内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

沈黙の中の心の叫び

2024-06-18 23:59:59 | 雑感

 午前中、来年度のために新たに募集した講師のポストの最終面接に召喚する候補者の選考を二人の同僚とテレビ会議で行い、その直後にやはりテレビ会議で、副査をお願いした別の同僚と一緒に、私が指導教官を努めている修士一年生の年度末審査を行った。午後には日課のジョギングで11キロ走る。夕方には、学科長と来年度の担当科目の割り振りについてテレビ会議で話し合った。傍から見れば、職務を粛々と執り行い、健康維持にも配慮された、特段の問題もない平穏な一日のように見えたかも知れない。
 だが、本人の心のうちはその外見とは裏腹に不安に満ち、一瞬の安堵感も許されない状態がずっと続いている。
 我が身の上に今直接関わること、職場での来年度の想定外の重い責任、近い将来に置かれざるをえない不安的な状態、ますます不寛容で差別的で排他的になってゆく社会の諸問題、もう帰る場所もない祖国、今世界で起こっている戦争、その間も深刻化し続ける環境破壊・気候変動などなど、これらすべてのことが小さき我が身にのしかかる途方もない重圧となって、近くから遠くから、四方八方から、心を締めつける毎日を送っていると、いつまでこの身がもつかわからないし、ましてやその先は想像すらできないし、かといってすべてを投げ出して遁走することもできず、誰にも助けを求めることもできず、そんな中でもなんとか一日一日を大切に生きようと朝早く起き出してもすぐに安易に流れ、瞬く間に一日は終わり、人生は情け容赦なく不可逆的に痩せ細っていき、それでもふっと蝋燭の火が消えるように静かに生を終えられる保証はなく、ただ死ねないから生きているだけで、そうしていれば苦しみは増すばかりなのに、苦しみの叫びをあげることさえ許されず、すべては因果応報と諦観に傾きつつも、きっぱりとあきらめることもできず、来世などあるはずもないと理性に囁かれ、あらゆる救済への扉は固く閉ざされている。
 これまさに「生き地獄」でなくてなんであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幸いにも出会うことができたなつかしき作品たちへの感謝の言葉

2024-06-17 03:13:37 | 雑感

 私にもかつてあった青年期、と言いたくなるほど今では非現実的な過去の彼方にある昔、吉田秀和の文章をよく読んでいました。その理由は、一方では、全幅の信頼を置ける音楽評論家としての彼の楽曲・作曲家・演奏家等についての評言を知りたかったからであり、他方では、どんな主題を扱っていても明度が高くてしなやかで凛としたその散文を嘆賞するためでした。
 もう茫々たる遠い思い出なので確かなことは言えませんが、名曲を解説する吉田の文章の中で、この曲をまだ知らず、発見する喜びをこれから味わえる人たちを羨むという趣旨の文言に何度か出会ったことがあります。
 そうか、知らないからこそ発見の喜びというものがあるのか、と自分の無知をいささか慰められ、嬉しかった覚えがあります。知る人ぞ知る名曲であれ、それを知らない本人にとっては、まったく新鮮な曲として聴くことができるわけであり、これは無知である者の「特権」とも言えなくもありませんよね。
 以来、知らないことを恥ずかしがらず、初めて聴いたときに、「わあぁ、これって、なんていい曲なんだろう」と、素直に喜べるようになりました。それは今もそうです。
 ことは文学作品でも同様であると一応は言えるでしょうか。ただ、音楽とはちょっと違うかなとも思います。
 高校一年生まではろくすっぽ本を読まなかった私は、いわゆる児童文学の傑作・名作は何も読んでいないに等しく、それを「大人」になってから読んでも、もう素直に「発見の喜び」とは言えません。それなりに楽しめるかも知れませんが、子どものときに読んでいたらば得られたであろう感動はもはやどうにも不可能であり、それは取り返しのつかないことです。それを今さら後悔しても始まりません。
 若い頃に読んでおくべきであった名作を今さら焦って読み漁ろうとはもう思えません。幼年期も思春期も青年期ももう帰っては来ないのですから。新しい作品との出会いを是が非でも求めるよりも、この半世紀ほどの間に馴染んできた、お世話になった、あるいは深い愛着を覚える少なからぬ作品たちを丁寧に読み返していきたい、今はそう思います。そして、読みながらそれらの作品たちそれぞれに、「ありがとうございました。あなたに出会えたことは私にとって幸いでした」と感謝の挨拶をしていきたい。昨日の記事で取り上げた『蜻蛉日記』もそのような一冊です。
 その挨拶は、同時に、出会うことのできなかった数々の名作たちへの間接的な別れの挨拶でもあります。「あなたたちの評判はかねてより聞いていたのですが、いつか読んでみたいとは思っていたのですが、ついに手にとって読む機会が私にはありませんでした。残念です。ごきげんよう、さようなら。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


なつかしき『蜻蛉日記』再訪

2024-06-16 12:53:39 | 読游摘録

 四日前から手元にある『蜻蛉日記』の注釈書(電子書籍版も含む)の再読に多くの時間を割いている。これは修士論文のテーマとして『蜻蛉日記』の受容史を選んだ修士一年生の年度末報告書の審査の準備のためである。
 私は副査でこの学生の論文指導にはあたっていない。この年度末審査は、論文作成の進捗状況によっては実施できない場合もあり、するかしないかは指導教官の判断に任せられている。だから、審査というよりも、学生の論文作成途中報告書について問題点を指摘し、今後の研究ためのアドヴァイス、特に来年度一年間の日本留学期間中に構築すべき参考文献目録と主要文献の収集あるいは閲読についてのアドヴァイスをするのが主な目的である。
 当の報告書は、主題と構成の提示とこれまで読んだ注釈書・参考文献からの摘録の域を出ていない。まだ一年生で、はじめての論文作成なのだから、たいていはこんなものである。「日本語の注釈書をよくがんばって読みましたね。引き続き勉強を続けていってくださいね。Bon courage ! 」と笑顔で一言、ハイおしまい、にしてもいい程度の進捗状況である。
 しかし、『蜻蛉日記』は私が愛読する古典の一つで、その新潮日本古典集成版は、仕事机に向かって椅子に座ったままちょっと背伸びをすれば届く右側の書棚に、『紫式部日記』『和泉式部日記』といっしょに並べてあるくらいであるから、そうはいかないのである。
 私にできるかぎりのアドヴァイスをすべく、主な注釈書をすべて再読した。特に、九年前にストラスブール大学とCEEJAで三日間に亘って行われた国際シンポジウムでの発表の準備のときに付箋を貼った箇所やマーカーを引いた箇所をなつかしく読み直した。このような機会を与えてくれた同僚と学生に感謝している。
 この発表の原稿は、後にシンポジウムの論集 MA ET AÏDA. Des possibilités de la pensée et de la culture japonaise, Philippe Piquier, 2016 に « Le cœur, le corps et le paysage ne font qu’un » というタイトルで収録された。さらにその後、日本語バージョンを『世界文学』という学会誌に「心身景一如 ―日本の詩文における「世界内面空間」の形成―」というタイトルで掲載してもらった。この論文のための覚書をこのブログに二〇一五年二月二十一日から五回に亘って連載した。
 きっかけはなんであれ、古典を読むことで与えられる愉悦は何度味わってもよいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


動物たちにも心的装置を認めた最晩年のフロイト

2024-06-15 11:25:09 | 読游摘録

 フロイトは、昨日引用した『文明への不満』の三年前に刊行された『幻想の未来』(1927)のはじめのほうで、文化と文明とを区別しないでと断ったうえで、文化(文明)に次のような定義を与えている。

文化とは、人間の生を動物的な条件から抜けださせるすべてのものであり、動物の生との違いを作りだすもののことである。(光文社古典新訳文庫『幻想の未来/文化への不満』中山元訳、2013年)

 この定義そのものはフロイトの独創によるものではなく、当時としては多くの欧米知識人たちに共有されていた文化(文明)観であろう。文化(文明)をもっていることにおいて、人間は動物たちとは異なり、より高度な存在である。このような考え方に当時反対する人がいたとしても、それはごく少数だったろう。
 ところが、心的装置に関して、最晩年のフロイトは『精神分析概説』(死の前年1938年に書かれ、死後1940年に刊行)の第一章の末尾で次のように述べている。

心的装置のこの一般的な構図は、人間と心的類似性をもった高等動物についても当てはまる。超自我の存在は、人間においてと同様、その成長過程初期にかなり長い期間依存関係に置かれざるを得なかった生き物の場合にはいたるところに認めるのが妥当であろう。自我とエスとの区別は否定しがたい事実である。動物心理学は、ここに提供されたままになっている興味深い研究にまだまったく取り組んでいない。(仏訳Abrégé de psychanalyse, PUF, 1951からの私訳)

 『幻想の未来』では、文化の定義において人間と動物とをはっきりと区別していたフロイトが、最晩年には、少なくとも高等動物と人間との間の心的装置における類似性を認めていたことは興味深い。フロイトが飼い犬をとても可愛がり、それこそ家族として認めていたことはよく知られているし(二匹の飼い犬についてビンスワンガーに送った1929年12月27日付の手紙参照)、飼い犬と戯れる最晩年のフロイトは映像としても残されている。
 心的装置における人間との類似性をどこまで動物たちに拡張できるかは難しい問題だと思う。ただ、上掲の引用にあるように、成長過程初期に一定期間なんらかの依存関係に置かれた動物たちにその行動を規制する超自我の存在を認めるという仮説に従えば、心的装置を、言語と無意識の関係にのみ基づいたそれに限定することなく、また人間との接触の多寡とは関わりなく、動物たちにも認めることができるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ロマン・ロランの「大洋感覚」への誘惑とそれに対するフロイトの懐疑の間で引き裂かれ、不安に打ち震えるだけの小さな自分

2024-06-14 11:11:14 | 読游摘録

 ピエール・アドは、La philosophie comme manière de vivre, Albin Michel, 2001 ; Le Livre de Poche, « biblio essais », 2004(『生き方としての哲学』法政大学出版局、小黒和子訳、2021年)のなかで、ロマン・ロランのいう 「大洋感覚」(le sentiment océanique)を « l’impression d’être une vague dans un océan sans limites, d’être une partie d’une réalité mystérieuse et infinie » (「限りない大洋の波のひとつであり、神秘的で無限な現実の一部をなしているという印象」)と説明し、ロランの「大洋感覚」の詳細な考察にその一節を割いている Michel Hulin の La mystique sauvage. Aux antipodes de l’esprit, PUF, 1993 ; collection « Quadrige », 2008 から自らの説明を補強するために二箇所引用している。アドが省略している部分も復元して当該箇所を引用する。

Ce qui domine alors, c’est l’intensité du sentiment d’être présent ici et maintenant, au milieu d’un monde lui-même intensément existant, auréolé d’un éclat particulier, saturé de valeurs, prégnant de toutes sortes de qualités éminentes. Bien plus qu’une mythique confusion entre le Moi et le non-Moi, c’est le sentiment d’une co-appartenance essentielle entre moi-même et l’univers ambiant qui s’y déploie. (op. cit., « Quadrige », p. 67-68)

そのとき支配的なのは、それ自体が強烈に存在し、特別な輝きに包まれ、価値が飽和し、あらゆる種類の卓越した特質を含みもった世界のただ中に、今ここに存在しているという感覚の強さである。自我と非自我の間の神話的な混沌などではなく、そこに展開されるのは、自分と周囲の宇宙との間の本質的な共同帰属の感覚である。(私訳)

 ピエール・アドが称賛してやまないこの本の中で、いかなる宗教にも精神的伝統にも属さない「野生の」神秘経験の実例をミッシェル・ユランはふんだんに引用し、それらの間に見られる共通性から、文明の相違を超えた神秘経験の普遍性を実証しようとしている。ロランの「大洋感覚」はその一つの実例として詳述されている。
 本書の考察の起点は、フロイトとロランの往復書簡のなかに明らかに見て取れるこの感覚についての両者の態度の違いにある。フロイトはこの感覚を前にしての躊躇いをロランに隠さない。フロイトは、ロランのいう共同帰属感覚は、明らかにすべき諸限界の区別が曖昧となり、それらが相互的に混信した結果なのではないかという考えにどうしても傾く。その傾きがよく現れているのが『文明への不満』(Das Unbehagen in der Kultur, 1930)の冒頭である。

わたし個人としては、こうした感情が原初的な性格のものであるとは確信できない。ただし他者にこうした感情が実際に存在することも否定できない。問題なのは、この感情をわたしたちが正しく解釈しているかどうか、これがすべての宗教的な欲求の「源泉にして起源」であることをみとめることができるかどうかである。(光文社古典新訳文庫、中山元訳、二〇一三年)

 ロマン・ロランが語りピエール・アドが共感する「大洋感覚」への誘惑は私も強く感じるが、フロイトの懐疑にも耳を傾けたい。そのように引き裂かれて不安に打ち震えているだけの小さな自分以外のものではありえそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「宇宙的尺度」と「奇妙な絶対知」― サン=テグジュペリとメルロ=ポンティ

2024-06-13 13:36:44 | 読游摘録

 サン=テグジュペリの『人間の大地』のなかで「宇宙的尺度」(l’échelle cosmique)という表現が使われている段落を読んでみよう。

Nous voilà donc changés en physiciens, en biologistes, examinant ces civilisations qui ornent des fonds de vallées, et, parfois, par miracle, s’épanouissent comme des parcs là où le climat les favorise. Nous voilà donc jugeant l’homme à l’échelle cosmique, l’observant à travers nos hublots, comme à travers des instruments d’étude. Nous voilà relisant notre histoire.

僕らは物理学者や生物学者に変身し、大河流域の低地を彩る文明を、気候に恵まれたところではときに奇跡的に庭園のように花開く文明を、調査する。僕らはそうして人間を宇宙的尺度で評価し、飛行機の窓から、あたかも実験器具を通じてのように観察する。僕らは僕らの歴史をそうして読み直す。(光文社古典新訳文庫版渋谷豊訳を改変)

 地上からすべてを観察するほかなかった時代は、たとえ尖塔や山の上から観察するにしても、観察されるものと観察するものとは地続きであった。逆に、空は見上げることしかできなかったし、満天の星も地上から観察するしかなかった。
 飛行機の登場とともに、空から地上を観察できるようになった。地上にあるすべてのものから自分を切り離して、それらを空の高みから見下ろすという視点を獲得した。その延長線上に宇宙から見た地球という観点もすでに予想していたからこそ、サン=テグジュペリは「宇宙的」という言葉を使ったのではないだろうか。
 人間が世界を観察する新たな尺度を手に入れたことを示す「宇宙的」という言葉は、だから、「地上」(terrestre)と「天上」(céleste)という対比的な構図とも違う世界観を示している。
 他方、その世界観はメルロ=ポンティが「生成しつつあるベルクソン」のなかで述べている「奇妙な絶対知」(étrange savoir absolu)と背反するものではない。

Le temps est donc moi, je suis la durée que je saisis, c’est en moi la durée qui se saisit elle-même. Et dès maintenant nous sommes à l’absolu. Étrange savoir absolu, puisque nous ne connaissons ni tous nos souvenirs, ni même toute l’épaisseur de notre présent, et que mon contact avec moi-même est « coïncidence partielle » […]. En tout cas, quand il s’agit de moi, c’est parce que le contact est partiel qu’il est absolu, c’est parce que je suis pris dans ma durée que je la sais comme personne, c’est parce qu’elle me déborde que j’en ai une expérience que l’on ne saurait concevoir plus étroite ni plus proche. Le savoir absolu n’est pas survol, il est inhérence. C’est une grande nouveauté en 1889, et qui a de l’avenir, de donner pour principe à la philosophie, non un je pense et ses pensées immanentes, mais un Être-soi dont la cohésion est aussi arrachement.

だから時間は私であり、私は私がとらえる持続であり、私の内においてこそ持続がおのれ自身をとらえる。そして現時点からすでに私たちは絶対的なもののもとにいる。これは奇妙な絶対知だ。というのも私たちは私たちの記憶の全体も、私たちの現在の厚み全体も認識せず、私の私自身との接触は「部分的合致」[…]である。いずれにせよ、私が問題になる場合、接触は部分的だからこそ絶対的なものであり、私が私の持続にとらわれているからこそ、私はそれを誰のものでもないものとしてとらえるのであり、それが私を逸脱するからこそ、私はその経験をもつのだ。この経験はより密接だとも、より近いとも考えられないような経験だろう。絶対知とは上空飛行ではなく、内属のことだ。哲学に対して、「我思う」やその内在的な思考ではなく、凝集することが離脱することでもあるような〈自己であること〉という原理を与えたのは、一八八九年の時点においてはたいへん斬新なことであり、また未来にもつながる考え方だったのである。(『シーニュ』廣瀬浩司訳、ちくま学芸文庫、二〇二〇年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「飛行機の登場とともに、私たちは直線を学んだ」― 過去の読書経験の新たな交叉をもたらす一文 サン=テグジュペリ『人間の大地』より

2024-06-12 07:57:04 | 読游摘録

 フランス語の « à vol d’oiseau » という成句は「直線距離で」「空から見下ろして、鳥瞰の」という二つの意味をもっている。後者の意味では、日本語の「鳥瞰」のなかにも「鳥」が含まれていて、日仏どちらの表現とも「上空を飛翔する鳥のような視点から見ると」という意味で使われる。しかし、仏語の成句の前者の意味は文字通りとは必ずしも言えない。なぜならすべての鳥がいつも一直線に飛ぶとはかぎらないからである。
 人間も含めて鳥のように空を飛ぶことができない地上動物は地表を移動するほかない。何らかの乗り物を使おうがこの制約に変わりはない。直線道路や直線線路を例外として、地上では直線でつまり最短距離で移動することができない。それが鳥のように空を飛べれば可能になるだろう。こう考えて上掲の仏語の表現が生まれたのだと思う。
 実際に人間が地上の制約から解放されて空中の二点間を一直線に進むことができるようになったのは飛行機の登場とともにである。そのことをサン=テグジュペリは『人間の大地』(1939年)のなかでこう表現している。

飛行機の登場とともに、僕らは直線を学んでしまったのだ。飛行機に乗って飛び立てば、僕らは水飼い場や家畜小屋へと降りていく道、町と町を繋ぐ曲がりくねった道とすぐに袂を分かつ。慣れ親しんだ隷属状態から解き放たれ、泉を求める気持ちからも自由になって、はるかかなたの目的地にぴたりと機首を向ける。そのとき初めて、直線の軌道の高みから、僕らはこの惑星の基層を、岩と砂と塩でできた地盤を発見する。その地盤のところどころで、大胆にも生命が芽を出している。と言っても、所詮は瓦礫だらけの廃墟の窪みにわずかばかりの苔が生えたという程度のことにすぎないが。(光文社古典新訳文庫、渋谷豊訳)

Avec l’avion, nous avons appris la ligne droite. A peine avons-nous décollé nous lâchons ces chemins qui s’inclinent vers les abreuvoirs et les étables, ou serpentent de ville en ville. Affranchis désormais des servitudes bien-aimées, délivrés du besoin des fontaines, nous mettons le cap sur nos buts lointains. Alors seulement, du haut de nos trajectoires rectilignes, nous découvrons le soubassement essentiel, l’assise de rocs, de sable, et de sel, où la vie, quelquefois, comme un peu de mousse au creux des ruines, ici et là se hasarde à fleurir.

 飛行機の登場は、単に物理的・地理的に人間が直線軌道を進めるようになったことを意味するだけではない。それは、世界の見方を学び直し、人間の歴史を読み直す機会を与えた。
 この次の段落でサン=テグジュペリはさらに「宇宙的尺度」(l’échelle cosmique)という観点に言及する。それは私にフランスの地理学者 Michel Lussault(1960 -)が L’Avènement du Monde (2013) で導入している Planète – Terre – Monde という三つの観点の区別を思い起こさせた(この点についてはこの記事を参照されたし)。
 他方、メルロ=ポンティが『シーニュ』(1960)のなかで批判している「上空飛行的な哲学」のことも思い合わされた(« Qu’on regarde plus haut dans le passé, qu’on se demande ce que peut être la philosophie aujourd’hui : on verra que la philosophie de survol fut un épisode, et qu’il est révolu. »)。
 さらには、ピエール・アドが La philosophie comme manière de vivre のなかでロマン・ロランの le sentiment océanique 擁護しつつ、それをle sentiment cosmique と区別していることも思い起こされた(« En parlant de « sentiment océanique », Romain Rolland a voulu exprimer une nuance très particulière, l’impression d’être une vague dans un océan sans limites, d’être une partie d’une réalité mystérieuse et infinie. »)。
 『人間の大地』第四章「飛行機と惑星」のなかの直線についての一行が私のなかにこのようなさまざまな反響を引き起こし、過去の読書経験が自ずと交叉し、それらの間の結び目がさらに緊密となり、あらためて世界の見方を学び直す機会が与えられることは、読書がもたらす大きな喜びの一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


燦々と言葉が響き合う大伽藍の片隅で

2024-06-11 11:54:39 | 読游摘録

 須賀敦子は、昨日の記事で引用した「星と地球のあいだ」のなかで、サン=テグジュペリの『戦う操縦士』から、もうひとつ「私にとって忘れることのできない文章」として、以下の堀口大學の訳文を引用している。

建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人であれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである。勝利は愛情の結実だ。……知能は愛情に奉仕する場合にだけ役立つのである。

Celui-là qui s’assure d’un poste de sacristain ou de chaisière dans la cathédrale bâtie, est déjà vaincu. Mais quiconque porte dans le cœur une cathédrale à bâtir, est déjà vainqueur. La victoire est fruit de l’amour. …… L’amour seul gouverne vers lui. L’intelligence ne vaut qu’au service de l’amour.

 同じ箇所の鈴木雅生訳も引こう。

完成した後の大聖堂のなかで安穏と香部屋係や貸椅子係の職にしがみつくだけの人はすでに敗北者だ。けれども、建立すべき大聖堂を心の内に宿している人は、すでに勝利者なのだ。勝利は愛が結実したものだ。……知性に価値があるのは、それが愛に仕える場合にかぎられる。

 心の内に建立すべき大聖堂とは、何かその人に固有の独創的な大事業などではないことは、この引用箇所が含まれている第24章の先立つ部分を読めば明らかである。それは、端的に一言で言えば、人間同士のコミュニオン(communion)である。
 きわめて簡勁な文体で綴られたその先立つ部分から一部を引用する。

私はこの村との語らいを心に決めていた。ところが私には語るべきことはなにもない。私は枝にしっかりとついた果実のようなものだ。数時間前、不安が収まったとき頭によぎったあの果実。自分はこの国の人々に結びつけられている、ごく自然にそう感じている。私はこの人々の一部であり、この人々は私の一部だ。あの主人はパンを皆に配ったとき、なにかを与えたわけではなかった。分かち合い、交換したのだ。同じ小麦がわれわれのなかをめぐった。主人は貧しくなりはしなかった。逆に豊かになっていた。よりよいパン、共同体のものとなったパンによって自らを養っていたのだから。今日の午後、この国の人々のために出撃したとき、私もまたなにかを与えたわけではなかった。わが隊の者は、この国の人々になにも与えてはいない。人々が戦争に払う犠牲の部分を担っているにすぎない。私は、オシュデがなぜ大げさなことをなにひとつ口にせず黙々と戦っているのか理解する。村のために槌をふるう鍛冶屋と同じなのだ。「あなたは誰だね?」と尋ねられる。すると鍛冶屋は「村の鍛冶屋です」とだけ答えて嬉しそうに働く。(鈴木雅生訳、一部改変)

Je m’étais promis cette conversation avec mon village. Mais je n’ai rien à dire. Je suis semblable au fruit bien attaché à l’arbre auquel je songeais, voilà quelques heures, quand l’angoisse s’est apaisée. Je me sens lié à ceux de chez moi, tout simplement. Je suis d’eux, comme ils sont de moi. Lorsque mon fermier a distribué le pain, il n’a rien donné. Il a partagé et échangé. Le même blé, en nous, a circulé. Le fermier ne s’appauvrissait pas. Il s’enrichissait : il se nourrissait d’un pain meilleur, puisque changé en pain d’une communauté. Lorsque j’ai, cet après-midi, décollé pour ceux-là, en mission de guerre, je ne leur ai rien donné non plus. Nous ne leur donnons rien, nous du Groupe. Nous sommes leur part de sacrifice de guerre. Je comprends pourquoi Hochedé fait la guerre sans grands mots, comme un forgeron qui forge pour le village. « Qui êtes-vous ? – Je suis le forgeron du village. » Et le forgeron travaille heureux.

 この村の鍛冶屋が「建立すべき大聖堂を心の内に宿している人」なのだ。
 この「大聖堂」という言葉を見たとき、十年前に書いた自分の記事のことを思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 


「人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ」― サン=テグジュペリ『戦う操縦士』より

2024-06-10 14:10:41 | 読游摘録

 「稀代」とか「当代無比」とか称される読書家でもある作家や批評家などの書評集成や読書日記などを読むと、名ガイドに導かれての名所の周遊や秘跡の探訪にも似た愉しみを味わえる。他方、どうやったらこんなにたくさんの本が読めるのか、しかもそれらの本について見事な書評や味わい深いエッセイなどが次から次へと書けるのかと、讃嘆の念とともに深く溜息をつくほかない。
 それらの読書家たちの渉猟する領域は広大だから、彼らの読んだ本のなかに私も読んだことがある本があったとしてもそれはまったく驚くにあたらないが、自分にとって大切な著作家が彼らにとってもそうであったことを書評や読書日記等を通じて知るのは嬉しい発見である。
 須賀敦子もそうした卓絶した読書家のひとりだったが、彼女にとって大切な著作家のなかに、シモーヌ・ヴェイユ、サン=テグジュペリ、ユルスナール、森鴎外などの名が見出されるのはことのほか私を喜ばせる。
 『遠い朝の本たち』(筑摩書房、一九九八年)に収録された「星と地球のあいだで」(初出「国語通信」筑摩書房、一九九二年十月号)はサン=テグジュペリのことがテーマになっている。
 大学を出た年(一九五一年)の夏、須賀は自分の行くべき方向を決めかねてそのために体調を崩してしまう。何人かの友人の誘いで信州の山の町に出かける。その旅荷のなかには『夜間飛行』と『戦う操縦士』が入っていた。その『戦う操縦士』がこのエッセイを書いている四十一年後にもまだ須賀の手元に残っている。

黄ばんだ紙切れがはさまった一二七ページには、あのときの友人たちに捧げたいようなサンテックスの文章に、青えんぴつで鉤カッコがついている。
「人間は絆の塊りだ。人間には絆ばかりが重要なのだ」
 あの夏、私は生まれてはじめて、血がつながっているからでない、友人という人種に属するひとたちの絆にかこまれて、あたらしい生き方にむかって出発したように思う。

 引用されている文の原文は、 « L’homme n’est qu’un nœud de relations. Les relations comptent seules pour l’homme. » である。上掲の訳が須賀自身によるのか他の人の訳なのかいま確かめるすべがないが、nœud を「塊り」と訳すのはどうかと思う。むしろ「結び目」のほうがよいと思う。実際、光文社古典新訳文庫版(二〇一八年)の鈴木雅生訳は、「人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ」となっている。
 「塊り」はそれ自体で独立している個体も指すが、ここでそれは当てはまらない。ひとりひとりの人間はそれぞれに独立した個体ではなく、さまざまな関係の結び目として生成発展し、身を挺して人を守り、人から守られ、共に戦い、また傷つき苦しみもする。
 『戦う操縦士』のこの一文は、メルロ=ポンティが『知覚の現象学』の最後に引用している一文でもある。しかし、『知覚の現象学』では、この一文に先立って、その数頁前の一節が多くの中略を含みつつ次のように引用されている。

« Ton fils est pris dans l’incendie, tu le sauveras... Tu vendrais, s’il est un obstacle, ton épaule contre un coup d’épaule. Tu loges dans ton acte même. Ton acte, c’est toi... Tu t’échanges... Ta signification se montre, éblouissante. C’est ton devoir, c’est ta haine, c’est ton amour, c’est ta fidélité, c’est ton invention... L’homme n’est qu’un nœud de relations, les relations comptent seules pour l’homme. »

「自分の息子が火災に巻きこまれたらどうする? もちろん助けようとするだろう… 行く手を阻む障害物があれば、自分の肩を誰かに売り渡してでも、肩で体当たりをするはずだ。自分というものは、肉体ではなく行為そのもののなかに存在している。己の行為こそが自分なのだ… 何かと交換に自分を差し出すのだ… 自分という存在の意味が燦然と輝く。その意味とは、義務であり、憎しみであり、愛であり、誠実さであり、発明である… 人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ。」(鈴木雅生訳、メルロ=ポンティの引用の仕方にあわせて一部改変)

 学部論文から博士論文まで十数年にわたって読み返してきた大切なテキストにこうしてまた立ち戻る機会を恵まれて、人間はさまざまな読書経験の結び目でもある、と言いたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


神への愛と神の構想不可能性という「真正な矛盾」の確実性の経験 ― シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』より

2024-06-09 14:15:22 | 哲学

 昨日の記事のなかに引用したシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』の一節は、「浄めるものとしての無神論」(L’athéisme purificateur)と題された章のはじめのほうにある。その章の冒頭の断章は、一九四七年にプロン社から刊行された初版とガリマール社の『シモーヌ・ヴェイユ全集』(全一六巻)の「雑記帳(カイエ)」全四巻の第二巻の当該箇所との間で若干の異同がある。後者を引用しよう。

Cas de contradictoires vrais. Dieu existe, Dieu n’existe pas. Où est le problème ? Nulle incertitude. Je suis tout à fait sûre qu’il y a un Dieu, en ce sens que je suis tout à fait sûre que mon amour n’est pas illusoire. Je suis tout à fait sûre qu’il n’y a pas de Dieu, en ce sens que je suis tout à fait sûre que rien de réel ne ressemble à ce que je peux concevoir quand je prononce ce nom, puisque je ne peux pas concevoir Dieu. Mais cela, que je ne puis concevoir, n’est pas une illusion — Cette impossibilité m’est donnée plus immédiatement que le sentiment de ma propre existence. 
                                Œuvres complètes, vol. VI, Cahiers, tome II, p. 126.

 下線を引いた部分がプロン社版(ティボン版)では削除されている。ヴェイユから「雑記帳」を託されたギュスタヴ・ティボンはどのような理由で上掲三箇所を削除したのか。ティボン版は「カトリック的」な主題が前面に押しだされていると言われる。言い換えれば、「反カトリック的」な言辞は削除されるか、弱められるか、改変されている。この引用の中では、神を構想することの不可能性とその確実性に関わる言辞が削除されている。
 岩波文庫版の冨原真弓訳はガリマール版に依拠して、ティボン版の削除箇所のうち、ダッシュ以下の一文のみ復元して当該断章を次のように訳している。

真正な矛盾の例。神は実在する、神は実在しない。問題はどこにあるのか。わたしは神の実存を迷わず確信する。わたしの神への愛が幻想ではないことを確信するがゆえに。私は神の実存はありえないと迷わず確信する。実在するものがなにひとつ、この名を発するときにわたしが構想するものと似ていないことを、迷わず確信するがゆえに。だが、構想できなくても幻想ではない。構想できないというこの感覚は、わたしの実存の感覚よりも無媒介的に与えられているのだ。

 なぜガリマール版の本文をそのまま全部訳さず、一部のみ復元したのか、その理由は示されていないのでわからない。
 以下、冨原訳についての私の小さな疑義を列挙する。しかし、それは、細部を論ってこの優れた労作を貶めたいからではなく、疑義にできるだけ正確な表現を与えることを通じて、この断章でヴェイユが言いたいことに迫りたいからである。
  まず、一切の不確実性を強く否定している表現である « Nulle incertitude »(いかなる不確実性もない)を訳さなかったのはなぜか。
 この表現のあと、ヴェイユは « je suis tout à fait sûre » という表現を立て続けに四回使う。冨原訳は四回中三回「迷わず確信する」と訳し、一回だけ「確信する」とだけ訳している。
 それは措くとして、「確信」という訳語は適切だろうか。この語の一般的な用法として、例えば、「勝利を確信する」「やつが犯人だと確信する」などと言うとき、「まだそのことが現実には最終的に確定していないが、自分としてはもはやそれを疑いえないほど信じている」ということを意味する。
 しかし、ヴェイユが « je suis tout à fait sûre » と繰り返すとき、それは、まだ最終的に実現されていないことについての単なる主観的な確信の表明ではなく、疑う余地も迷う余地もなく、論証というプロセスも経ることのない直接的な「確かさ」の経験の言明ではないだろうか。だからこそ、「真正な矛盾」は « Nulle incertitude » だとまずきっぱりと記したのではなかったか。
 「神への愛」は、神の実在がまず確信されてから生まれるのではない、それは神の実在の「結果」でもない、真なる愛はそれ自体において疑う余地のない確実性の経験なのだ、とヴェイユは言いたかったのではないだろうか。
 他方、わたしが自力によって構想可能なすべては神ではない。神はわたしによって構想されうるいかなるものとも似ていない。 « Réel » は「実在するもの」だろうか。これは日本語に訳するときに仕方のない面もあるが、「在」という漢字に私は引っかかってしまう。「在る」かどうかではなく、「現‐実」であるかどうかがここでの問題だと思うからである。
 « Cela, que je ne puis concevoir, n’est pas une illusion » を「構想できなくても幻想ではない」と訳すのは適切であろうか。むしろ、「わたしは構想できないという、そのことは、幻想ではない」と訳すべきではないだろうか。つまり、神の構想不可能性は疑う余地がない、という確実性の「わたし」における経験をこの一文で表現しているのではないであろうか。
 ダッシュ以下の最後の一文 « Cette impossibilité m’est donnée plus immédiatement que le sentiment de ma propre existence » は、「構想できないというこの感覚は、わたしの実存の感覚よりも無媒介的に与えられているのだ」と訳されている。しかし、「構想できないという感覚」の「感覚」に対応する語は原文にはない。それは当然のことで、この « impossibilité » は、感覚・感性・感情の媒介に依ることなく、原事実として直接(無媒介的に)わたしに与えられているからである。
 神への愛と神の構想不可能性という「真正な矛盾」は同じ一つの確実性「インマヌエル」の両面であるということをこの断章は凝縮された対偶的表現を中心にして示していると私には思われる。