■砂原良徳 「summer」(作品「テイクオフ&ランディング」より)1998■
昨夕、日も沈まぬ明るい時間より、大阪より来られたお客様を慰労し、お見送りして、夜帰宅。
気を遣い過ぎ、酒を呑み過ぎ、バテて疲れたはずが、それでも眠れぬ。深夜3時半でやっと眠りに堕ち、朝のしんどさに起きる。
今日は仕事も早く上がろう、と思いながら、結果濁流の渦でぐだぐだしているうちに、またもや遅い帰路。
「なんとむごい夏であろうか」という辺見庸さんの言葉が脳裡に浮かぶ。
”梅雨は去り、さわやかな日が来た”とは、ただの想定流れであり、日々変動する世界では寝言に過ぎない。
仕事場を出たとたんに、外野はねちゃっとその湿気がまとわりつく夜。
島の道でもネコには出会わない。
こんな夜に遊んでいる馬鹿はネコではない。もし居たら心配でならない。
ねっちょりしている夜。うだる夏夜。
暗闇で、もう花は眠っていて、花びらをぎゅっと閉じているが、森に向かうとセミの鳴き声のシャワーを浴びる。
汗だくで米を研ぎ、お刺身を仕込み冷やす。
録音されたラジオを聴いていると、声に抵抗を覚える女アナウンサーが多いことに気付く。
声はその人とイコールでは無いが、ラジオにおいての声は、多くの部分を投影している。
朝の文化放送の気象予報士・伊藤佳子、それに、TBSの片桐千晶の声は、ラジオショッピングといった嬉々として人を煽り、何の疑いも無く、まがいものプロパガンダに染まることが出来る。
そんな危険を持っている声。そのような人には、なじみたくはない。