内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日曜日も休まず「営業」しています

2020-02-09 23:59:59 | 雑感

 今朝は四時半に起きて仕事を始めた。
 まず来年度の日本学科全科目の評価基準表の作成。来年度から、原則、全国の大学で評価方式が一斉に大きく変わる。その改革の方針は、一言で言えば、学期を通じてより多面的に個々の学生を評価する、ということである。わが日本学科ではすでに数年前からその方向で評価方法を変えてきているので、今回の改革の影響は限定的である。
 ただ一つの大きな変化は、追試が廃止されることである。今年度までは、通常試験で単位を取得できなかった学生は、自動的に追試を受けざるを得ない。来年度からそれが廃止され、別の仕方で学生たちに「二回目のチャンス」を与えるというのが今回の改革の「目玉」の一つである。
 しかし、この点についても、これまでにも実質的にそれぞれの場合に応じて個別的に対応してきたことも多々あり、追試が廃止になったからといって、教育内容に大きな変化はない。学生たちは「二回目のチャンス」の中身がはっきりしないので不安に思っているようだが、これまででも追試の合格率はきわめて低かったのであるから、それより悪い話にはならないとだけは今から言っておいていいだろう。
 評価基準表作成後、昨日一日かけて行った論文の査読の審査結果票への記入事項を再確認し、依頼主である学術雑誌の編集担当者に送信する。なかなかいい論文だった。私自身の問題意識と重なるところも多々あり、大いに刺激も受けた。送信後、いつものプールに泳ぎにいく。
 プールから戻ってきて、明日面談の約束が入っている修士の学生の修論プランを読む。テーマはいいと思うが、まだ方法が明確でなく、論文の構成も、本人自身が報告書で認めているように、バランスが悪い。明日の面談では、プランの批判的検討をした上で、今後の計画を一緒に練ることになる。
 昼食後は、明日の授業の準備。前半がちょっと盛りだくさんすぎだが、後半はかなり自由に伸縮が効くようにしてあるから大丈夫であろう。
 ところで、拙ブログのアクセス数についてよくわからないことがある。一日の閲覧数は平均して1000件前後、訪問数は450から550の間を行ったり来たりですでに数年になると思う。ところが、たまに突発的に閲覧数が3000あるいは4000件に激増することがある。ところが、訪問数はそれに応じて増えるわけではない。せいぜい一割増し程度である。ある特定の記事がものすごく読まれているわけでもない。これはどういうことなのだろう。何人かの方が一気に多数の記事を訪問しているということだけでは説明がつかない。それに閲覧といったって、記事を開いだだけでもカウントされるのだから、何らかの操作、あるいは操作ミスで、たまにこういうことが発生するということなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夢中のアンソロジー企画 ― K先生のガラクタ随筆集『夢中押問答 ― 夢の神様へのウラミツラミ』(企画中)より

2020-02-08 14:20:24 | 雑感

 今日の記事のタイトルは、わざと多義的にしてあります。そのココロを以下に説明させていただきます。
 昨夜、というか、真夜中に、なんかすごーく変な夢を見ました。いや、変、というよりも、「これって、何かのお告げ?」と思わされるような、今まで見たことがない奇妙な夢でした。
 細部はもう忘れてしまいましたけれど、古代から近代までの日本思想の精華のアンソロジーを編纂するという大役をいつのまにか仰せつかっていて、テキストの選択にえらく苦労するあまり、夢の中でうなされているという夢でした(夢の神様がいるならお願いしたい、たまには楽しい夢を送ってください!)。
 まあ、現実にはこんな依頼が私に来ることは百パーセントありえません。ただ、フランス語圏の日本思想関係の若手研究者たちを総動員して近代日本哲学仏訳論文集を編纂するというかなり壮大な企画を練り始めていることは事実です。今月末にその話し合いもパリで始めます。昨年11月、パリ・ナンテール大学での日本哲学シンポジウムの折にこの企画をちらっと切り出したら、若手の生きのいい連中の何人かはすごく乗り気だったのです。彼らのためにもこの企画を実現したいと思ってはいます。
 見た夢は、だから、しっかりこの企画をおやりなさい、というお告げなのだと解釈することにします。
 それはそれでいいとして、この夢には、ぜんぜん嬉しくない「おまけ」が付いていました。アンソロジー編纂で四苦八苦している最中、数時間後に迫っている授業の準備をすっかり忘れていたことにはたと気がついたのです。しかも、それがなぜか英語の講読の授業で、何がテキストだったかも覚えていないのです。焦りまくって、通勤バス(現実には普段バスなど使わないのに)の中で必死に言い訳を考えている途中で目が覚めました。
 恐れながら、夢の神様に申し上げたい。私、あなたに何かしました? どうしてこうも無益に疲れる夢をしつこくお送りつけるのですか。人間、大雑把にいって、人生の三分の一は眠っているわけです。眠りは人生にとってきわめて重要な部分を占めています。にもかかわらず、その部分を人間は自由にコントロールすることができません。そこにつけいって人の人生を弄ぶって、ちっともカミじゃないじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


学生たちの質問に教えられる

2020-02-07 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の正午から午後二時まで、後期最初の「研究入門」の授業を担当した。
 拙ブログで以前に触れたことだが、この授業は学部二年生向けの必修科目で、前後期それぞれ三回行われ、各回学科の専任教員が回り持ちで担当し、自分の研究分野について学生たちにその「イニシエーション」を行うというのが趣旨である。
 学科の専任教員は私を含めて五人いるのだが、そのうち二人が後期授業をサヴァティカル等の理由で外れているので、残りの三人で六回埋めなくてはならない。しかし、それではヴァライティに欠けるということもあり、前期の一回を美術史が専門の契約講師にお願いした。
 後期担当三人の専門分野は、それぞれ思想史、社会言語学、歴史社会学である。研究入門とはいっても相手は学部二年生であるから、高度に専門的な話や込み入った議論はできない。とはいえ、思想史となると、どうしても概念的な話になりがちだ。それはある程度は仕方ないと思うが、学生たちの今後の勉強に少しでも役に立つような話を心掛けたつもりではある。
 しかし、今日の授業はあまりうまくいかなかった。内容を詰め込み過ぎで、準備した分の半分も話せなかった。後期は、同じ二年生を対象とした近現代文学の授業も担当しているので、その内容とリンクさせようとの配慮から、前半は、古代から現代文学までを通観するための文学史的視角をどう構築するかという話を小西甚一の『日本文学史』の「序説」に依拠しながら話したのだが、話のスケールが大きすぎ、かつかなり哲学的な部分もあり、多くの学生たちはついていけないと顔を見合わせていた。それでも、三十人程度の出席者のうち数人には訴えるものがあったのではないかと思う。
 講義の後、最も優秀な女子学生の一人が質問に来た。永遠への憧れがもつ二つの極である「完成」と「無限」についての質問だったが、こちらの答えに納得しているようであった。彼女は授業中もときどきうなずきながら聴いてくれていたのだが、質問内容からして、かなりよく講義内容を理解してくれていると推測できた。
 男子学生も一人、講義後に質問に来た。彼は、近現代文学の授業でも毎回授業中あるいは授業後に質問してくれる。それらの質問内容からわかるのは、私の話を聴いて自分で問題を考えようとしていることだ。今日の質問は、私が授業の後半でした「なつかしさ」 « nostalgie » « Sehnsucht » の意味論的区別の話についてだった。プルーストの『失われた時を求めて』はこのいずれにも還元できないものではないか、というのがその質問の主旨であったが、これにはこちらが唸らされた。プルーストがその文学的表現において探求したのは、この三つの契機の総合と見ることもできるのではないかというのが私の回答だったが、もちろんこれはその場の思いつきの域をでない。むしろこの学生の質問によって新たな課題を与えられたと感謝している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一学期かけた『陰翳礼讃』精読の素晴らしい成果、あるいは谷崎マジック?

2020-02-06 16:17:09 | 雑感

 今、この記事を、書斎の窓外に広がる冬の澄んだ青空のようなとてもいい気分の中で書き始めている。
 先程、大学宮殿近くのトラムの駅のところで、日仏合同ゼミに参加している日本人学生たちと別れの挨拶をした。別れ際に彼らに告げたのは、「これまでの六年間で最高だった」という一言であった。それはけっしてお世辞ではない。
 まずは夏休み中にそれぞれ『陰翳礼讃』を読むことから始まった準備は、テーマ探し、文献検索、ディスカッションを経てしだいに形になってはいったが、その歩みはけっしていつも順調だったというわけではなく、ご指導を担当されていたA先生はその間歯痒い思いをされたことも一再ならずあったようだ。しかし、結果として、先生ご自身も驚かされるほどに学生たちの作品理解は深まり、その成果が昨日の発表と今日の午前中のグループ・ディスカッションで遺憾なく発揮されていた。
 それどころか、今日のディスカッションの中からこちらが唸らされるような卓見も生まれた。ちょっと大げさかもしれないが、参加者全員、『陰翳礼讃』精読、発表準備、日本出発前日まで繰り返された発表練習、昨日の発表そのもの、そして今日のグループ・ディスカッションという数ヶ月に渡る理解の努力を通じて、世界につねに生まれつつある陰翳への感度が確実に高まり、精読以前とはちょっと世界の見え方が変わったとさえ言っていいのではないかと思う。「産婆役」としてその場に立ち会えたことをとても幸いに思う。
 参加者全員に称賛のスタンディングオベーションを送りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「世間」は「社会」ではない ― 仏訳から考える『学問のすすめ』における「社会」の不在という問題

2020-02-05 01:27:43 | 読游摘録

 福沢諭吉の『学問のすすめ』の Christian Galan さんによる仏語全訳が Les Belles Lettres 社の Collection Japon の一冊として出版されたのは一昨年2018年のことに過ぎない。初編だけは1996年に同じGalan さんの訳で Cent ans de pensée au Japon, tome 2, Philippe Picquier に収録されていた。この全訳は、フランス語圏における最良の訳者によるきわめて優れた達成である。
 この全訳版には、訳者によるかなり長い序文と後書きが付されている。前者では『学問のすすめ』が出版当時に与えたインパクトの大きさについて説明され、後書きでは同書の内容と出版当時の政治的・社会的状況が丸山真男の福沢論に依拠しつつ説明されている。本訳書のおかげで、学生たちも明治時代の大「ベストセラー」の全貌を知ることができるようになった。
 しかし、その見事なフランス語訳ゆえに隠されてしまう翻訳の問題があることを今日の授業で学生たちに柳父章『翻訳語成立事情』に依拠しながら説明した。明治初期の知識人たちが society を日本語に訳すのにどれだけ苦労したかは同書に詳しい。福沢も例外ではない。『西洋事情 外編』(1868年刊)で society を訳すのに「人間交際」「交際」「交(まじわり)」「国」「世人」などさまざまな語を充てている。
 『学問のすすめ』の中で福沢が「社会」という言葉を使っているのはたった一回だけである。それは第十七編の次の一文においてである。

また一方より見れば、社会の人事は悉皆虚をもつて成るものにあらず。

 現代語訳の一つ(佐藤きむ訳、角川ソフィア文庫)ではこうなっている。

また別の面から見ますと、社会の人間関係は、すべて中身のない偽りのものではありません。

 原文の「社会」はそのままになっている。ガランさんの仏訳はこうなっている。

D’un autre point de vue, les affaires de la société ne sont pas toutes guidées par la vanité.

 正確な訳だ。ところが、同じ段落のはじめの方の「かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども」も « Que ces hommes de grand savoir et de grandes vertus ne cherchent pas à devenir célèbres dans la société apparaît extrêmement louable » というように「世間」に対して société が訳語として充てられている。ここで問題になるのは、福沢においては「社会」と「世間」は対立関係にあることである(柳父書 p. 17)。つまり、福沢にとって「世間」は「社会」ではない。しかし、これは文脈からして、société の両義性としても解釈可能だから、さほど大きな問題ではないと言えるかも知れない。
 私が学生たちに注意を促したのは、ガラン訳では152回 société という言葉が訳に用いられているが、上に見たように「社会」という語は『学問のすすめ』にたった一回しか用いられておらず、その他はすべて他の日本語を société と訳していることである。当時まだ「社会」という語が定着さえしていなかったことを知らずにこの仏訳だけを読めば、当時の日本にすでに société という概念が確立していたかのような誤解を抱く人がいてもおかしくはない。しかし、現実はまさにその逆であったのであり、だからこそ福沢も société という概念を日本語にするのにさまざまな工夫を凝らさざるを得なかった。
 今は société という語が使われている表現の数例を初編から挙げるに留める。「人間世界」(sociétés humaines)、「世の中」(notre société)、「世上」(dans la société)、「世間の風俗」(les mœurs de la société)、「日本国中」(dans la société japonaise)。おそらく、société という語が用いられている全箇所をつぶさに検討していくことで、福沢の社会思想の特徴を浮かび上がらせることもできるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


類まれなる美酒の如き名訳を文化遺産として所有している幸い ― ゲーテ『ファウスト』手塚富雄訳

2020-02-04 05:26:12 | 読游摘録

 ゲーテ『ファウスト』の手塚富雄訳は、その最初の出版時から名訳の誉れ高かった。第一部が1964年、第二部が1970年に出版された。その後推敲が加えられた一巻本の限定特装版(980部)が1974年に刊行された。いずれも当時の中央公論社からである。訳者としてはこれを最終の仕上げとするつもりだったが、特装版出版と同年に中公文庫としても発行されることになり、その機会にもう一度全体に目を通して手が入れられた。
 「訳者のことば」には、「思えばこの作品の翻訳をはじめてから十二ヵ年ほどになるが、そのあいだ訳者は、原作者の意図の把握、訳文のニュアンスや効果などでもう一息と思えるところを、原文や訳文を読みかえすたびに、考えたり工夫したりして、手持ちの本に書き入れをしてきたので、この訳は少しずつではあるが成長してきたわけである」と奥ゆかしく記されている。
 この文庫版の改版が中央公論新社から昨年刊行された。第一部には、フランス文学者の河盛好蔵の「渾然たる美しい日本語」とドイツ文学者の福田宏年の「自然に胸にしみいる翻訳」という二つのエッセイ(1971年刊の『ファウスト 悲劇(全)』月報に掲載)が巻末に新たに付され、第二部には、文芸評論家の中村光夫のエッセイ「『ファウスト』をめぐって」(初出はわからないが、底本は『中村光夫全集 第十巻』筑摩書房、1972年)がやはり巻末に付されている。
 河盛好蔵は、「『ファウスト』の第二部はとくに難解をもって聞こえているが、その壮大で、深淵で、複雑で、多彩で、機知に富んだ内容が、斧鉞のあとをとどめない渾然たる美しい日本語になっている。とくに詩的イメージの再現が見事である」と絶賛している。
 福田宏年は、手塚富雄が『ファウスト』の翻訳に苦心しているときのエピソードを紹介し、「第二部の翻訳を終えられたとき、「もうヘトヘトだよ」と、大きい吐息を漏らされたのを、今もはっきりと覚えている」と思い出を記している。
 中村光夫は、もともと自分にとって「鎖された古典」だった『ファウスト』を手塚訳で読むことによって、「思いがけなくひきこまれて、全篇を一気に通読し、しばらくは何も手がつかないほど感銘をうけました」とエッセイの冒頭で言っている。
 「万人が楽しめる日本語の『ファウスト』を文化遺産として持てたこと」(福田宏年)は、私たち日本人にとってほんとうに喜ばしくかつ誇らしいことだと今あらためて思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゲーテ『ファウスト』ジェラール・ド・ネルヴァル訳から「陰翳」という言葉までの散歩道

2020-02-03 23:59:59 | 読游摘録

 今日から一週間ほど、最近読んだ本あるいは今読んでいる本などからのほんの僅かの摘録になります。いいなと思った一言や一節、あるいはこれから問題として考えていきたい気になる箇所などを引用し、それにひとこと添えるだけです。
 マックス・ミルナーの『見えるもの裏側』についてはこれまでにも何度か言及してきました。ゲーテを取りあげている箇所に『ファウスト』からの引用が出てきます。その引用はジェラール・ド・ネルヴァル訳で、この訳はゲーテ自身の御墨付だと言われており、今でもいろいろなところでよく引用されていますが、原文への忠実度という点からいうと、いろいろと問題があるようです。邦訳における森鴎外訳の位置づけにちょっと似ているかも知れません。
 ミルナーは、ネルヴァルが « macht es schön »(「美しくみせる」)を « la colore »(「彩る」)と訳していることに読者の注意を促しています。そして、ネルヴァルはゲーテの色彩論を知っていて敢えてこう訳したのだろう推測しています。ゲーテの色彩論は当時のフランス人にはほぼ無視されていたことを考えるとネルヴァルの慧眼を称賛すべきなのかも知れません。
 もう一つ面白いと思ったことは、小学館ロベール仏和大辞典には、colorer の他動詞の語義のなかに「陰翳を与える」とあったことです。代名動詞 se colorer には「陰翳を帯びる」とありました。例文としては、前者には « Son attitude est légèrement colorée de mépris. »(「彼の態度にはかすかに軽蔑の色があった.」) とあり、後者には « Son étonnement se colorait d'inquiétude. »(「彼の驚きには不安の色があった.」)とありました。いずれも「何かが微妙な仕方で混ざり込んでいる」といった感じでしょうか。このような例文を挙げて語義には「陰翳」という言葉を使うことによって、colorer という言葉のニュアンスをよく伝えているように思います。
 こんな風に言葉の連鎖を辿っていくと、思いもよらない発見に至ることもあります。今回の例がそれに相当するかどうかはまだわかりませんが、気に留めておこうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仕事漬けの日曜日、夜は『男はつらいよ』を観る

2020-02-02 18:46:41 | 雑感

 今日は、きわめて「充実した」一日であった、と言っておきたい。
 日曜日だというのに午前三時半起床。まず、来年度カリキュラムの修正案を仕上げて担当者に送信。続いて、9月から九大に留学する修士の学生のために推薦状を書く。そこで仕事を一旦離れ、私的年間課題図書である『源氏物語』の「玉鬘」の巻を岩波文庫の新版で数頁読み、目に止まった表現をノートに書き留める。同じく仏語課題図書の Jean Wahl, Vers le concret もまたノートを取りながら2頁読む。8時から30分、プールで泳ぐ。
 その後は、夕方までほぼ机に向かいっぱなし(あっ、昼ご飯はちゃんと食べた)。明日明後日学部三年生の二つの授業の準備、明々後日の日仏合同ゼミの講演の準備、そして金曜日の学部二年生向けの「研究入門」パート2の準備を同時進行させるという「離れ業」をやってのけた。我ながらよくやったと思う(パチパチパチ)。
 現在午後6時45分、もう仕事はしない。ワインを飲みながら食事をし、映画を見る。ここのところ、『男はつらいよ』シリーズを順に観ている。今晩は第13作『寅次郎恋やつれ』を観る。マドンナは吉永小百合演ずる歌子が第9作に続いて再登場する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


辞書をめぐる随想

2020-02-01 16:45:31 | 講義の余白から

 今週の月曜日の授業で、三浦しをんの大ベストセラー小説『舟を編む』を原作とした同名映画を少しだけ学生たちに観させた。一冊の辞書づくりは、膨大な時間と労力を必要とし、多数の人たちの協力なしには実現不可能な企画であり、長年に渡って地道な作業を継続する情熱とそもそも言葉へ愛がなければとても続けられる仕事ではない。そのことを学生たちにも知ってほしいと思ったのがこの映画を彼らに観させた主な理由である。
 日本語を学んでいる彼らであるから、日頃から辞書に親しんでいるには違いないが、日本語の辞書にかぎらず、彼らが辞書についてどんな思いを懐いているか知りたくて、辞書について書けという宿題を出した。例えば、辞書についての思い出、いま辞書について思っていること、自分の好きな辞書、ほしいと思っている辞書、あるといいなと思っている辞書、辞書で見つけた面白い語釈など、辞書に関することならなんでもいいから書いてくださいという課題であった。
 昨日の夜が締め切りだったのだが、それまでにほぼ全員、メールの添付書類として宿題を提出してくれた。それぞれになかなか興味深い話題を取りあげていて、添削するのが楽しくもあった。いくつか紹介しよう。
 「家庭内でしか話す機会がないアルザス語に三年前から興味を持ちはじめ、もっと上達したいとアルザス語の辞書を読み漁っている」(男子学生)。「小学校の時、教室で百科事典の「性」の項目を読み上げ、クラスメートを仰天させた」(女子学生)。「修士論文の一環として日本の擬音語と擬態語について勉強しようと思っているから擬音語・擬態語辞典がほしい」(女子学生)。「小学校のときに使っていた愛着のある漢字辞典が最近の自宅浸水で水浸しになり使いものにならなくなり、悲しい思いをしている、またいつか買い直したい」(女子学生)。「scrumdiddlyumptious という作家による新造語が現実生活の中で子どもたちに使われるようになり、つい最近『オックスフォード英語辞典』に載るようになったという話は、想像力が日常の現実にどのように影響するかの面白い例だと思う」(女子学生)。「紙の辞書はあまり使わない。この宿題のために紙の辞書を使うふりをすることもできるが、それは不正直ではないでしょうか」(と言って、自分が普段使っている電子辞書、オンライン辞書、辞書アプリの長短を説明してくれた女子学生)。色を表わす言葉の歴史に特に興味があり、和色大辞典がほしいという男子学生。
 他の作文でも、それぞれに学生の個性をよく示している話題が取り上げられていた。概して、成績優秀な学生は辞書によく親しんでいることを文面から察することができたが、これは当然といえば当然の話だ。中には、辞書を必要に応じて引くだけではなく、自由に読むのが好きだという学生も二三人いたが、これにはいたく共感したし、そういう学生がいることを嬉しくも思った。