内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「めゝしさの価値」― 夏休み日記(10)

2015-08-11 15:26:26 | 読游摘録

 昨日の記事で言及した岩波の日本思想大系『本居宣長』の巻末には、吉川幸次郎の解説「文弱の価値 ―「物のあはれを知る」補考」が収められている。
 その解説の中で、吉川は、宣長の思考の重点の一つである「物のあはれをしる」について二つの私見を述べている。この思考の来源として、「町人の子としての経験が参与していないか」との仮設を立てるのがその一つ。他の一つは、「立て前としては彼の排撃する儒家の思考との連続、ないしは中国の思考との連続、それが認められる」という中国文学の専門家としての考察である。
 吉川にとって重要なのは、「物の哀をしる」説が、「源氏物語」論、歌学論であるばかりでなく、「哲学説としての認識論」であることである。それは「源氏物語」解釈としては、拡張解釈と疑われるまで徹底して展開されていると吉川は見る。そのような大膽な議論を可能にした条件の一つが、宣長が武家ではなく、町人の家に生まれ育ったことではないかと吉川は考えるのである。
 その他にも、町人なるがゆえに宣長が発想し得、主張し得たと見られる思考があると吉川は言う。それは「めゝしさの価値」の賞揚である。漢語で言えば、「文弱」であり、「優柔不断」である。
 宣長は、「この心理こそ、人間の真実であり、またこの心理によってこそ、「物の哀を知る」能力をもつのであり、つまりよき人であり得るとする」。そこに吉川は、「武士の倫理に対する抗議」を読み取る。単なる文学論ではなく、「広汎な人間論」をそこに読み取る。
 「紫文要領」で「源氏物語」の叙述の方法を縷々賞揚した後に、軍記物などには、武士たちの雄々しき戦いぶりや見事な討死などが活写されているが、しかし、人の情のうごきはそこには隠されているとして、宣長は次のように述べている。

其時のまことの心のうちをつくろはず、有のまゝにかくときは、ふる里の父母もこひしかるへし、妻子も今一たひ見まほしく思ふへし、命もすこしはおしかるへし、是みな人情の必まぬかれぬ所なれは、たれとても其情はおこるへし。

 この認識から、歌物語の価値も引き出される。

歌物語は、其善悪正邪賢愚をえらはず、たゞ自然と思ふ所の実の情をこまかにかきあらはして、人の情はかくの如き物ぞといふ事を見せたる物也、それを見て人の実の情をしるを、物の哀をしるといふなり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


青山霊園、神保町、人形町 ― 夏休み日記(9)

2015-08-10 19:01:00 | 雑感

 お墓の名義人が亡くなれば、すみやかにその「承継」手続きを行わなくてはならない。昨年末に母が亡くなり、その母が名義人だったお墓の「承継」手続きを長男として私が行うことになっていた。それを今日ようやく済ませた。海外在住であり、特別なことがないかぎり、年に一回夏休み中しか長く滞在することができないので、この夏まで手続きを待たなければならなかった。今回の滞在中、もっと早目に済ませておきたかったのだが、七月中は集中講義等予定が詰まっており時間的に余裕がなく、八月に入ってからは猛暑のためになかなか出歩く気になれなかった。
 朝からにわか雨に見舞われた今日は、気温もやや下がっている。朝プールでひと泳ぎした後、まず、手続きに必要な私の戸籍謄本と母の戸籍謄本を世田谷区役所まで取得しに向かう。私の謄本だけならもっと実家から近い太子堂の出張所でも取得できるのだが、死亡者の場合は区役所まで行かないと交付してもらえない。二通の謄本を取得してすぐにも青山霊園に向かいたかったのだが、またしてもにわか雨。雨脚がかなり強く、しばらく庁舎内で雨宿り。世田谷線で三軒茶屋まで戻り、半蔵門線表参道駅で銀座線に乗り換え、外苑前駅で下車。駅の階段を上がると、雨もすっかり上がっていて、青空が見える。梅窓院脇の小道を霊園まで下るとき、打ち水をした後のような涼しい風が通りを吹き抜ける。
 霊園での手続きは二十分余りで済み、あとは私名義の新しい登記書が約二ヶ月後に送られてくるのを待つだけ。終わってみれば簡単な手続きだったが、七月にストラスブールの日本領事館で署名証明書と在留証明書を取得したときから起算すれば、ちょうど一月かかったことになり、とにかく一つ懸案事項が片付いて安堵した。
 その足で神保町に移動し、古本屋街を少し見て歩き、日本思想大系『本居宣長』の巻を購入。本巻には『玉勝間』と『うひ山ぶみ』が収められている。編集を担当した佐竹昭広・日野龍夫・吉川幸次郎がそれぞれ解説を書いている。特に吉川幸次郎の「文弱の価値 ―「物のあはれを知る」補考」は読み応えがある。
 神保町からさらに半蔵門線で水天宮前駅まで移動し、かつてこのブログの記事でも取り上げた人形町の刃物専門店「うぶけや」で、長さ十八センチの小ぶりの裁鋏と大型の爪切りを購入。鋏は持つとちょっと重く感じられるが、鋭さを包むに丸みをもってするとでも言えばよかろうか、絶妙の切れ味。ドイツのゾーリンゲンのひたすらシャープな切れ味とは明らかに違う。
 水天宮前から三軒茶屋まで、半蔵門線直通で三十分とかからない。三軒茶屋からは徒歩で帰宅。先週より気温は少し低めでも、湿度は高く、十数分歩いているうちに全身汗まみれ、帰宅して真っ先にシャワーを浴びて、さっぱりする。
 これから飲むビールが美味いこと、これはもう確定的である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


蝉時雨 ― 夏休み日記(8)

2015-08-09 06:46:11 | 雑感

 七月三十一日から八月七日まで八日間続いた猛暑日の間、蝉の声を聞かなかった。七年間地中で過ごし、僅か一週間ばかり地上で鳴いて死んでゆくの常とする蝉たちにもこの炎熱は過酷過ぎたようだ。鳴くこともかなわず、地表にその小さな躯を横たえている蝉を何匹か庭で見かけた。
 昨日からその暑さも東京ではいささか和らいだ。待ちかねていたかのごとく、とたんに蝉たちが鳴き始めた。日曜日の今日は、朝方は気温も二十五度まで下がり、五本木小学校屋内プールまで歩いて行く十分足らず道のりは涼しくさえ感じられた。無謀にも三日間続けて炎天下で泳ぎ、全身の日焼けが急激すぎたので、一昨日からは歩いて行ける屋内プールに通っている。体を直射日光に晒さずに、日焼けの火照りを水で冷やしながら泳いでいる格好だ。
 八日間連続の猛暑日の間は、日中家では窓だけでなくカーテンも閉め、直射日光が差し込まないようにして、冷房を効かせていたから、外の物音はほとんど聞こえなかった。昨日からは、すべての窓という窓を開け放ち、風通しをよくしている。風がレースのカーテンを次々にふくらませては家中を通り抜けていく。日曜日の午後、辺りは鎮まりかえり、蝉時雨がここかしこから聞こえて来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


丸山眞男仏訳プロジェクトについて ― 夏休み日記(7)

2015-08-08 12:25:13 | 雑感

 二年前に丸山眞男の仏訳プロジェクトを自分が所属する研究会で立ち上げた。戦後日本民主主義思想に最も重要な貢献をした思想家の一人がフランスで十分に知られているとはとても言いがたく、その欠を少しでも埋めようと、私がイニシアティブを取ってまず読書会を始めたのだが、その他の仕事の忙しさと転任とが重なり、プロジェクトは頓挫している。
 しかし、幸いなことに、この九月から修士過程の演習で丸山を読むことを、サバティカルで日本からいらっしゃる先生とともに始めることができるようになったので、演習を通じて仏訳も再開させたい。私自身が担当する修士二年の演習では、「超国家主義の論理と心理」を読むことにした。この論文は、敗戦の翌年昭和二十一年三月に執筆され、雑誌『世界』の五月号に掲載された。奇しくも東京裁判開始と時を同じくしてのことであった。
 しかし、このテキストを仏訳するのは容易ではない。丸山自身が『現代政治の思想と行動』追記の中で認めているように、「文章やスタイルがいかにも古めかしく、しかも極度に圧縮して提示しているので、どう見てもあまり分りのいい論文ではない」からである。かつてイナルコの「現代思想」の講義で三年続けて「超国家主義の論理と心理」の中でも特に有名な箇所二つを学部三年生に読ませたが、彼らには構文的にどうにも歯がたたず、その点で「西田幾多郎の文章より難しい」というのが彼らの持った印象であった。
 それはともかく、今年になって岩波文庫の一冊として刊行された『超国家主義の論理と心理 他八篇』で本文正味僅か二十七頁足らずの、戦後日本思想史の劈頭を飾るこの記念碑的論文は、それをどう評価するにせよ、まずは虚心坦懐に精読されるべきであろう。
 かつてイナルコの学部生に読ませた二箇所の本文と私の仏訳を掲げておく。

全国家秩序が絶対的価値体たる天皇を中心として、連鎖的に構成され、上から下への支配の根拠が天皇からの距離に比例する、価値のいわば漸次的希薄化にあるところでは、独裁観念は却って成長し難い。なぜなら本来の独裁観念は自由なる主体意識を前提としているのに、ここでは凡そそうした無規定的な個人というものは上から下まで存在しえないからである。一切の人間乃至社会集団は絶えず一方から規定されつつ他方を規定するという関係に立っている。(岩波文庫版30頁)

Dans un système où l’ordre général de l’État est constitué de manière enchainée à partir du centre occupé par l’empereur, qui incarne la valeur absolue ; [dans un système] où le fondement de la domination hiérarchique est proportionné en fonction de la distance par rapport à l’empereur, et où la valeur est donc pour ainsi dire diluée progressivement, l’idée de dictature se développe plutôt difficilement. Car, alors même que l’idée originelle de la dictature présuppose la conscience du sujet libre, tout individu indéterminé comme celui-ci ne peut exister nulle part dans ce système. Tous les êtres humains ou tous les groupes sociaux s’y trouvent toujours déterminés les uns par rapport aux autres de manière réciproque.

こうした自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。(同32頁)

Étant donné que la conscience du sujet libre est absente, qu’aucun individu n’est doté du contrôle sur ses comportements dans sa propre conscience morale, et que celui-ci est déterminé par un être hiérarchiquement supérieur (donc plus proche de la valeur ultime), apparaît, à la place de l’idée de dictature, le phénomène de ce que l’on pourrait appeler le maintien de l’équilibre psychologique obtenue par la concession de l’oppression. Il s’agit d’un système dont l’équilibre global est soutenu par le transfert graduel et successif de l’oppression venant d’en haut au moyen de la manifestation de l’arbitraire tournée vers le bas.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


平和の礎、映像・証言・文学 ― 夏休み日記(6)

2015-08-07 08:08:00 | 読游摘録

 普段はほとんどテレビを見ないが、昨日は広島の原爆をテーマとした番組を二つ観た。その内の一つで、当時の写真を最新技術によって解像度の高い画像として再生させ、そこから読み取れる情報とその写真に映っている生存者の方たちの証言とから、当時の現場の状況を再現するCGを観た。目が釘付けとなり、息を飲んだ。七十年後にようやく見出され聴き取られた過去の惨劇に言葉を失った。
 原民喜が「原爆被災時のノート」を手帳に書きつけ始めたのは、実家で被災した翌日、つまり七十年前の今日、二晩の野宿の最中でのことである。「我ハ奇跡的ニ無傷ナリシモ コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタエヘヨト天ノ命ナランカ」と書きつけられたその「ノート」は、被爆時から二日後の八幡村への避難までを中心として二週間ほどの期間に作者が目の当たりにした惨劇を記録したもので、「夏の花」の原型をなしている。
 「障子紙を貼るための糊をつい食べてしまうほどの空腹に耐えながら」(講談社文芸文庫スタンダード『原民喜戦後全小説』、2015年、「解説」561頁)、原民喜は、その「ノート」の原稿化につとめた。
 当時現場で書きつけられた原ノートの記述、後に整理された現行の「ノート」の記録、そして文学作品「夏の花」の誕生は、例えば、次のような生成過程を経ている。

【原ノート】
竜ノ彫刻モ
高イ石段カラ割レテ墜チ
石段ワキノ チョロチョロ水ヲ
ニンゲンハ来テノム
炎天ノ溝ヤ樹ノ根ニ
黒クナッタママ死ンデイル
死骸ニトリマカレ
シンデユク ハヤサ
鳥居ノ下デ 火ノツイタヨウニ
ナキワメク真紅ナ女

現行「ノート」
東照宮ノ棕櫚ノ彫刻モ石段ノ下ニ落チ燈籠ノ石モ倒レルアリ 隣ノ男 食ヤ水ヲ求ム 夕グレトナレバ侘シ 女子商ノ生徒シキリト水ヲ求ム 夜ハ寒々トシテ臥セル地面ハ固シ

「夏の花」
 私達の寝転んでいる場所からニ米あまりの地点に、葉のあまりない桜の木があったが、その下に女学生が二人ごろりと横わっていた。どちらも、顔を黒焦げにしていて、痩せた背を炎天に晒し、水を求めては呻いている。この近辺へ芋掘作業に来て遭難した女子商業の学徒であった。そこへまた、燻製の顔をした、モンペ姿の婦人がやって来ると、ハンドバックを下に置きぐったりと膝を伸した。・・・・・・日は既に暮れかかっていた。ここでまた夜を迎えるのかと思うと私は妙に侘しかった。

(集英社文庫『夏の花』藤井淑禎解説「小説化への過程」より。ただし「夏の花」本文は、岩波文庫と講談社文芸文庫のそれに従った。)

 最新の技術が私たちに過去を再発見させてくれるのは喜ばしいことだ。次第に数少なくなっていく生きた証人の方たちの証言を忠実に記録し、後世代に語り継ぐことはもちろん大切なことだ。しかし、類まれな作品の行間を読む想像力もまたなくてはならぬ平和の礎の一つなのだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


亡き母を想う ― 夏休み日記(5)

2015-08-06 07:30:06 | 雑感

 生前母はほぼ毎朝一時間余りのウォーキングを何十年間欠かさなかった。それは死の前月まで続けられた。自宅から世田谷公園まで歩き、公園を一周し、ウォーキングしているうちにいつしか知り合った人たちとラジオ体操をして、また同じ道を歩いて帰って来る。それは炎熱の真夏でも寒風が肌を刺す真冬でも続けられた。ウォーキングから帰ってくると、玄関まわりの掃き掃除をする。それからシャワーを浴び、簡単な朝食を取る。これら一連の習慣がその日の始まりだった。
 その息子は、先月半ばから、ここ七年間毎夏恒例の一時帰国中で、いつものように「実家」に滞在している。昨年までと違うのは、その母は昨年末に他界し、遺影が飾られた寝室で母が使っていた寝心地の良いベッドでその息子が寝ていることである。帰国直後の数日間はまだ遺骨があった。それも先月二十一日、四十年前に亡くなった夫の遺骨の傍らに納骨された。その日も暑い一日だった。
 日毎、一言二言、「今日も滅茶苦茶暑いらしいよ」「庭の水撒き、やっておきましたよ」などと、遺影に話しかける。いや、母に話しかけている。
 最後まで心配と心労をかけ続けた不肖の息子は、周到に準備された最期とともに人生を締め括ったその母親にもはや返すことのできない「負債」を負っている。せめて人生の始末の付け方だけでも少しは見習いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


グリーグ『抒情小曲集』、愛読詩集を紐解くように聴く ― 夏休み日記(4)

2015-08-05 08:41:00 | 私の好きな曲

 先月十六日に帰国してから、連日の猛暑のせいで、もうそれはここ数年毎年同じようなことだから慣れているとはいえ、やはり積極的に外出したいという気にはなれない(水泳だけは例外ですが)。だから、外せない用がないかぎり、一人で居るには大きすぎる静かな実家で、気ままな読書をするか、三十年以上前に購入してからずっと実家に置きっぱなしになっている小さなステレオ装置で涼し気な音楽を聴いている。
 先月7月11日の記事で、グリーグ(1843-1907)の弦楽合奏曲『ホルベアの時代より』を取り上げた。帰国してからまた無性に聴きたくなり、別の演奏をネットで探した。購入したのは、新イタリア合奏団とヘルシンキ・ストリングスの演奏。前者は、南欧の明るい陽光の下で北欧の抒情的風景を音楽にすればこうなるのだろうという歌謡性に満ちた好演。後者は、北欧の澄明な冷気が部屋に流れこんでくるかのような一糸乱れぬ秀演。どちらも買ってよかったと満足。
 グリーグには、『抒情小曲集』という全十巻六十六曲からなるピアノ小品集(詳しくはこちらのピアノ曲事典を参照されたし)があり、その中には小さな色とりどりの宝石のような愛すべき小品が鏤められていて、かつてはエミール・ギレリスの名演で繰り返し聴いていた。
 なぜだか知らぬが、数日前、第一集第一曲「アリエッタ」の、そっと手折らねばすぐに散ってしまいそうな儚げな野辺の花のような旋律が頭の中で鳴った。どうしても聴きたくなった。さっそくギレリスを買い直した。ギレリス以外のピアニストではなかなか聴くことができない、硬質で、透明で、靭やかで、抒情性に欠けるところがない名演。
 せっかくだから別の演奏もと、ネットで検索。購入したのは、イリーナ・メジューエワ。ロシア生まれで一九九七年から日本を拠点に演奏活動を続けている、清楚さがそのまま受肉したかの如きこのピアニストの人柄と曲集の性格が見事に調和した演奏だと思う(正直に申し上げますが、演奏と同じくらい、いや、それ以上かもしれない、ジャケットの美しさにウットリしています)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世田谷区立中学校の夏期プール開放 ― 夏休み日記(3)

2015-08-04 13:28:10 | 雑感

 一昨年昨年と、実家から徒歩で二分もかからない坂下にある区立中学校の夏期プール開放に八月前半の約二週間通うのを楽しみとしていた。その中学校は母校でもある。お世辞にも綺麗なプールとは言えないが、一回二時間220円と安い。午前十時の開場と同時に入れば、一時間ばかりは数人しか利用客がおらず、二階建て校舎の屋上にあるプールで青空の下照りつける太陽の熱を感じながらまだ冷たい水の中で泳ぐのは快適そのものであった。
 ところが、大変残念なことに、今年は開放されていないのである。ネットで調べると、世田谷区の他のいくつかの公立中学校では例年通り開放が行われているから、工事か何かその学校のプールに固有の事情で開放されないのであろう。それらの他の中学校は実家からかなり遠く、バスか電車を利用しないと行けない。
 そこで昨日は比較的近い目黒区民センターの屋内プールにバスに乗って行った。九時の開場を前にして、数人のお年寄りたちが待っていた。彼らは泳ぐというよりも水中ウォーキングが中心なので同じコースになることはなく、最初の十五分ほどは往復コースを独占することができた。その後一人二人同じコースに入ってきたが、皆泳ぎが達者な人たちばかりで、コースが詰まるということはまったくなく、快適に泳げた。屋内プールのすぐ脇に屋外の大プールがあり、こちらは十時開場で、料金は屋内の半額の200円。人気はこちらの方が圧倒的にある。私が屋内プールを出た十時半頃、すでに沢山の親子連れで混雑していた。屋内プールに来る人たちは、水泳や水中ウォーキングを目的として来る少数派なのであろう。
 今日は自由が丘駅から歩いて十分ほどのところにある八幡中学校のプール開放に行って来た。体育館の屋上にあり、地上四階の高さに相当する。母校のプールより綺麗だ。周囲に高い建物がなく、自由が丘の街が見渡せる。最初の十分間ほどは私一人だった。ハイピッチで泳いでは、合間に背泳ぎでゆっくりと空を見上げながら流す。その繰り返しで2キロ泳いだ。水温は最初から高めで、水から上がった後、しばらく汗が止まらなかった。しかし、そのおかげですっかり体がリフレッシュされた感じ。
 これから午睡して、夕方友人に会いに二子玉川まで出かける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


哲学の夏休み、あるいは夏休みの哲学 ― 夏休み日記(2)

2015-08-03 06:00:00 | 哲学

 哲学が日々の exercice spirituel であるとすれば、一年間を通じて、いや一生を通じて、一日も休む理由はない。夏休みのような長期休暇中には、普段はあれこれの差し迫った仕事に追われて細切れになりがちな思索の時間をゆったりと持続的に取ることができるから、それを活かしたいと思う。仕事とどこかで絡んだ哲学の演習がない夏休み中は、夏休みならではの哲学の時間でもあるだろうというのが、今日の記事のタイトルの心である。
 それにしてもこの猛暑である。母が昨年亡くなってから普段は無人の実家に滞在しているが、庭と家の外回りの水遣りは一日一回では足りないほどだし、毎夏帰国する度に母から頼まれていたドライエリアの掃除もしなくてはならない。物置の整理など、この夏の滞在中には、他にもけっこうやることがある。
 しかし、そのような肉体作業は思考の時間を奪うわけではない。むしろ体を機械的にあるいはリズミカルに動かすことが、思考を活性化し、集中力を高めてくれることさえある。だからそういう作業は、そのかぎり、嫌いではない。面倒臭がらずに進んでやればなおのことである(高校・大学時代は、家の仕事を頼まれる度にあれほどいやいや仏頂面をしながらだらだらとやっていたというのに、変われば変わるものである)。
 そして、一汗も二汗もかいた後のビールの味は格別、というおまけも付く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


研究会無事終了 ― 夏休み日記(1)

2015-08-02 10:10:00 | 雑感

 昨日は、酷暑とも言えるような昼日中、それもあってか出席者は十数名と少数だったが、予定通り研究会が開催された。司会の白井さんが一言開会の挨拶をしてくれた後、私ともう一人の発表者の立花史さんがそれぞれほぼ一時間ずつ話し、その後合田さんが二十分ほど私たちに対する質問も含めて話し、再び私と立花さんが合田さんの質問に答え、最後に東洋大の清水さんと国際哲学研究センター長の村上先生からいただいた二三の質問に三人が答えたところで時間も予定時刻を過ぎていたので、終了となった。合田さんからは最後に一つ「宿題」としての質問もいただいた。
 合田さんと立花さん、そして貴重な情報を提供してくれた司会の白井さん、周到できめ細かい準備で支えてくれた助手の三澤さんたちのおかげで、私自身の力量不足で盛り上がりには欠けたが、なんとか形にはなったかなというところ。
 研究会後は、大学近くの居酒屋で、合田さん、立花さん、研究会に出席してくれた立花さんのお知り合いの四名の方(そのうちの一人は東洋大の清水さん)と一緒に五時半頃から十時過ぎまで歓談。いろいろと面白い話・興味深い話を皆さんから聴くことができて、楽しかった。十一時頃帰宅。
 一昨日の大森荘蔵仏訳論文集の打ち合わせ、そして昨日の研究会。これでこの夏の日本滞在中に予定されていたプログラムは終了。今日から十八日の帰国までが「ヴァカンス」。少し頭のネジを緩めたい。