内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私は自分の体のことがよくわからない

2024-02-19 18:30:18 | 雑感

 この四半世紀、健康診断を除けば、ほとんど医者にかかったこともなく、病院の世話になったこともない私は、自分の体がどうなっているのか実はよくわかっていない。
 先月、数年ぶりの「大病」で一週間苦しんだことはこのブログでも何回か「実況中継」した。そのせいで体の中に何らかの変化があったことはまちがいなく、以前にはなかった心肺機能の不調が続いている。
 昨日も、一キロも走ると喉が締め付けられるように苦しくなり、とても走り続けることができない。数百メートル歩きながら、その締め付けられる感じが消えるのを待つ。そして、また走り出す。だがやはり一キロ余り走ると苦しくなる。その繰り返しだった。
 それだけではなく、自転車に乗っていてもわずかだが息苦しさを感じることもある。これも以前にはまったくなかったことだ。机に向かって座っているだけなのに、あるいは布団に横になっているのに、心臓が押さえつけられるように感じることもある。いずれも日常生活に支障をきたすほどの苦しさではないが、以前と自分の体が変わってしまったとは感じる。
 今朝も自転車で大学に出向くとき、ちょっと呼吸が苦しくなった。大学に着いてすぐに何の違和感もなくなった。昼食は、昨春からサバティカルでストラスブールに滞在中の日本人の先生のご自宅に学科長とともに招待された。三時間ほど歓談した。その間ワインも飲んだ。白赤合わせてボトル一本分くらい。ほろ酔い気分で帰宅した。
 日没まではまだニ時間ほどあるし、体調にも問題なさそうので、ジョギングすることにした。ただ、アルコールが入った状態で運動することが体にいいはずはなく、ちょっとでも苦しくなったらさっさと切り上げるつもりだった。
 ところが、である。なんか調子がいいのである。全然呼吸が苦しくならないどころか、いつもよりペースを上げてもまったく平気なのである。体も軽い。「あれぇ。これって、どういうこと?」と半信半疑で走り続け、結果、一時間で十キロ休みなしに走れた。
 なぜなのだろう。適度なアルコールのおかげで血液循環がよくなり、心肺に十分な酸素が供給されたからだろうか。これからは一杯引っ掛けてからジョギングしようなどという馬鹿げた結論を今日一日の結果から引き出すつもりは毛頭ないが、一月の病気以前の調子で気持ちよく走れたことは事実である。前日にアルコールを控えた昨日はあんなに調子悪かったのに……。いったいどうなっているのだろう、私の体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明日は我が身のこととして読む ― 沖田×華『お別れホスピタル』

2024-02-18 14:21:26 | 読游摘録

 アマゾン・プライムにわずかな追加料金で加えることができるNHKオンデマンドで視聴可能な番組は海外からもVPNを使うことで観ることができる。朝ドラも大河ドラマも、日本の本放送から半日から一日遅れで視聴できるし、過去のドラマも多数視聴可能である。ただ、あまりにもその数が多くて、面白そうだとは思いつつも、実際にはそのごくほんの一部しか観ていない。でも、先日話題にした『デフ・ヴォイス』も『あれからどうした』もオンデマンドのおかげで全回鑑賞できた。
 今月の土曜ドラマ『お別れホスピタル』(主演・岸井ゆきの)沖田×華の同名漫画が原作である。全四回のうち、三日と十日放映の二回は観た。とてもいいドラマだ。岸井ゆきのの代表作の一つになると思う。今日これから第三回目を観る。ドラマについての感想は全四回を観おわってからにしたい。
 第一回は、ドラマについての予備知識なしで、ただタイトルと簡単な紹介文に惹かれて観はじめた。ところが、はじまって十分ほどして、「あれぇ、この雰囲気と音楽、何かはじめてじゃないような……」と気づいた。観おわってからドラマの情報を検索した。「ああ、やっぱりそうだったか」と得心した。沖田×華の『透明なゆりかご』を原作とした清原果耶主演のNHKドラマはDVDも所有していて全回何度も観ている。原作者が同じだけでなく、音楽も同じ清水靖晃だ。それで、初視聴なのに、「懐かしさ」を感じたのだ。
 原作の漫画は、現在十一巻まで刊行されている。第一巻から第三巻の電子書籍版は、ハイブリッド型総合書店HONTOのサイトにアクセスすると、今月二十六日まで無料で読める。
 ある病院の終末期病棟を舞台に、患者それぞれの人間性とドラマが、沖田×華ならではの優しい眼差しと真剣な問いかけとほんのりとしたユーモアを交えて、一話完結式で丁寧に描き分けられていく。それらの話を読んでいると、終末期医療をめぐるさまざまな問題が自ずと眼の前に突きつけられる。ところが、取り上げようによっては救い難く暗く深刻な話になってしまうテーマが並んでいるのに、不思議とどの話にも温かみと救いが感じられるのだ。
 それはきっと『透明なゆりかご』と通底する、作者の命への深い慈しみが全編に浸透しているからだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大学公開日に思う ― 受験生諸君、君たちには夢見る権利があることは忘れないで

2024-02-17 21:29:50 | 雑感

 今日は大学公開日でした。学科長の依頼で「お供」をしました。学科長が学科の全体的紹介をした後、私の責任に関わる二つの主題(入学願書と日本留学)について補足的な説明をすること、その後の個別質問に答えることが私の役回りでした。大過なくお役目を果たすことができたと思います。
 全体的説明の後、個別質問に来る高校生たち、ほんとうに「かわいい」。その心はと言いますとね、彼女ら彼らは、「ダイガクのセンセイ」という代物にはじめて面と向かって質問するわけですよ。もう緊張しまくっているわけです。それが手に取るようにわかるのです。だから、まずはその緊張を解いてあげて、どんな質問をしてもいいんだよということを伝える必要があります。
 学科の教科内容に関する具体的な質問に答えることは簡単です。現行規則を説明すればいいのですから。
 他方、彼女ら彼らにとっては真剣かつ大切な問いに答えることは必ずしも容易ではありません。例えば、「将来何をしたいのかよくわからないのですが、そのことをそのまま志望動機書に書いてもいいのでしょうか」って、真正面から聞いてくる高校生もいるのです。
 さあ、どう答えましょう。
 私は、「そうだよね、そんなこと、まだわかるわけないよね。だから、そのとおり書いていいんだよ。書類審査のとき、それが不利に働くことはないから。それは書類審査の責任者である私が保証するから」とまず安心させます。
 そのうえで、「でもね、自分の将来を夢見てごらん。夢でいいから、それを書いてごらん」と付け加えます。それを聞くと、皆、例外なく、嬉しそうな顔をするのです。
 若き彼女ら彼らについて私は思うのです。これからの世界はほんとうに不安に満ちている。そんななかでどうやって生きていけばよいかなんて、わからないほうがフツーだよねって。親たちだって、ほんとうはわかちゃいないしね。
 もしかしたら我が日本学科に来年度来てくれる高校生たちよ、これからほんとうにいろいろ大変だと思う。すでにオワコンの私たちの世代と比べて、少なくとも数倍、いや数十倍、は大変だと思う。それでも言いたい、君たちにはいつでも夢見る権利があることは忘れないで、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


平安時代の「おいらか」なる女性たち

2024-02-16 23:50:39 | 日本語について

 昨日の記事で話題にした「おいらか」という言葉の理解をさらに深めるべく、手元にある古語辞典から参考になる記述を摘録する。
 まず、『岩波古語辞典 補訂版』(一九九〇年)から。

オイは老いの意。ラカは状態を示す接尾語。年老いて感情が淡く、気持ちの波立ちが少なくなるように、執心が少なく平静なこと。多く人の性質や態度にいう。

 この語釈をさらに発展させたのが『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、二〇一一年)である。

オイ(老い)に、状態を示す接尾語ラカの付いた語。大島本『源氏物語』には「老らか」と表記した箇所もある。年老いて感受性が衰えた人のような、情動や動作に、角や棘、起伏のない平静・温順・無頓着なさまなどが中心的概念。全体をおおらかの意味に解するのは誤りである。また、ものが平坦で凹凸のないさまにも用いられた。
オイラカがよい意味で使われるときにも「老い」のもつ鈍さや弱さ・淡さなどのニュアンスは残っている。

 しかし、この語釈には異論もあるようで、「「老い」に状態を示す「らか」が付いて、老成して感情が平静なようすを表すようになったという説がある」(『新全訳古語辞典』大修館書店、二〇一七年)、あるいは「「おほらかなり」が変化したものともいわれるが、年長の者は心が平静であるという判断から、「老い」や「親」などのことばと関係するという説もある」(『ベネッセ全訳古語辞典 改訂版』二〇〇七年)というように、「老い+らか」説を一説として紹介するにとどめている辞書もある。
 平安時代、女性を賛美する表現として用いられることが多かったこの語に「老い」のもつニュアンスが残っているとは直ちには思いにくいが、「おほどか」(心がひろく、おおような穏やかさをいう。『新全訳古語辞典』)とは異なった人のあり方・態度である「感情が波立たない平静さをいう」(同辞書)語として「おいらか」が使われていることはわかる。
 『角川全訳古語辞典』(二〇〇二年)は「おいらか」の対義語として、「くせぐせし」(ひと癖ある。素直でない。ひねくれて意地が悪い)を挙げている。この語、昨日引いた『紫式部日記』の「あやしきまでおいらかに」の数行後に出てくる。
 『全訳読解古語辞典』(三省堂、第五版、小型版、二〇一七年)には、「おいらか」の両義性について以下のような解説があり参考になる。

『源氏物語』の「おいらか」なる女性たち
賛美の「おいらか」 人の性格や態度が「おいらか」と評されても、賛美される場合とそうでない場合がある。『源氏物語』では、花散里の素直でおだやかな人柄が「おいらか」であるとされ、若菜上巻以降になると[ …]紫の上が「おいらかなる人」として光源氏に称賛されている。
無関心ゆえの「おいらか」 一方、女三の宮も「おいらか」とされているが、こちらは物事に対する関心が少なく、感情も乏しいおっとりしたさまがとらえられている。紫の上も女三の宮も「おいらか」で、表面的には素直な感じになるが、その内実に大きな違いがある。

 この内実の大きな違いを、昨日引用した山本淳子説のように、「意図的」と「無意図的」との違いとすることができるであろうか。ちょっと無理な気がする。
 内実云々というと話が難しくなる。もっと単純に考えられないであろうか。たとえば、紫の上の「おいらか」さは、まわりの人たちをも穏やかな気持ちにするのに対して、女三の宮の「おいらか」さはまわりをがっかりさせる、とか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「あやしきまでおいらかに」― 人は意識的努力によって本性を獲得できるか

2024-02-15 17:29:47 | 読游摘録

 今日実際に我が身にあったことだが、その具体的細部を一切省略し、そのとき心に感じたことのみを抽出して言葉にするとすれば、『紫式部日記』の次の箇所がまさにそれに相当する。原文、そして山本淳子氏の訳(角川ソフィア文庫版)を引く。

まして人の中にまじりては、言はまほしきことも侍れど、「いでや」と思ほえ、心得まじき人には言ひて益なかるべし、物もどきうちし「われは」と思へる人の前にてはうるさければもの言ふことももの憂く侍り。ことにいとしも物のかたがた得たる人は難し。ただ、わが心の立てつる筋をとらへて、人をば無きになすなめり。

まして同僚女房の中にあっては、言いたいこともございますけれど、つい「いやいや」と思われて抑えてしまいます。分かってくれない人には言っても何の得にもならないでしょう。また人をけなして「我こそは」という顔をしている人の前では、煩わしくて口をきくのもうっとうしくなります。(それにしても)そういう方の中にも特に万事に秀でた人とは滅多にいないものです。皆ただ自分のこれと決めた価値基準に従って、人をだめと決めつけるようですね。

 この後に、式部が同僚からいかに誤解されていたか、同僚との面倒を避けるために自分が「惚け痴れたる人」のふりをした結果として、同僚から式部についてどのような評言が返ってきたかが記される。そのなかに今日の記事のタイトルに引いた「あやしきまでおいらかに」(不思議なほどにおっとりしてして)という表現が出てくる。
 言うまでもなく、紫式部は根っから「おいらか」などではない。むしろ真逆である。この「おいらか」について、山本淳子氏は角川ソフィア文庫版に次のような補注を加えている。

「おいらか」は人間関係に角を立てないような方法・態度・性格を言い、意図的な場合も無意図的にそのようである場合も用いられる。したがって、能力と分別のある人物が物事をうまく運ぶために穏便な方法を取ることも、無能だったり幼かったりで我意のない人物が殊に意識せず行動することも、同様に「おいらか」と形容される。紫式部の「惚け痴れたる人」になりきった態度は、女房内の人間関係に角を立てないものだったため、事実として「おいらか」であった。紫式部は期せずして前者の「意図的おいらか」を行っていたことになる。だが「おいらか」には後者のような多少軽侮の対象となる場合もある。「おいらけ者」はそうしたニュアンスを持つ造語であろう。しかし紫式部は頭を切り替え、自ら真に意図的な「おいらか」を本性としようと努力を始める。なお、『源氏物語』で「おいらか」と評される回数が多い女性は紫の上と女三の宮。紫の上は意図的おいらか、女三の宮は無意図的おいらかの典型と言える。

 大変興味深い指摘だと思うが、次の二点において私は疑問を懐いている。
 一点は、意図的努力によって本性は獲得できるのか、という疑問である。上掲の補注には、「努力を始める」とあるから、その努力が実ったかどうかは問われていない。だが、この補注では、意図的に「おいらか」であることは可能だと考えられている。しかし、それはまさにそう振る舞う本人が「おいらか」ではないからこそ可能なのではないか。意図的に「おいらか」に振る舞えるのは「おいらか」ではない人だけではないのか。もし紫式部がほんとうにそうなれると信じて努力したとすれば、本来実現不可能なことのために努力したことになり、その結果は不幸でしかありえないと私は思うのだが。
 もう一点は、『源氏物語』で紫の上について「おいらか」が使われているすべての用例に基づいて、紫の上の「おいらか」は意図的であると単純に規定できるのか、という疑問である。いや、それ以前の問題として、そもそも「おいらか」を意図的か無意図的かという二分法で捉えようとすること自体に無理があるのではないだろうか。
 その諸著作を愛読し尊敬申し上げている一流の研究者に楯突くつもりは毛頭ないが、素人が懐いた素朴な疑問としてここに記した次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人と人の親和とは

2024-02-14 17:03:21 | 雑感

 「気が合う」「意気投合する」「嗜好が同じ」など、人間関係上の近しさを表す表現は多数あるが、私は特に「親和」という言葉を大切にしている。
 「親和」という言葉を辞書で引いてみると、「①互いに親しみ、仲よくすること。②異種の物質がよく化合すること。」(『明鏡国語辞典』第三版、2021年)とある。私はこの二つの語義がいわば混合されたような意味で人と人との間の親和を考えている。
 どういうことかというと、それぞれにさまざまな点で異なった存在である個人でありながら、一緒にいて話していると互いの間に引きつけ合う力が働き、その力から何らかの共通感覚が発生し、その共通感覚に刺激されて、それぞれのうちに互いに共鳴し合うような思考がそれぞれの関心に応じつつ形成されていることが対話を通じて互いに確認できるとき、私はそのような相互的引力を「親和力」、その結果生まれた共同性を「親和性」と呼び、そのような対経験を共有することができている相手に「私たちには親和性がありますね」と言いたいのである。
 親和とは、汝のなかに私を見出し、私の中に汝が見出され、私にも汝にも還元されえない思考と感性の次元が二人の間に開かれることだと言ってもよい。そのような相手に出会えることはそうそうあることではない。それだけに出会えたときの喜びは大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無病息災から一病息災への転換の年なのかも知れない

2024-02-13 23:59:59 | 雑感

 日中、久しぶりに青空が広がった。一月半ばに寒波に襲われ、二月はずっと雨模様。夜半あるいは明け方に氷雨がきまったように降る。午前中ジョギングに出ると、気温は十度前後でさほど寒くはないのだが、路面はいつも濡れていた。今日は久々にあらかた乾いた路面を走ることができた。
 ところが、そんな気持ちよく走れるはずの天気なのに、体の調子の方があまりよくなかった。先月半ばに一週間インフルエンザで苦しんだ後、どうも呼吸系に違和感を覚えることが以前に比べて頻繁になった。
 走っているときに少し呼吸が苦しくなって、走り続けられなくなることは一年ほど前から、季節を問わず、ときどきあったのだが、ここ三週間ほど、部屋で机に向かってじっとしているだけなのに、気管から気管支あたりにかけてわずかだが圧迫を感じることがある。それが心臓のあたりにまで広がることもある。呼吸が苦しくなるほどではないのだが、何かに夢中になれば忘れられるような軽い圧迫感ではない。
 ただ、不思議なことに、そんな違和感を覚えつつ走り始めても、ゆっくりとならそのまま十数キロ走り続けられる日もあれば、逆に、走り出しには何の違和感もなかったのに、数分間走ったあとに急に呼吸が苦しくなる日もあり、そんなときはすぐに走るのを止め、歩きながら回復を待つ。
 今日は、一キロほど走っては数百メートル歩くことを繰り返すだけで終わった。トータルで十二キロにはなったけれど不本意だ。
 昨年までは無病息災が「標準設定」であったが、今年は私にとって一病息災への転換の年になるのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


語学上達に必要な自己訂正力はその他の分野にも応用できる

2024-02-12 17:32:06 | 日本語について

 外国語で話す場合、内容や場面やその他の条件にもよりますが、間違いのない完璧な表現を目指すことは、「百害あって一利なし」とまでは言いませんが、いわば自分で自分の首を絞めるようなもので、生産的ではありません。
 私が普段接している学生たちは、当然、さまざまな間違いを含んだ日本語を話すわけですが、私が担当する授業では、語学の授業ではないこともあり、あまり間違いを指摘することはありません。授業外で面接の練習をするときなども、まずは自由に話させます。
 かといって、間違いなど気にせずに、自分の話したいように話せばそれでいいのだ、と彼らに言いたいのでもありません。一定以上の期間に亘って何回も同じ間違いを繰り返す学生はだいたいろくに進歩しません。言葉に対して無神経であり、向上心にも欠けているのですから、当然の結果ですね。
 言語表現上の間違いといっても、いろいろなレベルとタイプがあり、しかも、内容や場面やその他の諸条件によって、許容される間違いの範囲も異なります。
 ただし、ここではプロの通訳の場合のような高度なレベルは対象外とします。二、三年の外国語学習経験があり、基礎文法は一通り習得し(たことになっていて)、日常会話および海外旅行で必要とされる最低限の語学力はすでに身につけている(と本人が信じている)場合に話を限定します。
 学生たちの間違いを観察していると、かなりよくできる学生でも、初級で習ったはずの初歩的な文法事項において、二年や三年になっても間違い続ける学生がいます。これは、多くの場合、その間違いをもう誰も指摘してくれなくなっているからです。間違っていても通じてしまう場合、教師もいちいち指摘しませんし、彼らの日本人の友人たちも、会話の進行のさまたげにならなければ、間違いをその都度指摘することはなくなります。
 ここで止まってしまうと、何年続けても飛躍的な進歩は望めません。つまり、その先に行くためには、自分で自分の間違いに気づけるようになる自己訂正力を身につける必要があるのです。
 ところが、これが実際にはなかなか難しいわけです。独力でこの壁を越えていくことができる学生もいなくはありませんが、そういう学生は放っておいても一人でやっていけるので、極端に言えば、大学で日本語など勉強しなくてもよろしい。
 では、学生が自己訂正力を身につけるためにはどんなアドヴァイスをすればいいでしょうか。私は語学教育の専門家ではなく、学習理論など何も知りませんが、自分の体験に基づいて、次のように指導しています。
 一回に一点だけ、次回からはその間違いだけは絶対にするなと命じます。その他の間違いについては一切指摘しません。その指摘する一点は、学生のレベルとその時点での直近の目的によります。単にある単語の発音だけのこともありますし、ある不適切な表現を別の適切な表現に置き換えるだけのこともありますが、他方では、文法的にちょっと高度な言葉の組み合わせに関する指摘をすることもあります。
 要は、ある一点に彼らの意識を集中させることです。一つだけならクリアするのもそう難しくはないからです。
 ただ、この指導法には大きな欠点があります。時間がやたらとかかることです。他にも無視し難い間違いがあるのに、とにかく一回一点しか指摘できないのですから。特に、学生の方が言われたことだけしかしない受動的な姿勢だと時間がかかります。教師がただ辛抱すればよいというものではありません。
 この指導法が実を結ぶのは、学生自身がこの一回一点の原則を自ら進んで遵守するようになるときです。こうなると、格段に進歩の速度が向上します。
 実は、これは語学力の問題ではなく、ちょっと大げさに言えば、知的能力の問題です。具体的に言うと、自分がどこで間違いやすいか、その傾向とパターンを自分で分析することができ、その原因を突き止め、その上で、そのような間違いを繰り返さないように適切な措置を自分で講じられる能力のことです。
 そして、語学において身につけた自己訂正力は他の分野にも応用可能なのです。このレベルに達したときにはじめて、一つの外国語を学んだ意味がほんとうにわかるのだと私は考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


追悼=小澤征爾 ― フォーレの『レクイエム』を聴きつつ

2024-02-11 16:09:10 | 雑感

 大江健三郎氏(1935年1月31日生)が昨年3月3日に88歳で亡くなられ、今月6日に同年生まれ(9月1日)の小澤征爾氏がやはり88歳で亡くなられた。私は大江作品の良き読者ではなく、小澤氏の演奏を特に好んでいたわけではなかった。それでも、戦後日本の精神の品位とダイナミズムと志の高さを文学と西洋音楽の分野において世界的なレベルで体現し続けた無二のその偉業を讃えることに躊躇いはない。
 昨年末だったか、滞在先のホテルでテレビを観ていたとき、NHKの2023年クラッシク音楽回顧みたいな番組だったと思うが、小澤氏が総監督を務める「セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)」(長野県松本市)で9月2日に指揮を振ったジョン・ウイリアムズの演奏の映像が流れた。
 演奏後、舞台袖で演奏を聴いていた小澤氏がウイリアムズの促しで舞台に登場した。その姿に私は胸を突かれた。人に押された車椅子に沈み込むように小さく座った氏は、膝に赤い毛氈を掛け、赤いマフラに白いマスク姿で登場した。その弱々しい姿は痛々しくさえあり、こんな状態なのに無理に舞台上に引きずり出すことはないじゃないかとテレビを観ながら一人憤ったりもした。
 だから、今回の訃報は驚きではなかった。晩年は闘病生活も長く、かつてのような目覚ましい活動はされていなかったが、指揮者・音楽監督としての世界のトップレベルでの長年のご活躍は長く人々の記憶に残るであろうし、日本の西洋音楽の水準を飛躍的に高めたその功績は不朽である。
 今日は、朝から追悼の意を込めて、氏が指揮された作品をずっと聴いていた。氏の演奏はそれほど熱心に聴いてこなかったから、まったく偏狭な個人的趣味から選んで聴いた。
 プロコフィエフ『ロミオとジュリエット』、リムスキー・コルサコフ『シェエラザード』、ホルスト『惑星』、ドボルザーク交響曲第9番「新世界より」、マーラー交響曲第一番「巨人」、フォーレ『ペレアスとメリザンド』、ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』(ピアノ=クリスチャン・ツィメルマン)、チャイコフスキー『くるみ割り人形』、ベートーヴェン交響曲第七番、バッハ『ロ短調ミサ曲』・『マタイ受難曲』。
 そして、心よりの冥福を祈りつつ、フォーレの『レクイエム』を聴きながら、この記事を書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ストラスブールで観光客が来ないお洒落なレストランで食事がしたければ

2024-02-10 20:33:10 | 雑感

 昨日、不意打ちをくらうように、私にとって日本に行くことはどこかに「帰る」ことなのかと聞かれた。そう聞かれてとまどった。もう帰る場所などないからだ。
 かといって、フランスに骨を埋めたいとも思っていない。それはまっぴらごめんだ。なぜか。私にはフランスに「根」などないからだ。
 そう、私はどこにも帰る場所がない。だからって、感傷的になっているのでも、鬱々としているのでもない。「そうなんだからそうなんだ」というだけのこと。強がりでも虚勢でもない。「無思慮」「身から出た錆」「自業自得」等々、私にそういう言葉を投げつけたい人は、どうぞ、そう言えばいいだろう。あなたたちとは私はもう二度と言葉を交わさないだろう。
 「絶対にフランスでは死にたくないから、日本のどこか、自分が住んでみたいと思う街で最期を過ごせれば、それでいいかな」という、要領を得ない返事でその会話は終わった。
 ああ、こんな話はどうでもよい。
 その後二人で行ったレストラン L’imaginaire は最高だった。ストラスブールの中心街からかなり外れた、こんなところにと驚くような場所にこの素敵なレストランはある。ストラスブールの中心街には確かにいくつかの名店はあるし、全体としてレベルは高い。でも、観光とは無縁の小さな街にあるレストランで創意あふれるヌーベル・キュイジーヌを味わいたければ、ここ、お薦めです。ただ、財布の紐は相当緩める必要があります。でも、それだけのこと、あります。