内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

世界への違ったまなざしとそれとともに歩まれた違った道

2021-11-20 16:41:15 | 哲学

 哲学がそれを表現する言語の文法に呪縛されていることを喝破したニーチェの『善悪の彼岸』の次の一節はよく引用される。

 言語の類縁性が存在するところにあっては、文法の基本的な考え方が同一であるために―ということは、類似した文法の機能が無意識に支配し、導くということだ―、哲学の体系はいつも同じ形で発展し、配置される。これはあらかじめ定められていること、避けがたいことなのである。そして世界をもっと違う形で解釈する可能性の道が閉ざされているようにみえるのも、避けがたいことなのだ。
 ウラル・アルタイ語圏(ここでは主語の概念の発達がきわめて遅れている)の哲学者たちはおそらく、インド・ゲルマン語圏の哲学者たちや、イスラーム教徒たちとは違ったまなざしで「世界を」眺めるだろうし、もっと違った道を歩むことになるだろう。

『善悪の彼岸』光文社古典新訳文庫、中山元訳、2013年

 来週木曜日の学会の発表では、ニーチェがいうところの世界への違ったまなざしとそれとともに歩まれた違った道が、日本語について日本語によって固有の術語を用いて表現された言語思想と生物の世界の観察から導き出されたユニークな生命観との中に実現されていることを示す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大坂の町人学問所懐徳堂の近世思想史上の意義について

2021-11-19 17:02:05 | 講義の余白から

 ここ四年、「近代日本の歴史と社会」の授業で、前期の二回を充てて苅部直の『「維新革命」への道 「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮選書 2017年)の序章を読んでいる。その読解作業の過程で補助テキストを併せ読む。こちらのテキストは毎年変える。今年は、本書の第四章「大坂のヴォルテール」の一節「町人の学校、懐徳堂」を読み、懐徳堂の成立と発展の経済社会的背景と思想史における意義について学ぶことにしている。さらに、その一節に引用されている宮川康子の『自由学問都市 大坂 懐徳堂と日本的理性の誕生』(講談社選書メチエ 2002年)も併せ読む。
 苅部は、宮川の論述を、「大坂という都市の空気のなかに懐徳堂を位置づけた、的確な指摘」と評価しているのだが、宮川書の当該箇所を読んで、率直に言えば、確かにと頷ける点もあるが、ちょっと理想化し過ぎているのではないかという感想を持った。しかし、私にはその論述を批判的に検討できるだけの知識も素養もないから、授業では、懐徳堂についての一つの評価としてそのまま紹介し、もっぱら日本語の読解テキストとして扱うつもりである。学部三年レベル読解テキストとしてはまさに「好適」なのである。
 以下は、苅部が言及している箇所が含まれている第一章「町人学問所懐徳堂」からの引用である。

 懐徳堂は、学問を媒介として、商人という身分に限定されない、いわば身分横断的な交流を可能にする場所であった。そこには五同志をはじめとする商人たち、中井甃庵のような逼塞した武士の子孫、商人の子として生まれながら民間の儒者として短い生涯を終えた富永仲基、儒者として仕官するが意にみたずに致仕した五井蘭洲など、さまざまな境遇の人間がいた。そして門人たちの中には大坂在住の武士もまじっていたし、学寮を備えた懐徳堂には、地方からもさまざまな身分の学生たちが集まっていたのである。
 その学寮に安永二年(一七七三)、掲げられた「定」は、このような懐徳堂のあり方を象徴しているといってよいだろう。その第一条には、「書生の交は貴賤貧富を論ぜず同輩たるべき事」とある。そして懐徳堂の中では、社会的身分にかかわらず、ただ長幼や入門の新旧、学問の深浅などによって互いに席を譲り合うことが明記されたのである。

 懐徳堂の内部においては、外の世界の社会的身分や貧富の差は意味を持たない、意味を持つのは、長幼、入門の新旧、学問の深浅だけであるというこの言葉は、学問における平等を宣言しているだけではなく、社会的身分や職分を離れた、いわば純粋な人間という存在を前提としている。すくなくとも懐徳堂の内部においては、ただ一個の学ぶ者として自由に考え、議論することができるということ、しかもその懐徳堂は、幕府からの永久拝領地として公に認められた場所だということは重要な意味を持っている。

 懐徳堂という場所の公共性は二重の意味を持っていることがわかる。ひとつは、公儀から免許を下され、竹山の言葉によれば、「公の役目の一端を担っている」という自覚。ここでの「公」は公権力とのつながりを含意している。そしてもう一つは、「貴賤貧富を論ぜず」誰でもが学ぶことができるという公開性と、そこに集まった人々が自由に考え発言することができるという意味での公共性である。公権力への接近は、後者の意味での人々の発言が、私的なものとして排除されてしまわないためには不可欠なものである。
 しかし、この二つがたがいに対立する契機を含んでいることはあきらかであろう。公権力はその権威をゆるがすような思想と言論の自由を認めはしないし、政治的権力の外部に開かれた自由な討議の場は、公権力と既存の体制への批判を可能にする。
 懐徳堂は、はじめから反武士的なイデオロギーによって作られたのではないし、商人階層のイデオロギーのみを代弁するものでもない。また大坂三郷の各地に作られた、地域に密着した共同体的郷校とも異なる。むしろ町内からかけ離れていくことで、一個の私人が、公的な政治や制度について考え、道について語ることのできる場所を切り開こうとしたのである。

 町人の町大坂に生まれたこのような学問空間から育った思想が、武士的な発想に基づく学問とは、根本的に異なるものであることはいうまでもない。彼らは、むしろ従来の支配者的思考と既存の学問的権威を批判し、それに対抗していくことで、新たな学問の方向を模索していったのである。

 このテキストを予習なしの初見で読んでほぼすべて理解できる学生は二十五名ほどの出席者中五、六人だろう。教室ではそのレベルに合わせて説明を行う。その説明について来られない学生のうち、やる気のある二、三の学生は授業後に復習するだろう。彼らから質問があればもちろん答える。それ以外の学生について、私は関知しない。勉強する・しないは彼らの自由である。その結果を自己責任として引き受けなくてはならないのは彼ら自身であって、私ではない。


『葉隠』における「一種独特の個人的主体性」― 『丸山眞男講義録[第五冊]日本政治思想史 1965』より

2021-11-18 17:22:28 | 読游摘録

 丸山眞男は、『葉隠』について、1965年度の「東洋政治思想史」講義の第二章「武士のエートスとその展開」においてかなり詳しく立ち入って論じている。
 丸山が『葉隠』について強調するのは、その思想がもつ鋭い両義性である(苅部直『日本思想史への道案内』)。その「偏狭な排他性(particularism)」には批判的であるが、それを徹底化させたところに形成された顕著な思想的特質に注目する。

『葉隠』の顕著な思想的特質は、もっとも閉鎖的な particularism をつきつめたところに、それを突破して新しい地平線をのぞかせている点にある。釈迦も孔子も鍋島家に奉公していない以上は無用であると言い切るほどに狭隘で閉鎖的なモラルは、幕藩体制下における universalism の喪失の極限形態である。にもかかわらず、鍋島の主君への〈献身的〉奉公以外には目もくれない、徹底した particularistic な立場において、まさにそれが全人格的なコミットメントをラディカルに押しつめたがゆえに、通常の身分的忠誠倫理の次元から飛躍して、ほとんど宗教的次元にまで飛躍した思想が展開される。そうして、ここでは超越的普遍者への傾倒から主体的な人格観念が生まれる経路と全く逆の方向を辿りながら、やはり一種独特の個人的主体性が、強烈な能動性をはらんだ inner-directed 〔内部志向的〕な人間類型が打ち出されてくるのである。(235頁)

 忠誠そのものを絶対化することで、現実の忠誠の対象である主君の在り方如何にかかわらず、己の内に確立された内的道徳律に従って、自律的で能動的な行動を可能にする思想が表明されている点において丸山は『葉隠』を積極的に評価しているように思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


学生と一緒に文章を推敲する共同作業の醍醐味と喜び

2021-11-17 20:26:50 | 講義の余白から

 修士二年生になると修論の作成も本格化する。修士二年前期に私が担当している Technique d’expression écrite(文章表現技術)の演習では、毎年、修論の一部に相当する内容を日本語の小論文として書かせている。六回(各回二時間)なのでそれほど長いものは書かせられない。そもそも長ければいいというものでもない。約一月半で二〇〇〇字の小論文を書かせる。
 主題提示・タイトル決定・構成プランの作成から始まり、一回四〇〇字を目安に 、学生たちには毎週書けた部分を提出させる。それらに共通して見られる表現上の問題点や共有しておくに値する表現技術については学生全員と一緒に検討する。この共同検討作業に一回二時間の演習の前半一時間を充てる。その後、一人二〇分から三〇分の個別面談を行い、それぞれの学生の文章の問題点を、句読点の打ち方から始めて事細かに指摘しながら、一緒に推敲する。
 今年度の修士二年の登録学生は六名であるから、個人面談の時間をゆったりと取れる。とはいえ、毎回六人全員を教室で面談するだけの時間はない。直後に別の授業が入っているから定時に教室を出なくてはいけないし、授業後に予定がある学生もいるからである。
 そこで、教室で面談するのは三人に止め、残りの三人は遠隔で別の日に面談を行うことにした。今朝、その残りの三人のうちの二人の面談を遠隔で行った。昨年度、この同じ演習をすべて遠隔で行った経験もあり、遠隔の利点は実証済みである。今年は、教室での面談と遠隔の面談を交互にできるので、遠隔・対面それぞれの「いいとこ取り」ができる。
 学生たちは、自分が書いている修士論文について日本語で説明しようとするときに的確な表現を見つけられずに、もどかしい思いをしばしばしている。だから、私と一対一で話し合いながら日本語の文章を改善していくのは、彼らにとってとてもいい勉強になっている。そればかりでなく、推敲作業中、私の問いかけに応じて、学生たちは自分が表現したいこと、論文で論究したいことを、熱を込めて語ってくれる。そうすることで自分がいったい何を研究したいのか、彼ら自身にとってより明確になってくる。
 この演習方式を彼らは喜んでくれている。私もとても楽しい。私が教師として学生たちにしてあげられることは限られている。この演習では、その限られた能力を存分に発揮できることが嬉しく、ありがたく思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


曖昧で軽い「主体」たちが跳梁跋扈する国、ニッポン

2021-11-16 12:56:37 | 哲学

 来週の木金にパリ・ナンテール大学で開催される日本哲学に関する国際シンポジウムで「主語・主観・主体」について発表する。今回のシンポジウム全体の主題は、西洋哲学の諸概念が翻訳を通じてどのように日本語に受容されたか、という問題である。それぞれの発表者は、いくつかの関連概念の受容史に即してこの問いに答える。
 引き受けたテーマについては、ここ数年数回口頭発表し、論文も数本書いている。今回は、一般的・概説的に受容史について論じるのではなく、具体的な使用例から論点を引き出すという形に徹する。最終的な結論はすでにはっきりしているのだが、そこに至る議論の道筋に具体的な道標を立てながら話す。今週末には発表原稿とスライドを一気に仕上げてしまおうと思っている。
 このテーマで話すことを依頼されたのは今年の春先のことで、以来折に触れて再考を繰り返してきた。その再考過程の一環として「主体」という語の使用例を多様な文献から拾い集めていて、だんだん憂鬱になってきた。「よくもまあ、こうテキトーな使い方ができるものだ」と慨嘆せざるを得ないことが多かったからである。実際、sujet は、明治以降に受容された諸概念の中でもとりわけ「日本的な」変容過程を経ている。
 まさにだからこそテーマとして取り上げるに値するとは言える。しかし、非哲学的な文脈での枚挙に暇がないほどの具体的な使用例は、哲学本来の問題圏域を離れ、日本近代精神史に固有な特異な問題の一つとして取り上げるべきなのではないかとさえ思われるほど、広範な問題領域と関わり合っている。それらの使用例は、一言でいうと「軽い」のである。「主体的」とか「主体性」とか、ほとんど羽毛のように「ライト」な感覚で使われているような印象を受ける。
 ただし、使っている本人は、「自主的に」、「自分から進んで」、「自分の責任おいて」などよりも、「主体的に」とか「主体性において」と言ったほうがなんとなく重々しく意味ありげに思えるから使っているだけのように見えることが多い。そのご本人が主体概念について熟考したことがただの一度でもあるのかどうか、どうも心もとない。
 日本におけるこれら軽量級の「主体」たちの依然たる跳梁跋扈は、そして「主体の死」がおフランスなどで喧伝されたときにはその尻馬に巧みに乗ってみせるというお家芸を発揮したに過ぎず、そのことも今となっては忘却されているという軽佻浮薄さは、果たしてかつてただの一度でも日本に主体が存在したことがあったのだろうかと疑わせずにはおかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自転車のヘッドライトが壊れたおかげでジョギングのモチベーションがさらに高まった話

2021-11-15 23:59:59 | 雑感

 一昨日土曜日のこと、書店に注文してあった本を受け取りに街中まで自転車で出かけた。本を受け取って自転車に荷物を載せたとき、スタンドが外れて自転車が倒れてしまった。そのショックでヘッドライトがそれを支える軸のところから折れてしまい、修復不可能となった。
 ヘッドライトが必要な時間帯に自転車に乗ることは春から秋にかけてはめったにないのだが、冬は日の入りが早いので夕方五時頃にはもう点灯する必要がある。水曜日の修士の演習は午後六時に終わるから、この季節、もうすっかり日は沈んでいる。一昨日は昼間のことだったのでヘッドライトがなくても何の問題もなかったのだが、これから春先まではときどき点灯する必要がある時間帯に自転車に乗ることもある。さてどうしようかと思案した。
 自転車用の新しいヘッドライトを買ってもいいのだが、年間を通してそう使うものでもないから、他の利用法も可能な、ヘアバンドのように頭に装着するヘッドランプを買うことにした。最近はLEDが圧倒的主流で、値段も手ごろな商品が数多く出回っている。いずれの商品も自転車で走行する際にも十分な光量である。
 このヘッドランプを今日の早朝のジョギングに使ってみた。ランプの角度が変えられるので、走るスピードに合わせて照らし出す前方の範囲を調整できる。これさえあれば、街灯のない道でも日の出前に問題なく走れる。
 自転車のヘッドライトが壊れたおかげでジョギングのモチベーションがさらに高まった次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ジョギングに関する中期的な目標設定 ― 坦々とした道を淡々と走り続ける

2021-11-14 14:14:20 | 雑感

 昨日たくさん走ったので、さすがに今日は足に疲れが残っていた。走る時間を50分未満とし、距離も8キロ弱に短縮した。疲れを感じている日は休めばいいではないかと思わないわけではない。一日二日休んだところで、そう体が鈍るわけでもないだろう。それどころか、筋肉を少し休ませることで、かえって筋力がアップするかも知れない。
 そうは思いつつも、休めない。続けると決めたことを中断したくないというただそれだけの理由で。水泳を続けているときもそうだった。ただ、水泳の場合は、プールが閉まっていれば諦めざるを得なかった。ジョギングにはそのような外的制約がない。もちろん嵐が来たり、大雪が降ったりすれば話は別だが、五月半ばにウォーキングを始めてから、悪天候を理由に諦めたことは一度もない。幸いなことに、それほどの悪天候に見舞われたことが今日までなかった。
 五月半ばにウォーキングを始めてから今日でちょうど半年になるが、この間休んだのは五日だけである。おかげで体組成計の数値は、十月以降、理想的なレベルで安定している。そうなって困るのは、休むと数値が悪くなるからという理由だけで、休めなくなることだ(もちろんこれは私個人の性格の問題で、一般化するつもりはありません)。夏休みあたりまでは数値の向上を目標とし、それを楽しみにもできた。数値的目標をすべて達成してしまった今、それらを維持することが今後の目標になるが、それだけではモチベーションとして消極的だ。
 何か中期的な目標があったほうがモチベーションは維持しやすいだろう。たかが半年続けただけであるから、一年は続けることをさしあたりの目標にしよう。タイムの向上を目標にして、負荷を増やすと、無理をしかねない。それで体を壊しては元も子もない。
 というわけで、明日からも、少し余裕があるくらいのペースで、坦々とした道を淡々と走り続けようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ジョギングの後は必ず靴底を丁寧に洗う

2021-11-13 23:59:59 | 雑感

 最近はこのブログで話題にすることもなくなったが、ジョギングは休まず続けている。だいたい10キロから12キロ、毎日走っている。いつもより体が軽く感じられるときは、それ以上走る。今日は、およそ二時間半で23キロちょっと走った。この季節、森の中の紅葉が美しい。それを嘆賞しながら走る。落葉が降り積もった小道を走るのは、足への負担が舗装路よりも少なく、それがさらに走り続けたいという気持ちにする。
 走り終えて帰宅後まずすることは、履いていたランニングシューズのクリーニングである。五足のシューズを日替わりで順に履いているから、一回のジョギングでそう汚れるわけではないのだが、靴底についた泥汚れや細かい砂利を洗い流し、最後は洗剤をつけて洗う。だからどのシューズもいまだに新品のようにきれいだ。
 毎日靴底を洗っていて思う。たかが一時間か二時間走っただけで、しかも泥濘は避け、見たところゴミも落ちていないような舗装路を走っただけなのに、こんなにも汚れるものなのかと。しかも、それは玄関外の足ふきマットで靴底の汚れを拭ったうえでのことである。だから、たとえ足ふきマットで靴底を拭ってあるとしても、土足でそのまま室内を歩く人の気が知れない(日本人にはまずいないと思いますが)。
 欧米人でも玄関で室内履きに履き替える人が以前に比べると増えたようだ。衛生の観点から見れば、当然のことである。洗剤を使って床を磨く前に、そもそも玄関で靴を脱げばよいではないか。室内に絨毯が敷いてある場合、そこにすべての汚れがなすりつけられているにすぎない。いまだに玄関の足ふきマットに靴底を擦りつけただけで、室内を闊歩されている向きは、一度自分が履いていた靴を手にとって靴底をご覧になってみてはいかがであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どうぞ良い(世界の)終末をお過ごしください(Passez une bonne fin du monde)

2021-11-12 23:59:59 | 雑感

 ちょっとハードな一日でした。普段の四時間の授業に加えて、修士一年生向けの方法論ゼミ三時間(学科の教員が回り持ちで各自一回担当)があって、午前十時から午後五時までほぼ休みなしでした。もともと昼食は取る習慣がないから、体力的にはたいしたことはなかったのですが、やはり休憩時間がないというのはしんどかった。
 その間に届いているメールの処理は当然のこととして滞ります。すでに宵闇迫る頃にやっとのことでゼミを終え、自宅に帰ってからメールボックスを開けると、案の定、数十通のメールが届いていました。それらのうちの大半は、即ゴミ箱行きか、ただ目を通せばいいだけですから、処理にさほど時間がかかるわけではありません。
 夕食後に仕事を残すのは嫌なので、夕食前に全部片付けてしまおうと、返信を必要とするメールを慌ただしく処理していて、ある学生からのメールに対する返事を書き終え、さあ送ろうというとき、危うく誤変換のまま送信しそうになりました。
 その学生は、とても優秀で、いつも日本語でメールを送ってきます。私もそれに対しては日本語で返信します。質問事項はごく簡単で、一言で済む内容でした。その一言の後に、金曜日ですから、フランス語であれば « Bon week-end » あるいはもう少し丁寧に « Passez un bon week-end » と入れるところに、日本語で「良い週末を」と入れようとしたのです。
 ところが、ここのところ黙示録のことを話題にしていたので、「しゅうまつ」と入力すると、グーグル日本語入力の素晴らしい学習機能のおかげで、まず「終末」と変換されるようになっていました。危うくそのまま送信してしまいそうになりました。
 受け取ったほうは、まあ誤変換だろうと笑って済ませることもできるかもしれませんが、場合によっては、大変不快な思いをさせてしまうことにもなりかねません。無事、「週末」と訂正してから返信しました。その後、少し考えました。
 「どうぞ良い(世界の)終末をお過ごしください」という表現もありかなと思ったのです。半分冗談ではありますが、世界の終末は本当に迫っているのかも知れません。だとすれば、このメールが最後になるかも知れないのです。お互い、何が起こるかわかりません。世界が終わってしまえば、次のメールのやりとりはもうありえません。
 だとすれば、毎回メールを送信するたびに、どうぞ残された時間を大切にという思いを込めて、「どうぞ良い(世界の)終末を」と記すことも、挨拶としてありうるのではないかと愚考した次第であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


黙示録的なイメージの豊穣さの裏に隠蔽されたもの ― 瘋癲老人妄想録

2021-11-11 16:14:30 | 読游摘録

 昨日の記事の末尾に記した問いに対する答えが『ヨハネの黙示録』の解説文の中に示されているわけではなく、私自身がそれに答えることができるわけでももちろんない。ただ、気にはなるのだ。西欧世界が最初から孕んでいた根本的な矛盾がヨハネ黙示録に対する態度に顕れているのではないかと思うからである。
 以下は、誰にも話を聞いてもらえない哀れな老生の妄想的戯言である。
 古代ギリシアに淵源するロゴス中心主義から逸脱するものを美術の世界に回収し、そこにいわば封じ込めることで、キリスト教西欧世界に理性中心主義が確立したとすれば、それは、非理性的なものを回避し、向き合うことを拒否し続けるかぎりにおいて維持され得る。非理性的なものを美術の世界でも排除した東方教会は、まさにそのことによって、非理性的なものと正面から全面対決することを選択したのに対して、西方教会世界における黙示録的図像の豊穣さは、西方教会が本来正面から対決すべきものをイメージの豊穣さの裏に隠蔽したことを意味しているとは言えないだろうか。
 ここから以下のような「黙示録的」とも言えなくもない妄想的飛躍が生まれたとしても驚くには当たらないのではないだろうか。
 西欧的理性中心主義がもはや通用しなくなった二十一世紀の世界を襲いつつある種々の災厄は、その「つけ」が回ってきたことを意味している。とりわけ、非西欧的世界は、本来自分たちにはその支払の義務のない「つけ」をグローバリゼーションという名目で西欧世界から押し付けられている。このような不当で歪んだ世界は終わりにしなくてはならない。キリスト教的黙示文学が描き出す終末論的世界像が終焉した後の二十一世紀の現代にこそ、真に黙示録的な世界が到来している。