内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「死生観」という語が広く用いられるようになった理由

2023-11-20 23:59:59 | 読游摘録

 島薗進氏の『日本人の死生観を読む』の第2章には、死生観という語が広く用いられるようになる理由とその後の経緯が詳述されている。この章の基になっているのは、「死生学(二)― 加藤咄堂と死生観の論述」という題で『死生学研究』二〇〇三年秋号に発表された論考で、この論考は加藤咄堂『死生観 史的諸相と武士道の立場』(書肆心水、二〇〇六年)の巻末に解説として再録されている。両者を合せ読むことで、死生観という語がなぜ生死観という語よりも圧倒的に広く用いられるようになっていったか、その理由・経緯・推移がよくわかる。
 仏教の教えにとって、「生死」は、「生死輪廻」「生死流転」「出離生死」「生死即涅槃」などのようにその根幹に関わる用語のなかで用いられており、「生死観」というと、そういう仏教の教えの根幹に関わる思想の意に取られてしまいかねない。そのような誤解を避けるためにも、「死にどう向き合うか」とか「死後についてどのような考え方をとるのか」という問題についての一般的考察を指し示すためには「死生観」という語のほうが好まれた。それに、「死生観」という語を初めて書籍のタイトルとした加藤咄堂の『死生観』が刊行された一九〇四年前後とそれ以降の人々の主たる関心は、仏教の教説に限定されるものではなく、「死」をめぐる新たな言説・考察領域だった(『死生観』上掲書、「解説」、二五一頁)。それらを指し示すには「死生観」のほうが中立的かつ包括的だと考えられたのだろう。
 『死生観』の著者、加藤咄堂(一八七〇‐一九四九)については、島薗氏の論著を読むまでは全く知らなかった。「仏教を土台とした国民教化の講演説教者として著名だった」という(『死生観』、「解説」、二五二頁)。加藤を「仏教家」あるいは「仏教者」として簡単に規定することはできないようで、島薗氏は、「むしろ修養を説く教化運動家」というのが加藤の自己規定であったろうと言う(二五三頁)。咄堂の「教化」は仏教の枠内にとどまるものではなかった(二五四頁)。
 咄堂自身の思想には私はさほど関心はないが、『死生観』とその後の死生観関連の著作を通じて、死生観について広く古今東西の思想を比較検討する視座を開いた功績は高く評価できるのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「トランスナショナルな正義」の漸進的な拡張という微かな希望

2023-11-19 16:39:43 | 雑感

 「世界のあらゆる国とあらゆる時代とを通じて、不変の正義」(パスカル『パンセ』S94, L60, B294)を私たちはまだ見たことがないし、おそらくけっして見ることはないだろう。「川一筋で仕切られる滑稽な正義」(同断章)はもう過去の話だと笑うこともできず、「ピレネー山脈のこちら側での真理が、あちら側では誤謬」とパスカルが皮肉った当時の状況と今日の世界の状況との差は程度の差でしかない。ある国が力で「正義」を他国に押し付けても、問題は一つも解決しない。普遍主義の理想は幻想でしかなく、現実に対してまったく有効性をもたない。「トランスナショナルな正義」(Martha C. Nussbaum, Frontiers of Justice. Disability, Nationality, Species Membership, Harvard University Press, 2007)を、状況に応じて修正を重ねながら、地道に漸進的に拡張していく努力を続けることのみに微かな希望がある。


宮沢賢治「ひかりの素足」を読み直す機会を島薗進『日本人の死生観を読む』によって与えられる

2023-11-18 23:59:59 | 読游摘録

 島薗進氏の『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』(朝日選書、2019年)と『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』(朝日選書、2023年)とには電子書籍版もあり、授業の前日の火曜日に即購入できた。ところが、この両書に先立つ『日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ』(2012年)は同じ朝日選書として刊行されていながら、なぜか電子書籍版がない。この三冊は今後教材として活用したいという思いもあり、紙版も Amazon.co.jp に同日発注した。驚いたことに、注文のタイミングがよかったのか、金曜日にはもう日本から届いた。送料は安いとは言えないが、これだけ速く届いたし、今はユーロが円に対してとても強くて相対的に少ない出費で済んだから、むしろいい買い物だったと思っている。
 今日土曜日は『日本人の死生観を読む』に読み耽った。先を急いで読んだのではない。同じ箇所を何度も読み直しながら、少しずつ読み進めた。それだけ立ち止まって考えさせられた。本書の冒頭には、「現代人が自らの死生観を問い直す手がかりをいくつも提供している」作品として、宮沢賢治の「ひかりの素足」が、「風の又三郎」や「よだかの星」とも関連づけながら、 十ページあまりに亘って詳しく紹介されている。
 さっそく手元にある『新修 宮沢賢治全集』(筑摩書房、1979‐1980年)第八巻に収録された同作品を久しぶりに読み返した。死生観の表出として注目に値するということを抜きにしても、その鮮烈をきわめた雪嵐の風景の幻想的な描出には感嘆せざるを得なかった。賢治自身は同作品について、その草稿表紙に赤インクで「《凝集を要す/恐らくは不可》」「《余りに/センチメンタル/迎意的》」と記して辛い点を付けているが、読む者の心に持続的に深い印象を残さずにはおかない作品だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


トリトメな記 ― 雨降る一日、センチメンタル・ダイアリー

2023-11-17 20:34:29 | 雑感

 曇時々雨、そんな天気が何週間と続いている。でも、一日中雨が降り続く日は少ない。だから、八月二七日から昨日まで、一日も休むことなく、走った。でも、今日は走らなかった。朝四時すぎに目覚めたとき、すでに雨が降っていた。午前十時からの授業の最終準備をしつつ、雨が上がるのを待った。降り止めば、授業前に走るつもりだった。でも、止まなかった。
 雨天故、大学へ出向くのにも路面電車を使った。移動に電車を使うとき、ヘッドホンで音楽を聴く。アップル・ミュージックのカテゴリー別のランダム選曲に任せるので、どんな曲が流れてくるか、わからない。欧州議会場前の駅で電車を待ちながら、鈍色の空から降ってくる氷雨を見上げていると、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」のハープ演奏のヴァージョンが流れてきた。ちょっと胸を突かれた。涙が込み上げてきた。
 路面電車の車内から雨に濡れた街の風景を眺めていると、二十七年前に初めてこの街に降り立ったときのことが思い出された。その日は曇りだった。九月十一日のことだった。暗く重い。それが中央駅からタクシーでジャン=リュック・ナンシー先生宅へ向かうタクシーのなかから見上げた街並みに対する第一印象だった。
 その年の暮から翌年の二月にかけての真冬はほんとうに寒かった。雲に厚く蔽われた灰色の空の下、アパルトマンからキャンパスまで三十分ほどかけて歩いて通った。午後に気温が急激に氷点下まで下がることがよくあった。外で立ち話しをしていると、耳が痛くなった。大気中に浮遊していた水蒸気が急に凝固して、スターダストのように煌めきながら地表に落ちていく。そんな厳しい冬はもう来なくなった。
 ストラスブールは美しい街だ。二十七年前より今の方が美しい。そんな街で暮らせることはそれだけで幸せだ。そう思う。日没迫る夕刻、大学からの帰り道、降りしきる雨の中、欧州議会場前の駅で下車して、自宅までの数百メートルを歩いているとき、喜びと悲しみが相互に浸透し合う不思議な情感に満たされる。
 そのとき、万葉集の我が愛唱歌の一つが自ずと思い起こされた。

うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流れあふ見れば (巻一・八二)

 この歌の私的鑑賞についてはこの記事を参照されたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タマシイへの日々の配慮と世話としての哲学

2023-11-16 16:26:09 | 哲学

 上田正昭の『死をみつめて生きる』(角川選書、2012年)のなかに、「タマとタマシヒ」と題された節があって、その冒頭の段落で両者の違いがこう説明されている。

「魂」という漢字をヤマト言葉ではタマともタマシイともよんで、一般的には同義として理解されている。しかし[…]目の視力が衰えた状態をメシヒというように、タマシイはタマの衰微を本来は意味していた。衰微したタマシイを振起することが「タマフリ」でもあった。

 ところが、私の手元にある十冊の古語辞典のなかに、タマシイにこのようは語義を認めているものは一冊もなかった。『古典基礎語辞典』(大野晋編、角川学芸出版、2011年)は、「たま【魂・霊】」を以下のように説明している。

タマ(玉)と同根。古くは自然物、特定の器物などの内に宿って、人間を見守り助ける働きをなす目に見えない存在。いわば精霊。
その精霊であるタマ(魂)が人間の体内に宿ると、精神的な活動をつかさどると考えられた。このタマは体内から抜け出して自由に動きまわり、他と交渉をもつことができる遊離霊で、肉体が滅びてもこの世にとどまって人を守るとされた。人はタマが肉体から離れないように「鎮魂祭たましずめのまつり」を行い、タマを揺り動かすことで活力を衰えさせないようにするため「霊振りたまふり」の儀式を行った。
同語義にタマシイ(魂)があり、このほうが用例数も多く、『和名抄』『名義抄』『日葡辞書』などの古辞書にも掲げられている。またタマシイは、後に派生して「思慮分別」「才覚」「性質」などの意味も表すようになり、使用範囲が広がった。

 上田氏が指摘するような「タマの衰微」という意味をタマシイには認めていない。私には上田氏の推論はいささか短絡的に思われるし、このような意味をタマシイに認めなくても、上掲の辞書の記述のように「タマフリ」の意味は説明できる。
 タマ(タマシイ)は、人間の体内に宿るとき、それだけで自足しているような安定的な実体ではなく、いつまた体外に抜け出してしまうか知れず、体内でその活力を保つためには、単に祭儀として行われる魂振りだけではなく、日常的な配慮と世話が必要なのだろう。こう考えることはけっして荒唐無稽な迷信ではないと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


死生観の歴史的考察から出発し、テキスト分析を経て、自分に向き合う実存的な問いへ

2023-11-15 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の授業形式はかなりうまくいった。まず授業の主題について主旨説明をしてから、テーマごとに六つの質問を提示し、その答えを探しながら私の説明を聴くように学生たちに指示した上で、一つのテーマについて十五分くらい説明する。それから学生たちに十分ほどで質問に対する答えを書かせる。日本語でもフランス語でもよしとした。要は内容をよく理解することにあるからだ。このパターンを三回繰り返したところで授業終了時刻となった。一つ残されたテーマについては、昨日の記事にリンクを貼ったサイト「toibito トイ人」に自分たちでアクセスして、島薗進氏へのインタビューを最後まで読んだ上で、質問への回答を書いてくることを宿題とした。
 当のインタビューでの島薗氏のインタビュアーへの回答は、それぞれが本来は大きな諸問題について、かなりざっくりとした、あるいは極度に単純化された説明になっていて、それらを学生たちに鵜呑みにされては困るので、その点については説明の過程で再三注意を促した。彼らがどう受けとめたかは来週にならないとわからないが、授業中の印象は悪くなかった。予想以上に集中して私の説明を聴いてくれた。知識を提供することではなく、自分たち自身で問題を考えるきっかけを学生たちに与えることが今日の授業の目的だったが、それはかなりよく達成されたように思う。
 日本人の死生観というテーマを扱うにあたり、さしあたり三つの論脈を分けて考える必要がある。
 一つは、死生観を生と死に関する基本的な考え方と単純に規定した上で、その内容の時代的な遷移を追う歴史的考察の論脈である。この論脈では、死生観という言葉が使われているかいないかに関わりなく、生と死に関する基本的な考え方が表現されているすべてのテキストだけでなく、その考え方を表現している、あるいはそれに基づいている民俗・慣習・儀礼等も考察対象となる。
 一つは、死生観という言葉そのものが使用されている文脈そのものにおいて、その言葉が何を意味しているかを考察するテキスト分析である。と同時に、そのテキストがどのような時代状況の中で書かれ、それとどのような関係にあるかも考察対象となる。島薗氏が指摘しているように、「死生観」という言葉が一般に使用されるようになるのは加藤咄堂の『死生観』(井冽堂)が刊行された明治三七年(一九〇四)以降のことである。つまり、二十世紀に入ってからのことである。それ以降、「死生観」という言葉はどのような意味を担わされてきたのか、「死生観」という語をタイトルに含んだ書籍や死生観という語を多用する書籍が今日に至るまでかくも盛んに日本で出版され続けているのはなぜかという問いもこの論脈には含まれている。
 そして、もう一つは、自分自身の死生観を自ら問うという論脈である。上掲二つの論脈の考察を経た上で、自らに自らの死生観を問うという、いわば実存的考察がここでは求められる。この三つ目の論脈は授業で取り上げる時間は残念ながらないが、授業を通じて学生たちが自らに自らの死生観を問うところまで導くことができれば、この授業の目的は達成されたことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本人の死生観を授業で正面から取り上げる ― 島薗進『死生観を問う』を教材として

2023-11-14 18:09:42 | 講義の余白から

 日本人の死生観は、私がかねてから授業で本格的に取り上げたいと思っているテーマの一つである。
 過去二年間にも、三年生の「日本の文明と文化」という授業で取り上げてはきた。ただ、この授業は日本語で行うということもあり、それほど立ち入った話はできず、しかも私が話してばかりだと、学生たちの集中力もすぐに切れてしまうので、日本のテレビドラマや映画を教材として利用し、それはそれで興味を持ってくれた学生たちもいたのだが、日本人の死生観というテーマに真正面から向き合っているとは言い難かった。今年度末で終了する五年間のカリキュラムの枠の中では、他の担当授業でこのテーマを扱うこともできなかった。来年度からの五年間のカリキュラムには「日本思想史」という授業が新たに導入されるので、そこでは何回かこのテーマを扱うことができることを今から楽しみにしている。
 それはそれとして、いろいろ思案した挙げ句、今年度後期は研究休暇で授業を持たないこともあり、この前期の「日本の文明と文化」に残されているあと三回の授業(その後の二回は学生の口頭発表に当てるので、もう授業はできない)で、「日本人の死生観」というテーマを正面から取り上げることを今日決めた。日本語だろうがフランス語だろうが、私がもっとも話したいと思っているテーマを取り上げるのがこの授業の主旨に相応しいと今更ながら考え至ったからである。
 といっても、ただ一方的に話すのでは、学生たちの関心を高めることもできない。それに、そもそも若い彼女・彼らたちが自ずと死生観に関心を持ってくれるとは考えにくい。いや、死について考えることを嫌う学生たちもいる。
 だが、日本への関心が現代日本の社会や文化の表層的な傾向や事象に偏りがちな学生たちに対しては、もう少し腰を据えて、長い歴史的な視野の中で、日本の文明と文化の深層へと問題意識を深めてはくれないかと密かに願ってきた。だから、今回の決断は、私にとって一つのチャレンジなのである。
 しかし、なんの参考文献もなしに話すわけにもいかない。先週の授業では、五来重の『日本人の死生観』(講談社学術文庫、2021年。原本、角川書店、1994年)の一部を紹介した。名著ではあるが、さすがにこれは日本語のレベルが高すぎるし、その民俗学的な考察の解説は容易ではない。
 さて何かよい参考文献はないかと探していたところ、幸いなことに、先月、現代の宗教現象研究の第一人者である島薗進氏の『死生観を問う 万葉集から金子みすゞへ』(朝日選書)が刊行された。すでに死生観をめぐる著作を何冊か出版され、「toibito トイ人」というサイトには「日本人の死生観」というタイトルで氏へのインタビューが四回に分けて掲載されてもいる氏が、古代から現代まで文学作品のなかに日本人の死生観を探った本書は、まさに教材として相応しい。
 明日の授業では、まず上記のインタビュー記事から要点を取り出すことを導入とし、補助教材として、上田正昭『死をみつめて生きる 日本人の自然観と死生観』(角川選書、2012年)からの抜粋を読んだ上で、『死生観を問う』の読解へと入る。もっとも、読解といっても、本書のなかから選んだ数節に私が解説を加えていくという形になる。解説は全部日本語で行うから、話が一方的にならないように、学生たちには、話の区切りごとに、いくつか問題を出し、その解答を書いてもらいながら、授業を進めていくつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


現代社会のよりよき理解のために必要な歴史研究

2023-11-13 09:48:48 | 読游摘録

 一昨日と昨日の記事で取り上げた和文仏訳の問題文の内容と親近性のあるテキストを今朝たまたま見つけた。ここに摘録しておきたい。
 その前に、そのテキストに行き当たるまでの経緯を記す。
 三年生の授業で読んでいる前田勉の『江戸の読書会』(平凡社ライブラリー)には、ロジェ・シャルティエからの引用があることには11月10日の記事で言及した。本書には、シャルティエに依拠したシュテファン=ルートヴィヒ・ホフマンの『市民結社と民主主義 1750‐1914』(岩波書店、2009年)からの引用もある。

ロジェ・シャルティエが強調するように、ヨーロッパのどこでも、そうした読書サークルや協会の会員たちは、たとえ身分が違っていたとしても、おたがいに平等であった。彼らは、より文明化されたふるまいの高いレベルに到達しようと、お互いに協力しあうことを望み、国家の枠をこえる新しい社会空間を創り出した。そうした新しい社会空間では、ヨーロッパの啓蒙思想のテキストや理念が流通し、批判的に議論された。 

英語原文は以下の通り。

As Roger Chartier has emphasized, the members of such circles and societies throughout Europe were equals among each other, whatever their position in the corporate order might have been. They wanted to help each other attain a higher level of civilized behavior and created a new, transnational social space in which the texts and ideas of the European Enlightenment could be circulated and critically discussed.
                Stefan-Ludwig Hoffmann, Civil Society. 1750-1914, New York, Palgrave Macmillan, 2006, p. 17.

 前田書がこの引用を行ったのは、同書のもくろみを提示する文脈でのことである。「本書のもくろみは、江戸時代の会読する読書集団のなかから、いかに明治時代の民権結社のような政治的問題を討論する自発的なアソシエーションが生まれていったのか、その過程をたどることによって、ヨーロッパのみならず、東アジアの片隅に位置する島国日本でも、読書会が大きな思想的な役割を果たしたことを示すことにある。」(19‐20頁)
 上掲の引用箇所でホフマンが依拠しているシャルティエの本は、Les origines culturelles de la Révolution française, Éditions du Seuil, 1990 の英訳版である。シャルティエは同書でフランス革命の文化的起源の一つとして自発的な読書サークルを挙げているのだが、ホフマンはそのような身分差を超えたサークル活動が市民社会の形成契機であるとする、より一般化された議論を上掲書のなかで展開する。
 こんな芋づる式検索を授業の準備という名目でしているとき、手元にあるシャルティエの本を何冊か参照していて、本記事の冒頭の段落で言及した一節に出逢った。その一節は、彼の著書のなかではなく、シャルティエがノルベルト・エリアスの『諸個人の社会』(Gesellschaft der Individuen, Suhrkamp Verlag, 1987)の仏訳 La Société des individus, Pocket, 1991 に寄せている序文の最後の段落のなかにある。

L’exigeant détour par l’histoire – une histoire qui, pour lui, n’est pas celle des historiens, trop événementielle – est la condition pour que puisse être élaborée une intelligibilité véritable du monde contemporain. (p. 29)

 同時代の社会学者たちが「現代」にしか関心を示さないことをエリアスが厳しく批判していたことをシャルティエが指摘している文脈でこの一文が出てくる。現代社会を真によく理解するためには、過去の史実を正確に認識することが不可欠であるというこの主張は、昨日の問題文の意図と重なる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


和文仏訳問題(下)

2023-11-12 15:19:30 | 講義の余白から

 まず、昨日の記事の最後に載せた出題文をふりがなと語彙抜きで再掲する。

歴史を学ぶことは、歴史上のできごとや年号とか人物のことを暗記することと錯覚している人々が多い。しかしそれは全くの誤りである。過去の史実を正確に認識して現在をよりよく理解し、そして未来を自分なりに展望するために歴史を学ぶのである。

 第一文は、完全な誤訳というのは少なかったが、それでも「歴史を学ぶことは」の扱いで躓いている答案は少なくなかった。どこで躓くのか。
 一年のときに「は」は提題であって主語ではないと教わる。それはそれでよいのだが、その提題がつねに文全体を支配すると思い込んでいる学生が多い。しかし、この文の場合、「は」の支配は「暗記すること」までである。言い換えれば、提題は、錯覚の内容に含まれている。そして、「歴史を学ぶことは~暗記することと錯覚している」は「人々」を修飾している。いわゆる「連体修飾」である。つまり、この文は、[[歴史を学ぶことは~暗記すること]と錯覚している]人々が多い、という入れ子構造になっている。この構造を正確に把握するのが学生たちには必ずしも容易ではないのである。
 さすがに第二文はまるで間違っている訳はほとんどなかったが、「全く」が訳せていない答案は多かった。私自身は普通「まったく」とひらがなで書くが、ここを敢えて原文のままにしたのは、ひらがなにしてしまうと、「まったく」という副詞を知らない学生にはお手上げだから、「全」という一年生で学習している漢字を残し、たとえ副詞「まったく」を知らなくても、漢字「全」の意味から推量する余地を残すためである。それでも正しく訳せなかった学生たちには、「君たち一年生のときいったい何を勉強したの」と聞いてみたい。
 もっとも出来が悪かったのは第三文である。確かに一番長く、連用節同士の関係を正確に把握するのがそれだけ難しい。それに、この文には、文法的な規則のみによってそれらの関係を一義的に決定できないという難しさがある。つまり、「過去の史実を正確に認識して」「現在をよりよく理解し」「そして未来を自分なりに展望するために」という三つの連用節相互の関係をどう理解するかという問題である。
 一番単純な解釈は、三者を並列とする解釈である。つまり、「過去の史実を正確に認識する」「現在をよりよく理解する」「未来を自分なりに展望する」という三者それぞれを「歴史を学ぶ」目的の構成要素とする解釈である。実際、そう解釈した訳がいくつかあった。
 しかし、原文は、「過去の史実を正確に認識して現在をよりよく理解し」となっていることから、これらをひとまとまりの連用節としてとらえ、その内部で第一連用節が第二連用節を修飾していると解釈することもできる。そして、おそらく、これが著者の意図に沿った解釈である。つまり、過去の史実を正確に認識するのは、それ自体が歴史を学ぶ目的ではなく、過去の史実の正確な認識は現在をよりよく理解するためであり、それが歴史を学ぶ目的だという考え方である。
 第三の連用節「未来を自分なりに展望するために」との関係をどう理解するかという問題がそこに加わる。「未来を自分なりに展望する」ことは、「過去の史実を正確に認識」することによって「現在をよりよく理解すること」を前提としていると解釈するのが妥当であろう。
 これらの諸関係を正確に把握することができてはじめて、それらを訳に反映させることできる。これら一連の構文解釈が日本語学習者にはそんなに簡単なことではないのである。
 もう一つの難しさは、読点の機能の理解である。この問題は、日本語には読点に関してちゃんと確立した規則がなく、書き手によって用法が違うだけにやっかいである。問題文に即して言うと、「過去の史実を正確に認識して現在をよりよく理解し、そして未来を自分なりに展望するために歴史を学ぶのである」という文を、読点の前後で二つに分けてしまっていた訳がいくつかあった。つまり、「歴史を学ぶ」目的は「未来を自分なりに展望する」ことのみにあり、読点の前の部分は、その前提としてしまっていたのである。文法的には、このように二つに分けることを間違いだとは言えない。しかし、内容的には支持し難い解釈である。これは構文把握の問題ではなく、内容の知的理解の問題である。
 日本人にとってはなんら躓くところのないような「平易な」文章のなかにも、外国人学習者にとっては「躓きの石」となる問題がこれだけ詰まっているのである。

 以下が模範解答。

Nombreux sont ceux qui pensent par méprise qu’étudier l’histoire signifie apprendre par cœur des événements, des noms d’ère et des personnages historiques. Or, c’est complètement faux. Nous étudions l’histoire afin de reconnaître avec précision les faits historiques passés pour mieux comprendre le présent, puis d’envisager l’avenir à notre manière.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


和文仏訳問題(上)

2023-11-11 23:59:59 | 講義の余白から

 最後まで後回しにしていた二年生の試験の採点作業にようやく取り掛かる。答案は54枚。問題は、一番が語彙問題、二番が記述式解答、三番が和文仏訳。採点を始めてみると、思ったより速く捗る。この調子なら明日午前中には終えることができる。
 出来には相当にばらつきがある。よく授業内容を復習したことがわかる優秀答案が三割程度ある一方、あきらかに何の準備もせずに試験を受けに来ただけのスカスカ答案も同じくらいある。ただ、後者は採点が楽だから、それらの答案の主たちに実は密かに感謝している(いつもアリガトね)。
 意外だったのは、三番の和文仏訳の出来の悪さである。易しすぎる出題だったかと心配していたのだが、こんな文章さえまともに訳せないのかと驚かされる結果となった。完全解答はたった一人。ほぼ完璧を含めても数人しかいなかった。
 私は日本語の授業は担当していないし、一年の授業は持っていないので、今の二年生の日本語力については同僚から聞いている全般的な評価しか知らない。確かに、学年途中での脱落者が例年になく多い学年だとは聞いていたが、今年度の私の授業に関しては、出席率もよく、授業態度も好ましく、授業中の反応も良かった。だが、日本語の読解力そのものについては、どの程度なのかよくわからないままに出題した。出題したこちらとしては、易しい問題をプレゼントしたつもりだったのだが。
 出題文は、ある高名な歴史家の一般向け書籍から取ったものである。ごくわずかだが、漢字をひらがなに変え、表現を省略したところがあるから、さらに元の文よりさらに易しくなっている。しかも、二年生がまだ習っていない漢字にはふりがなを振り、未学習の語彙には仏訳までつけるというサービスぶりである。つまり単語レベルでは、意味のわからない言葉はほぼないという条件で訳させたのである。
 以下がその出題文である。

歴史を学(まな)ぶことは、歴史上(じょう)のできごとや年号(ねんごう)とか人物(じんぶつ)のことを暗記(あんき)することと錯覚(さっかく)している人々が多い。しかしそれは全(まった)くの誤(あやま)りである。過去の史実(しじつ)を正確(せいかく)に認識(にんしき)して現在をよりよく理解し、そして未来を自分なりに展望(てんぼう)するために歴史を学ぶのである。

年号:nom d’ère 人物:personnage 暗記する:apprendre par cœur 錯覚する:penser par méprise 誤り:faute 史実:fait historique 正確に:avec précision 認識する:reconnaîtr 展望する:envisager

 いったこの出題文のどこが難しいというのか。学生たちの悪訳から、彼らにとってどこが難しかったのか、逆に教えられる結果となった。