エアコンを入れたり切ったりしつつ、せんぷうきで空気を攪拌させる。
それでも室内温度計は31℃。
ラジオからは、安住紳一郎さんと中澤有美子さん。
天気予報は、今日が暑さのヤマで、明日からは暑さもマシになると言っている。
「暑いときは、最低限の汗はかいたほうが良い」と引っ込まずに外を歩く。
それは別段この時節だから、じゃないけれども。
しかし、ここ数年の熱射厳しい暑さはもはや限度を越えているから、無理せぬ程度で。
”レゲエ”という音楽スタイルを知ったのは、NHK3チャンネル(教育テレビ)の日曜昼下がりの番組。
当時、海を隔てた向こうの国の音楽映像は貴重。
そんな海外ミュージシャンの映像が流れる中、ラジカセをテレビの前に持って行き、ジャックでテレビとラジカセを繋いでモノラル録音。
ここで演奏された一曲がボブ・マーレーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」。
ラジカセを持っていた、ということは中学生に上がっていたのだろう。
■Police 「Walking on the Moon」1979■
土曜お昼、FM東京「ポップスベスト10」を聴いていた。
その中で1979年にヒットしたポリスの「孤独のメッセージ」がカッコよく・好きだったが、その後にシングルヒットした「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」の方が心地良くて”自分向き”だった。
共に、レゲエの影響が濃厚に音に反映されている。
1982年の今頃、渋谷陽一さんの「サウンドストリート」。
”レゲエ・サンスプラッシュ’81”というライヴ盤から掛かった曲をカセットテープに録音し、よく聴いた。
ボブ・マーレーに捧げたこのライヴから、スティール・パルスやサード・ワールド、ブラック・ウフルーなど。
今になってCDを買ってインナーを読むと、高橋健太郎さんが1982年5月14日と記載しており、時期的にはもう少し前だったかもしれない。
高橋さんが綴った文章から知るのは、このライヴは裏で権利問題が絡んだモメごとが起きており、それはご想像通り、音楽を演じる側とは無縁とも言えないアフリカを巡る問題。
暑い夏が好きではないし、そんな暑い時期でもスパルタ教育で、炎天下の下走らされていたから、もっぱらこれらの音楽は、涼しい自分の部屋でひたすらじぃとして、飲み物を飲み、雲の流れを見ながら心地良く聴いては、海の向こうを想っていた。
平成なる時代に入って以降、日本でもレゲエやヒップホップのスタイルを真似た音楽や、服装をする者たちが現れた。
自分が中高生当時、音楽さえ聴ければそれで良い、と心地良くなっていたことから理解出来ないでも無かったが、見苦しくて未だにそういうムードが素直に好きになれない。
ジャパネスクのように、西洋画家たちが海の向こうの日本に”桃源郷”がある、と想ってくれたことが、新しい絵画世界を開いたように、誤解こそに創造の源泉があるとしても。