内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「大丈夫な」日本の若者たちよ、君たちはほんとうに大丈夫か ―『K先生の黄昏放言録』(未刊)より」

2019-02-08 16:25:14 | 日本語について

 昨年夏からずっと気になっている日本語の表現が一つある。それは若者たちがよく使う「大丈夫です」という言い方である。それは老人の私には受け入れがたい用法なのだが、若者たちはそれに何の違和感も抱いていない。
 ごく一般的な用例として挙げることができるのは、自分の目の前で転んだ人がいたり、具合悪そうにしゃがみこんだ人がいたとして、その人に対して「大丈夫ですか」と聞き、その人が「ええ、大丈夫です」と答えるような場合だ。この場合、答えの方の「大丈夫」は、「ご心配なく、大したことありません」という意である。この意では、私自身もなんの違和感もなく使うことだろう。
 第二の用例は、コンビニなどで、百円前後の小さな買い物をしようとして、あいにく一万円札しかもっておらず、「あのー、一万円札しか持ってないんですけど」と客が済まなそう聞きいたとき、それに対して店員が「大丈夫ですよ」と答える場合だ。この用法は、すでにあまりにも一般化しているので、今さら目くじらを立ててもしょうがないのだが、私はといえば、客の立場であれば、無礼に感ずる。なぜか。このように「大丈夫」を使う店員が、「本当はちょっと迷惑なんだが、まあ仕方ない、受け入れますよ」というような、客に対して上から目線でものを言っているように感じられてしまうからだ。
 もちろん、今では、この「大丈夫」を使う側にそのようなネガティブは気持ちはまったくないことも多い。つまり、「ええ、どうぞ。なんのお気遣いも要りませんよ」というつもりで、「気持ちよく」受け入れる姿勢を表している場合も多い。だから、私自身はこのような「大丈夫」の使い方は絶対しないが、人が私に対してそのように使うことは観念して受け入れている。
 しかし、次に挙げる第三の用例を最初に聞いたときにはショックだった。それは、映画館で本編の始まる前のコマーシャルフィルムの中でのことだった。数名のキャラクターが画面に登場する。その中の一人にすごい「うざい」奴がいて、自撮りした写真を周りの知り合いに「ねぇねぇ、見てよ、いいでしょ」的な態度で相手から「いいね!」的なリアクションを引き出そうと動き回る。皆、ちょっとうんざりしていて、いい加減な返事を返すのだが、最後の一人がその自撮り写真を見ようともせず、一言きっぱりと「大丈夫です」と言い放ったのである。つまり、彼はケンモホロロに拒否ったわけである。
 こんな用法ありなの? とあっけにとられた。それ以後、日本人の学生たちに日本やフランスで会う機会があると、必ずといっていいほど、「あなたたちはこういう使い方をしますか」と聞くと、異口同音にするという。
 昨日話題にした日仏合同ゼミに参加した法政大学の学生さんたちにも聞いてみた。やはり使うという。しかも、それはむしろ丁寧な断り方だと思っているという。例えば、先生から何かの提案を受けて、それを断る場合、直接的な断り表現を避けるために「大丈夫です」を使うというのだ。「少し考えさせていただけないでしょうか」とか「申し訳ございません。あいにくすでに予定が入っておりまして」とか「お恥ずかしい話ですが、まだ準備ができておりませんので」とか、状況に応じてそれに相応しい断り表現を選ぶかわりに、簡潔この上ない「大丈夫です」の一言で、どんな場合でも「簡単に」丁寧に断ったことになると思っているらしい。
 この第三の「大丈夫です」の用法は、現代の若者たちのどんな心性を表しているのだろうか、と老教師は考え込んだ。さしあたりの答えは以下の通り。
 この「大丈夫です」は、それを向ける相手に対して、「それがなくても自分はまったく困らない」、「それを必要としていない」、さらには「そんなもの排除したい」という意味で発される。自己完結的で、自分の世界から出ようとはせず、場合によっては、それ以上のコミュニケーションを拒否する態度の表明でさえある。
 日本人の学生諸君よ、「大丈夫な」君たちは、ほんとうに大丈夫なのか。この老教師の言っていることは、まったく的外れであり、ボケの兆候でしかないのだろうか。












法政・ストラスブール合同ゼミについてー自分および自文化理解の方法としての異文化理解の実践

2019-02-07 23:59:59 | 哲学

 昨日今日と、法政大学の哲学科の学生十九名とストラスブール大学日本学科修士の学生十三名(+法政大学からの留学生一人)による年に一度の合同ゼミがあった。私はそのストラスブール側の責任者として、法政大側の責任者の安孫子先生とともにプログラムの司会進行役を務めた。この合同ゼミを担当して今年が五回目になる。
 昨日は、午前と午後に分けて、双方の学生たちが前期をかけて準備してきたラフカディオ・ハーンの日本理解と異文化理解の問題を巡ってのプレゼンテーションを交互にすべて日本語で行い、各プレゼン後に、若干の質疑応答を行った。それだけでかなりの時間がかかってしまい、全発表終了後のグループ・ディスカッションのためにはほとんど時間が取れなかったのは大変遺憾であった。
 その主な原因は、ストラスブール側の三つの発表が長かったことにあり、これは半年間指導してきた私のミスであった。それぞれに面白いテーマを選び内容的にも充実していたので、どのグループにもそのまま発表させたのだが、コンパクトに絞り込む最終作業を課すべきであった。これは来年へ向けての反省事項である。
 積極的に評価できる点としては、前回から導入した予備ディスカッションの成果である。月一回のペースで計四回、双方の学生たちにグループごとにインターネットを使って自分たちのテーマについて予め議論することを授業外の課題として課した。この予備ディスカッションのおかげで、合同ゼミ当日の席ではすでにお互いがある程度知り合っているので、自己紹介や挨拶抜きにいきなりプレゼンに入ることができ、しかも相手の発表内容を事前にある程度把握することができているというメリットがある。
 ただ、実際には、テレビ会議をするために十分な接続環境が得られず、接続が安定せず、しばしば話し合いが中断するという技術的問題がどのグループにも毎回のようにあったとの報告を受けている。大学の Wi-Fi 環境が不安定なのがその主な原因で、自宅の有線接続を使って問題を解決できたグループもあったが、双方に十分な環境を恒常的に確保することはできなかった。これは来年に残された技術的課題である。
 合同ゼミ後は、参加者全員で宿泊施設に移動し、そこで夕食、その後最終グループ・ディスカッションを三十分ほど行い、最後は、恒例のお楽しみ懇親会。この席ではアルコールも入り、毎回大いに盛り上がる。前回から導入した予備ディスカッションがここでもその効果を発揮し、日仏の学生同士仲良く話し合ったり、カード・ゲームを楽しんだりしていた。日本学科の学生たちは、普段教室では見せない弾けるような笑顔を見せる。それを見ているのは毎回とても楽しい。
 今日は、午後に日本学科の教員による日本語での講演があった。講演のための事前学習として、法政側の一グループが講演者によって予め与えられていた課題に答えるプレゼンを行い、それに対する応答という形で講演は行われた。ストラスブール側の学生たちも出席しており、テーマが日本語の歴史と特異性についてだったこともあり、もう少し時間があれば、面白い議論になりそうなところで時間切れとなってしまい、これもまた残念であった。
 プログラム相互がよりバランスの取れた有機的連関をもつように全体の流れを組み直す必要があるというのが今回を通じて得られた次回への課題である。












「正しい意見しか言わない奴らは間違っている」―『K先生の黄昏放言録』(未刊)より

2019-02-06 03:42:38 | 雑感

 以下に書くことは、けっして誰か身近な誰かを念頭に置いての素面の攻撃的暴言ではなく、酔にまかせた一般論的与太話であることをあらかじめご承知おきいただければ幸甚に存じます。

 いつも「正しい」意見を仰られたり書かれたりする御仁がいらっしゃるが、正直、気に入らない。北斗の拳のように瞬殺し、「お前はすでに死んでいる」と言ってやりたいくらい、そういう奴らが私は嫌いだ。なぜか。だいたいにおいてそういう輩の言うことは、「確かに、世界中のすべての人があんたと同じように考え、そしてそれにしたがって行動すれば、そりゃあ、良い世の中になるでしょうよ」というような、非寛容で一方的な理屈だからである。
 思想家と称される人たちの中にもこのタイプが少くない。「大」がつくほど嫌いである。というか、そんな奴、思想家の名に値しないだろうが、そもそも。
 「わたくしは有言実行しています。ただ愚かな大衆がそうしないから、世の中うまく運ばないだけです」― この通りの言い方ではないにしても、こういう超越的上から目線で物を言う奴に出くわす、あるいはそういう奴が書いた書物を見ると、思わず「焚書坑儒!」と叫びたくなる(使い方間違っているとか言わないでね、教養ある「正しき」諸氏よ)。
 正しいことばかり言う人とはコミュニケーション不可能である。そういう人と一緒にいると疲れる。それどころか、下手をすると、そういう人は本人がそこに属しているはずのコミュニティを機能不全に陥れかねない。
 とはいえ、そういう人たちを排除すべきだと言いたいのでもない。そのような「和」を第一義とする非寛容な態度は、実のところ排他的正論と同じ穴の狢だからだ。
 酒で憂さを晴らすのは、心身ともに健康に良くない。だから、「マジ、やってられねぇーんえだよ」的なネガティブモードに入りそうになるときは、別の対処法を講じるほうがよいだろうとは思う。とはいえ、これといって妙案があるわけではない。
 何の脈絡もなく、書棚から西田幾多郎の随筆集を取り出す。「暖炉の側から」は、滋味あふれる随筆だ。これまで何度読んだか知れない。

私は近頃モンテーンにおいて自分の心の慰藉を見出すように思う。彼は豊富な人間性を有し、甘いも酸いもよく分かっていて、如何なる心持にも理解と同情を有ってくれそうな人に思える。彼自身の事を書いたという彼の書の中に、私自身のことを書いたのではないかと思われる所が多い。彼の議論の背後に深い、大きな原理として摑むべきものがあるのではない。また彼の論じている事柄は、何人の関心でもあるような平凡なものであるかも知れない。しかし彼は実に具体的な人生そのものを見つめているのである。摑むことのできない原理を摑んでいるのである。(『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、180頁)

 なにがなんでも正しい「原理」を摑んでやろうというガツガツした態度を捨てたときにしか見えてこない真実が如実に書かれているから、それを読むと慰められるのだろう。












「空見た子とか」― 遠い昔の想い出

2019-02-05 23:59:59 | 雑感

 昨日の記事を書いていて、ふと思い出したことがあります。
 遠い、遠~い昔、ラジオの深夜放送をよく聴いていました。その中の一つに、小室等と吉田拓郎がDJで、小室のさももっともらしい講釈に吉田が絡むみたいな形で進行する趣向の番組があってですね、あるとき、「そらみたことか」の話になって、小室等が、この言い回しは「空見た子とか」から来ているんじゃないかって言い出したことがあったんです。吉田拓郎は、また小室さん一流の牽強付会だなぁ~って感じで、まともにとりあっていなかったと記憶しているんですが、私はといえば、吉田に同意しつつ、すごく小室説が印象に残ったんですね。その小室の講釈はすっかり忘れてしまいましたけれど。
 普通の意味では、「そらみたことか」は、「ほ~ら、言わんこっちゃない」的な、それこそ「自業自得」的な、相手の軽率さや頑なさを嗜めるときに使う表現ですよね。だから、「空見た子とか」とは何の関係もあるわけがない。
 この放送の後の出版のはずなのですが、野田秀樹の処女長編小説(?)と言われている作品のタイトルが『空、見た子とか』(1984年)なのですね。読んだことありませんし、中味もまったく知りませんし、これを機会に読んでみようとも思いませんが、偶然の一致なのですかね。
 それはともかく、「自業自得」的な人生を送っているわたくしとしては、「空見た子とか」という、だから何なの?的な表現に、よくわかりませんが、救いを感じます。
 まったく勝手な空想ですが、「空見た子」は、空の魅力に取り憑かれてしまい、何かと言えば空を見上げて夢想に耽りやすく、現実生活では不注意でヘマばかりしているような、でもどこか憎めないというか、そんな感じの子なんじゃないでしょうか。
 それに「とか」が付加されることで、「例えばそんな感じだね、君は」と言われていると思うほうが、「ざまーみろ」的な冷たい「自業自得」よりも、自己努力・自己決定・自己責任を意味する福沢諭吉的な積極的かつ建設的な「自業自得」よりも、追い詰められずにすみます。少しですが、希望も持てます。
 空を見上げて、今日も一日生きてみようか、と。












我が人生、「自業自得」の一語に尽きる ―『K先生の黄昏放言録』(未刊)より

2019-02-04 23:59:59 | 雑感

 「あなたの人生の体たらくにもっともよくあてはまる四字熟語を一つ挙げよ」と問われたならば、瞬時も迷わずに、「自業自得」と私は答えるであろう。
 我が人生を要約するのに、これ以上適切な四字熟語があろうか。つくづくそう思う。それにしても実にイヤな言葉である。が、納得せざるを得ない。そう形容すべき日々を、飽きもせずに延々と、ほとんど生まれてこの方、過ごしてきた。なんとかならないか。なるかよ、今更。この年になって、変れるわけなかろうが。
 辞書 ・事典類には、この熟語についてどのような説明が載っているのだろうか。ちょっと見ておこう。『ブリタニカ国際大百科事典小項目事典』では、次のように説明されている。

仏教用語。みずから行なった善悪の行為によって,本人自身がその報いを受けること。よい行為によってよい結果がその本人に生じ,悪い行為によって悪い結果がその本人に生じること。転じて,自分のしでかしたことだから悪い報いを得てもやむをえないということ。

 そうか、仏教用語としては、悪い意味でばかり使われるわけではないんだ。でも、一般的用法としては、「そらみたことか」と言うときのように、悪い行いが悪い結果を生んだ場合に、あたかもそこに因果関係があるかのごとくに使用される。私もこの意味で使っている。
 福沢諭吉の『学問のすすめ』に一度だけこの熟語が出てくる。「十三篇 怨望の人間に害あるを論ず」の中である。「怨望に易るに活動を以てし、嫉妬の念を絶て相競ふの勇気を励まし、禍福毀誉悉く皆自力を以て之を取り、満天下の人をして自業自得ならしめん」というところである。この用法は、しかし、仏教的な用法とも一般的用法とも違う。
 渡辺浩は、『日本政治思想史』(東京大学出版会、2010年)で『学問のすすめ』のこの箇所での福沢の意図を次のように説明している。

「自業自得」といえば、聞こえは悪い。しかし言い換えれば、自己決定・自己努力・自己責任である。「独立の精神」を持つ主体が交際しつつ堂々と競い、その結果を受け入れる。勝って驕らず、負けて怨まず、毅然として生きていこう、というのである。(438頁)

 妥当な解釈なのであろう。それにしてもよくもまあ私が「親の敵」のごとく嫌悪する言葉 ― 自己決定・自己努力・自己責任 ― を三連発で並べてくれたものである。この箇所を読みながらそう嘆息せざるをえなかった(なんでもかんでも「ジコ」なのね。それがセーヨー的キンダイ性ってこと?)。
 昨年刊行された『学問のすすめ』の仏訳 L’Appel à l’étude (traduit par Christian Galan, Les Belles Lettres) では、この箇所は次のように訳されている。

[elles veulent] remplacer l’envie par le désir d’entreprendre, éradiquer la jalousie et encourager l’esprit de compétition, et faire en sorte que le succès comme l’échec, les honneurs comme la mauvaise réputation ne soient plus que le résultat du seul talent des citoyens du pays et que ceux-ci puissent, tous, récolter ce qu’ils ont semé.

 「自業自得」という本来仏教的な概念は、「自分で蒔いた種を自分で刈り取る」というキリスト教的発想に置き換えられている。この表現も必ずしも悪い意味でだけで使われるわけではないから、まあ適訳と言うべきなのであろう。
 要するに、福沢諭吉的な意味で「自業自得」を引き受けることができないゆえに、私の人生は、仏教的な意味においてではなく、ましてやキリスト教的換喩においてでもなく、ごく一般的な意味において、「自業自得」なのである。













ひとりの人間として認めること ― 堀川惠子『教誨師』を読み終えて

2019-02-03 18:33:14 | 読游摘録

 本書は、半世紀以上にも渡って死刑囚の教誨師を続けた僧侶渡邉普相(一九三一-二〇一二)の生涯を本人へのインタビューを中心に辿り直したノンフィクション作品である。昨年末から堀川惠子の死刑制度に関する一連の作品を読み始めてこれが四冊目になる。初版単行本は二〇一四年刊行。手元にあるのは、昨年刊行された講談社文庫版。一週間かけて今日読了。
 死刑が確定すると、死刑囚は面会や手紙など外部とのやりとりを厳しく制限され、死刑が執行されるまでの日々のほとんどを拘置所の独房でひとり過ごす。教誨師は、そんな死刑囚たちと唯一、自由に面会することを許された民間人である。間近に処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場にも立ち会う。一銭の報酬も支払われないボランティア。
 渡邉ほど長い間教誨師を務めたものは過去にいない。おそらく今後も現れないだろうと堀川は言う。理由は、その任務の過酷さである。身体よりも心がもたなくなる者が多いという。そんな務めをなぜ半世紀も続けているのか、いや続けることができたのか。堀川は渡邉に本音を聴いてみたいと思う。
 しかし、単に法務省が課す守秘義務という理由からではなく、渡邉は彼女の問いかけに容易に答えようとはしなかった。一年目は、渡邉が住職を務めるお寺で出された茶を飲んでは帰ることの繰り返し。
 一年経って、ある話題がきっかけになり、ようやく渡邉は死刑囚との日々について口を開くようになる。聴き取りは二年に渡る。始めて一年ほどして、主要な話の一部は、本人の許可を得た上で録音もした。渡邉が付けていた「教誨日誌」も貴重な資料となる。
 その話の全貌はとてもここに一言では要約できない。ただ、一つだけ、とても印象に残ったエピソードを記しておきたい。
 死刑囚の教誨師という過酷な務めを無報酬で半世紀も続けた僧侶であるから、さぞや特別な人格者であったのだろうかと読む前は漠然と想像していた。しかし、渡邉自身が深い苦悩を抱えてそれと向き合って生きてきた一人の弱き人間であった。本書には理由ははっきりと示されてはいないのだが、二〇〇〇年を過ぎてから、渡邉は朝から浴びるように酒を飲むようになり、ついにはアルコール依存症の治療のために入院することになる。
 そして、入院先の病院から東京拘置所に教誨師として通い続ける。最初の頃は、入院していることは死刑囚たちには隠していた。「教誨師が“アル中”ではきまりが悪い」と思ったからだ。しかし、苦しい断酒との戦いで体調や気分にも波があり、面接に行けないこともあった。面接を休むなど、それ以前には何十年もなかったことである。
 休む度、嘘の理由を考えなくてはならなくなった。しかし、嘘に嘘を重ねていることが虚しくなる。「もう楽になりたい」と、渡邉はとうとう死刑囚たちに、こう打ち明ける。
 「実はわっし、今、“アル中”で病院に入っとるんじゃ。酒がやめられんでね。たびたび面接も休んでしもうて、申し訳ないことですな」
 すると、アルコール依存症どころか、覚醒剤中毒にも苦しんだ経験を持つ者も多い死刑囚たちの中から、思いもかけぬ反応が返ってきた。
 「先生、あんたもか! それは苦しいだろう、分かるよ。覚醒剤も酒も同じだ。でも、私は独居房ですっかり薬が抜けましたよ。フラッシュバックで大変な時もあったけど、もう平気。まずは体から薬を抜く、それしかない。自分で止めるしかありませんよ」
 こう渡邉は死刑囚たちから指南され、励まされたのである。噂はあっという間に死刑囚たちの間に広まった。それまで面接でろくに口をきこうとしなかった死刑囚の中にも酒や女の話など自分の方から経験を打ち明ける者も出てきた。少し休んで面接に出かけると、「先生、大丈夫だったか」と抱きついてくる者まで現れた。

渡邉が本来は隠したいような弱みをさらけだしたことで、彼らは教誨師という特殊な立場にあった渡邉をひとりの人間として認めたのかもしれなかった。(三二五頁)

 ここまでの一節を読んで、私は深い溜息をついた。それは、安堵というのとは少し違う。この一節の前までは、重く難しい問題をずっと突きつけられっぱなしで、救いのない話の連続に苦しい思いをしながら読んできた後、この一節を読んで、ほんの少しだが、正直、救われる思いがしたのである。もちろん、現実には何も問題は解決していない。だが、人と人とがわかり合える瞬間というのはこのようにして訪れるものなのだなあと深く印象づけられたのである。












「人間は遊んでいるところでだけ真の人間なのです」― シラー、ホイジンガ、カイヨワ、フィンク、そして近松へ

2019-02-02 19:01:22 | 哲学

人間はまったく文字どおり人間であるときだけ遊んでいるので、彼が遊んでいるところでだけ彼は真の人間なのです。

シラー『人間の美的教育について』小栗孝則訳、法政大学出版局, 2003年, p.99.

Der Mensch spielt nur, wo er in voller Bedeutung des Worts Mensch ist, und er ist nur da ganz Mensch, wo er spielt.

Schiller, Briefe über die ästhetische Erziehung des Menschen.

L’homme ne joue que là où dans la pleine acception de ce mot il est homme, et il n’est tout à fait homme que là où il joue.

Schiller, Lettres sur l’éducation esthétique de l’homme, Aubier, 1992, p. 221.

 シラー『人間の美的教育について』のこの一節がホイジンガの『ホモ・ルーデンス』の遊戯論の源泉の一つだと言われているが、ロジェ・カイヨワも『遊びと人間』の中でこの一節を引用している。

 Schiller est assurément un des premiers, sinon le premier, qui ait souligné l’importance exceptionnelle du jeu pour l’histoire de la culture. Dans la quinzième de ses Lettres sur l’éducation esthétique de l’homme, il écrit : « Une fois pour toutes et pour en finir, l’homme ne joue que là où il est homme dans sa pleine signification et il n’est homme complet que là où il joue. »

 この真の或いは十全なる人間は、しかし、独りで生きている孤独な主体でもないし、知覚世界の諸事物とは無縁な自足した精神でもない。他者と繋がり、世界において生かされている存在である。とすれば、人間の種々の遊びは、個々の文化に固有なその表現形式であるにとどまらず、世界と人間社会との関係様式であるだけでもなく、世界の自己表現そのものにほかならない。
 「世界は遊ぶものなき遊びだ」とは、オイゲン・フィンクが『遊び世界の象徴として』(千田義光訳、せりか書房、1985年)の中で主張しているテーゼである。本書の仏語版 Le jeu comme symbole du monde, Les Éditions de Minuit, 1966 の紹介文を引く。

 Retrouvant certaines intuitions centrales d'Héraclite et de Nietzsche, les prolongeant et les systématisant, Eugen Fink tente de relier en un tout différencié jeu cosmique et jeu humain ; il interroge en ce sens magie et mythes, religions et cultes, philosophie et vie. Dépassant la distinction tranchée entre ludique et sérieux, il voit le monde comme un jeu sans joueur et l'homme comme joueur et jouet. Tout jeu est réel-irréel. Le rapport entre l'homme et le monde précède chacun de ses termes.

 遊びは、現実と非現実とのあわいにある真実に触れることを可能にしてくれるのかも知れない。近松門左衛門の虚実皮膜論を思い合わせると、なおのこと「遊びの現象学」は面白みを増す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


読みの卓越性を競い合う遊びとしての会読 ― 荻生徂徠門下の蘐園派の場合

2019-02-01 19:24:37 | 読游摘録

 前田勉の『江戸の読書会』でホイジンガの『ホモ・ルーデンス』より多く言及・援用されているのがロジェ・カイヨワの『遊びと人間』(Roger Caillois, Les jeux et les hommes, Gallimard, 1re édition 1958, édition revue et augmentée 1967)である。本書には二つ邦訳がある。1970年刊行の清水幾太郎・霧生和夫訳岩波書店版と1990年刊行の多田道太郎・塚崎幹夫訳講談社学術文庫版である。前者はもはや古本でしか入手できないが、後者は今でも流通しているようである。前田書が引用しているのは前者である。
 カイヨワは、本書で、遊びの主要項目を四つに区分している。サッカーやチェスやビー玉をして遊ぶアゴーン agôn(競争)、ルーレットや宝くじで遊ぶアレア alea(偶然)、海賊遊びをしたり、ネロやハムレットを真似て遊ぶミミクリー mimicry(模擬)、回転や落下などの急激な運動によって、自分の中に混乱狼狽の有機的状態を作る遊びをするイリンクス ilinx(眩暈)の四つである。
 会読は、アゴーンに相当すると前田は言う。参加者がお互いの読みを競い合う勝負の場だからというわけである。カイヨワによれば、「競争とは、勝者の勝利が正確で文句のない価値を持ち得るような理想的条件の下で競争者たちが争えるように、平等のチャンスが人為的に設定された闘争である。」(« un combat où l'égalité des chances est artificiellement créée pour que les antagonistes s'affrontent dans des conditions idéales, susceptibles de donner une valeur précise et incontestable au triomphe du vainqueur. »)
 徂徠門下の蘐園派の会読は、この意味で、まさにアゴーンであり、太宰春台が作成した「紫芝園規条」は、アゴーンにおける「平等のチャンス」を人為的に設定しようとする試みであった、というのが前田の主張である。仁斎の同志会での会読は、世俗の利害関心から隔絶した異次元の空間を創り出すための儀式をともない、神聖さと競争とは表裏であったのに対して、徂徠門下の会読では、神聖さの面が消え、遊びの本質がよりはっきりしているという。両者の学問の性格の違いが、思想の内容からからではなく、共同読書方法の形式という観点から照らし出されており、大変興味深い指摘である。