こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年1月18日 金曜日 細野晴臣&小坂忠 「ありがとう」'71

2013-01-18 21:27:22 | 写真日和

昨日朝、寝床で「もう6時ごろだろう」と起きてしまった。トイレに行くのもあり起きたのだが、時計は4:09を指していた。
体内感覚としておかしな感じはしたが、それは、思えば18年前の1995年1月17日の朝に起きてしまった感じにも似ていた。
だからと言って、大震災が起きたわけでは無かった。
「あの朝」聴いた地鳴りも、「ごおおっ」と波が遠くから来るような音も、外のかなたでのいなびかりも無かった。

ただ、起きたら眠れない。
そうして夜明けが来るのを迎えた。

***


同じスペースで約20人近くの仕事場で、まるで神隠しのように1人、1人とバタバタ・・・インフルエンザで倒れていく。
結果的に、じぶんを含む3~4人を残して、それ以外は皆、風邪やインフルエンザという状態にある。
3連休前の金曜日の夜、うちの島で「さあて、休みが明けたら何人出てきますかねぇ~」と、みんな冗談交じりで笑っていた。
しかし、結果、休みが明けたら・・・・。ほぼ全員が、防御含めてマスクをするさま。
1人・1人消えていくさまは不気味で、再度、YMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を想起した。

***


昨日は、つくばに向かい、仕事を終えたら都内に戻って仕事、そして夕刻から実家へと向かった。
実は、80歳を過ぎたロック命の激烈お袋さんが、夕方の電車から降りてきた人に、体当たりされて転倒。
そして左手を複雑骨折した、と聞いてのこと。

本人は、至って電話でも「だいじょぶ・だいじょぶ」といつものように能天気で楽天的だが、不安なので実態確認に夜向かう。

お袋さん「毎日毎日、医者通わないといけないなんて、面倒くさいよ。」(バックでギンギンのロックが鳴っている)
かたちんば「こういうのは最初が肝心で、骨が変なくっつき方をしたらいけないから。出来るだけ動かないように。」
お袋さん「そーいうわけには、いかないよ。じゃまだから、首からぶら下げる包帯も取っちゃったよ。」
かたちんば「本気で言っているんだから、わたしの言うことを聞きなさい(怒)!」

こんにゃく問答を繰り返す中、その事故の場面を振り返り・ありさまを話された。
乗り換えに必死なラッシュ時。ドアから走りダッシュする軍団に跳ね飛ばされたらしい。

お袋さん「でも、若い男の子はやさしいね。
何人もの男の子が、大丈夫ですか、とみんなでカラダを起こしてくれて、駅員さんを呼んでくれた。
女は、誰一人も見えないフリしてたけどね。」
かたちんば「若い人にも、そういう意志を持った男の人は多いよ。前にも、そういう場面を見たことがある。
じぶんにはとてもではないが、出来ないし、頭が下がるよ。
今のオンナは化け物みたいなものだから、そりゃ、損得勘定抜きじゃあ、相手にはしないさ。」

お名前はお聞きしていませんが、補助していただいた若い方々、ありがとうございました。
深く感謝します。

■細野晴臣&小坂忠 「ありがとう」1971■





























こないだ浅草をブラブラ写真撮りながら、道をくねくねしていたら、とあるステキなお店を発見。
ついネコ・グッズに目をさらわれてしまい、衝動買いした「招き猫」バッグ。これをお袋さんにプレゼントした。
明日は、カルシウム関係の食品と生活上補助具として役に立ちそうなものを探しに行こうと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月17日 木曜日 高橋幸宏 「4:30amのイエティ」'90

2013-01-17 22:24:19 | 写真日和



■高橋幸宏 「4:30amのイエティ」(アルバム『ブロードキャスト・フロム・ヘヴン(天国からの中継)』より)■






















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月15日 火曜日 「非音楽家」が「音楽家」を凌駕する瞬間

2013-01-15 22:55:22 | 音楽帳


「非音楽家」が「音楽家」を凌駕する瞬間。タイトル通り(笑)。
といったら、これ以上書く必要は無くなるのだが。。。

昨日、マイケル・オシェア(と読むのかな?)の曲を紹介したが、思えば大竹伸朗さんが当時FM放送で紹介してくれた音楽のすべてが、ある意味「非音楽家」的要素のものであった。

それを「世間」のコトバで直すと「パンク」的とも言えるのかもしれない。
楽器が出来なくても、内包されたエネルギーを何らかの音に変えて伝えること。それが、70年代後半に起きた事件ではあった。
しかし、それを「パンク」とくくってしまうには、いささか乱暴過ぎる。パンクと言えば、セックス・ピストルズ、ダムド、クラッシュ、ジャム・・・となりがちなのだが。それは、ある時代の流れを経て、目立って残ったものを指しているに過ぎない。

***


大竹伸朗さんが紹介した曲は「必ず、どっかでイーノと繋がっている」と語る系譜に沿っていた。それは、大竹さんの中に刻まれた/体感した系譜という意味でだが。

たとえば、ニューヨークにてブライアン・イーノが発見し・狂喜した「異質で奇妙な生命体」の音を集めて「ノー・ニューヨーク」として提示したこと。
あるいは、ロキシー・ミュージックから脱退し(実質は、ブライアン・フェリーより目立って・人気もあり、バンドに2人の中心人物は要らないことに拠る)ソロとしてスタートしたブライアン・イーノのアルバムの奇妙さ。

彼は、じぶんを「音楽家」と呼ばれることを一貫して嫌っていた。
元々は、テープレコーダーの可能性や偶然が作り出す何かに興味を持ち、楽器を訓練によって鳴らすことが出来るのとは異次元の世界を追及していた。
ロバート・フリップのようなギターの素養を持った天才が、自由自在に音にその天才ぶりを展開出来る能力を持つ例は少ない。
大抵は、テクニックを磨く間に、その訓練に溺れることで、元々鳴らそうとしていた初期衝動の過激さを打ち消してしまい、くだらない音に到達してしまう。

イーノの「ビフォア&アフター・サイエンス」収録の「カーツス・リジョインダー」のバックでは、ダダイストであったカール・シュビッタースの声の作品がモンタージュされている。
その元の音源などを、大竹さんは紹介してくれた。
あるいは、イーノがデヴィッド・バーンと共同作業した「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」収録「レジメント」に流用された中近東の女性ヴォーカル。
「ブッシュ・オブ・ゴースツ」は、イーノがカセットテープに録音した音があらゆる所にコラージュされ、音源が持つ声や響きの力を、異なったポジショニングに配置することで、さらなる不気味なエネルギーにまで昇華させている。

話しはイーノに逸れたが、そのイーノの音楽に影響を受け、それをアートワークにしようと試みたラッセル・ミルズ。
彼は、ドーム(ギルバード&ルイス)のプロジェクトでは、パーカッションとしても参加する仲。
イーノに「ラヴ・レター」を送り続けながら、紆余曲折の上、やっとイーノの仕事を任せられるに至ったラッセル・ミルズの道程。

一方で「絵を描きたい」と東京芸大を受けながらも・落ちた大竹伸朗は、北海道は別海の農家で働いた後、ロンドンに独りで旅立つ。イチかバチかを掛けて。
そして、そこでラッセル・ミルズ、ドームの2人たちと出会う。
「絵を描きたい」と門を叩きながらも「お前には絵を描く資格は無い」と否定された落胆の一方で、一握りの自信・確信を持ち得ていく。
「アートにとって、試験や技術なんてどうでもいいことなのだ」ということを。

ここから時間を経て、ラッセル・ミルズも大竹伸朗も、共にデヴィッド・シルヴィアンのアートワークを担当することになる。

***

そんな大竹さんから、よく刺激を受けるじぶん。
失敗だろうが成功しようが、何を基準点とするかなど不明。しかし、すべてひっくるめて「わたし」であることだけは事実。
ひたすら、その瞬間・その瞬間を刻んでいく。
そう思いつつ、一凡人は、仕事をしながら、一方で、本を読み・音を聴き・ネコと遊び・駄文を書き・写真を撮り・たまーに(なってしまったが)駄絵を描く。
否定も肯定も無い。ただ、そうするしか手は無いから、そうしている。

***

「絵」というものについてなら、コドモの描く絵、そして、ねむの木学園の園児たちの描いた絵、そしてアウトサイダー・アート。
それは、絶対に「絵を描く描き方」を知ってしまったらば、描けない絵。素晴らしい卓越した発想と絵心(えごころ)。かなわない。
とてもではないが、すぐにスケベ心が出るじぶんには描くことが不可能な「絵」。

あるいは、坂本龍一が1981年4月「サウンドストリート」開始以降、教授あてに送られてくるカセットテープを紹介することから、次第にはじまった「デモテープ特集」に寄せられた、数々の実験音楽。
カネとは無縁ゆえに、自由自在に創れた「音」たち。

あるいは「事実は小説よりも奇なり」そのままに、現代ではほぼ不在になってしまった「文学家さん」では描けないリアリティを事実の方が持ってしまった実態。

そんなリアリティを求めて、大竹伸朗は、今日もどこかでゴミや絵の具やあらゆる物体と格闘し続けている。

***

「非アーチスト」が「アーチスト」を凌駕する瞬間。あるいは「アーチスト」とは、どういうものを指すのか?
何も楽器なんか買わなくったって、拾い物から楽器は作れるし、奏でることが出来る。
マイケル・オシェアが使う楽器の原型は、モロッコにあるシンブリングというものに似たモノらしいが、イコールでは無いし、彼しか出来ない手法で、音を奏でる。
じぶんにとって、マイケル・オシェアの「ノー・ジャーニーズ・エンド」が示すものは、それである。
カネとは無縁にはなれないが、かと言って、大量生産や経済活動というデカイ扱いになるほどの・カネの匂いがぷんぷんと異臭を放つ腐った音楽を聴きたいとは思わない。
■Brian Eno & David Byrne 「Jezebel Spirit」■

「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」収録の「ジザベル・スピリッツ」。
ここでは、あるラジオ番組を通して、祈祷師が相談してきた相手を誘導するうちに、唸り声を上げ始める様がコラージュとして配置されている。
後に、ピーター・バラカンさん&矢野顕子さんのラジオ番組「スタジオテクノポリス27」のエンディングに使われた、白眉の名作。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月14日 月曜日 「春の雪」

2013-01-14 15:47:18 | 写真日和

雪が降るらしき予報はあったが、近時、天気を予測するのが極めて困難な中、じぶんも甘く考えていた。
起きると雨。今日は外に出られないな、と思っていたところ、さくりんさんのお便りで外を見ると、雨は雪に変わっていた。
そして、やむ気配が無い。
時折、横風が「ゴオオッ」という音、積もった雪がドサッと落ちる音がする。
MZ師と電話しつつ言われたのが「早めに買い物を済ませないとまずい」。
どんどんと降り積もる意外なほどの積雪に、13:30に外に出る。食材が枯渇しておりやむを得ず。
雪を喜ぶコドモやワンちゃんではないが、風景を全て白く染め成してしまう雪には、やはり風情があるものだ。自然の怖さを改めて思うと共に、自然が一瞬にして世界を塗り替えてしまうことを思い知った。

***

この日。どの音楽を写真に添えようか。。。と思っていたが、これにする。
過去も語ったことがあるが、FM東京の土曜日夜に放送していた渡辺香津美さんの「ドガタナ・ワールド」に、大竹伸朗さんがゲスト出演し、エアチェックしながら聴いた。ここで、大竹伸朗のアートの魂の源泉に触れた。
ワイヤーのメンバーであるギルバート&ルイスとの付き合い。彼らがカポルというユニットで創った曲を、ここで初めて聴いた。大竹さんが選曲した曲は、どれもが刺激的だった。
(ギルバート&ルイスは、カポルの後、ドームというプロジェクトでアルバムを出していく。)

この放送の中で、全部は聴けなかったが、チターのようでありながらも・じぶんで手作りでつくったという楽器で奏でた音の響きがたまらなく良かった。

YOUTUBEとは大したものである。
ずーっと30年探していたその曲がアップされているのに、最近気付いた。
当時、大竹さんが言っていたのは、道端で「彼」がこの曲を演奏していた。「彼」自身は別にミュージシャンになろう、などという意思は一切無く、たまたま発見され、音として残ったから、ぼくらはこうして聴ける。「彼」にとっては、それが残ろうが残るまいがどうでもいいもの。
そんなことを言っていた。
この曲は、ギルバート&ルイスのドームのレーベルから1982年発表されたらしい。

この雪の風景に「No Journey's End」(終わりなき旅)を添える。
■Michael O'Shea 「No Journey's End」1982■
































コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月13日 日曜日 David Sylvian 「Words With The Shaman」'85

2013-01-13 20:55:25 | 音楽帳
既に、「じぶん」の精神状態も東京世界も音楽も、混迷・デッドゾーンに入りだした1985年。
じぶんは素浪人の闇世界を漂う中、当時19歳。
ジャパンを解散させ、命を掛けて創ったソロ「ブリリアント・トゥリーズ」を経て、1985年にシングル「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」を発表したデヴィッド・シルヴィアン。内なるエネルギーが満ち満ちた作品。

パート1~3という3部構成となっているが、1・2が繋がっている一方で、パート3は独立している。
「ブリリアント・トゥリーズ」同様、弟であるスティーヴ・ジャンスン、師としてのホルガー・シューカイ、ジョン・ハッセルが、デヴィッドと一体になりながら、恐ろしく美しい闇を創り出している。

じぶんが初めて、これを聴いたのは、土曜深夜3時からの「FMトランスミッション/バリケード」だった。
この時のカセットテープも未だに「ボクのカケラ」として保存されている。
この回は、「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」パート1~2に始まり、坂本龍一先生の「エスペラント」から「ア・ウォンガ・ダンス・ソング」、コクトーツインズの「あばらと血管」へと繋がっていく。
恐ろしく美しい選曲と流れ。

このジャケット撮影で、デヴィッド・シルヴィアンの写真は、向かって右側からのライトを浴びており、左目と右目がかたちんば状態にある。
じぶんは、ここにデヴィッド・ボウイの鋤田さんが撮影したアルバム「ヒーローズ」のジャケットを思い出した。ボウイは、昔のケンカで片目を見えなくなったので、左右の瞳孔の開き方が異なる。(片目は見えないので、光に瞳孔は変化しない。)
「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン」における、このデヴィッド・シルヴィアンのポートレイトが隠喩としてボウイを意識したものか?否か?は、じぶんにも不明だが。しかし1985年時点で、シルヴィアンはボウイを超えてしまっていたのは事実。
■デヴィッド・シルヴィアン 「ワーズ・ウィズ・ザ・シャーマン ~パート1・2・3~」1985■


呪術師が言うコトバと言ったあたりに、デヴィッドが深い深い精神世界を突き進む様が見て取れる。しかも、それをこれだけの素晴らしい作品に投影出来る、長けた能力は、当時圧巻だった。そして、今も。

***

明日は「性人の日」とやららしい。なぜ20歳が記念の日なのか?今の自分には理解できない。
まだ地域社会の密接度が生きている場所であれば、もしくはそういった環境下であれば理解できる。それなら、その共同体独自で行えば良い。
何もカレンダーにまで記して、全国統一でやるものではない。
これだけメディアの発達し・情報が瞬時に伝わるように網羅された世界で「いまさら、何をねぼけたことを言っているだろうか?」。

***

じぶんは、素浪人の狂気の最中、20歳を迎えた。しかし、誰一人祝う者などいない。1986年、もはや行き場所を無くして夜になるまでは家に帰れない。幻覚が現れたり消えたりする中、ひたすら街を放浪していた。
追い詰められた結果の末、20で自死しそこねた。
1985・1986・1987年は、振り返ることが出来るようになるまで、相当な時間を要した。

80年以降、解体・崩壊・カオスを突き進んだ世界に「20歳にして成人」もへったくれもない。もし共同体が生きている場所があるなら、それを大事にした方が良いが、都市にそんなものは存在しない。
本来、通過儀礼としてあった「成人」なるイニシエーションなど形骸化した2013年、何一つ意味をなさない。性器の一部を切り取る・貫通させる等の刻印を残すのであれば、意義はあろうが、セックスも酒もタバコも済ませた20を集めることに意味などない。

***

公的な社会にあらがうのは、感性豊かな10代ならではの行動である。
ゆえに、じぶんらの類に属する・東京生まれで東京育ちの者が「成人の日」の催事に行くのは、当時、もっとも侮蔑・嘲笑されるべき奴であり、一生の汚点・恥だった。
みんなでお手手繋いで行くことのカッコ悪さ。

公的ななにかにあらがうのであれば、この場にわざわざ行って、壇上で騒ぐことのみっともなさも一生残る。そういうニュースを毎年見るたびに「どうせやるなら、もっとデカイことをやれよ」と思う。
人が収めた税金でくだらない催事を行い、わざわざその場のために親から紋付・袴(はかま)を買ってもらい、その場にまで出向いて、やることはその程度のことかと呆れかえる。実に、尾崎豊的で、みみっちいこと限りない。
明日は、ニュース見聞も遮断すべきだな。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月12日 土曜日 Danielle Dax 「Tomorrow Never Knows」'90

2013-01-12 09:34:48 | 写真日和

7:30悪夢にうなされて起きる。夢ばかり見てしまい、大して寝た気がしていない。社会学の対談を聴きながら寝たのが良くなかったのか?

ゴルフを見るのは好きだが、やる方はめっぽうダメ。数回だけ無理矢理コースに引っ張られて、トライアスロンのように全ホール激走しまくった経験しか無い。

しかし、夢の中では、ありえない縁が切れた者たちが、にこやかにゴルフ場で談笑する様。
「イヤだなあ。はよ、帰りたい。」内心思いながら、やはりおいてけぼりにされながら疾走する。
昼には既に彼らが食事をする中、注文の仕方も分からぬまま「一番早く出来るものを。」と頼み、食べる。
途中トイレに行って戻ると、既に彼らは食べ終わり・次第に立ち上がって消えていく。何かを取りに行って戻る度にテーブルは片付けられていき、自分の定食も1品づつ消えていく。泣きたい気持ち。

後半が終わったのか?風呂に向かう廊下は歩くだけで滑るような設計がされていて、自動で風呂場に着く。
急いで時間挽回を・・と真っ裸になって入ろうとしたら、綺麗な女体がお湯で曇る中・3人立ってシャワーを浴びている。「ゲゲッ。女風呂だったか。」と服全部を抱えて、男湯?らしき場所に移動して、中に入ると今度はゴーグルを付けて泳ぐ者たちの温泉プール。
「どないしたら、ええねん。」
こんな苦労してまで、他人に付き合うのはゴメンだ。と思いながら、ひたすら急かされる苦しさを味わった。

***


とりあえず起きて、空にシャッター。緑茶を入れて、ラークで一服。寝た分・逆に徒労感。
外は晴れているがブルーな気分なので、冷蔵庫から缶ビールを出して呑んでは、心地良い音楽でじぶんを癒そう。「明るくなろう(キラッ)。」

朝、取り出した1枚はダニエル・ダックスの「Blast The Human Flower」。
ここから、ダニエル・ダックス版の「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ(明日は知らねど)」を。
■Danielle Dax  「Tomorrow Never Knows」1990■

社会人の船出間際の1990年秋か冬。毎週土曜日の夜、1時間放送していた、復活したスネークマンショー。そのギャグの合間で、この曲に出会った。選曲は当然、桑原茂一さんのもの。






















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月11日 金曜日 クラフトワーク 「レディオアクティヴィティ(邦題:放射能)」'75

2013-01-11 23:18:23 | 音楽帳

クラフトワークが、1975年に発表した「レディオアクティヴィティ(邦題:放射能)」を初めて知ったのは、YMOのワールドツアーなどを納めた写真集「OMIYAGE(おみやげ)」。
この中で、3人それぞれの生活や趣味・嗜好を紹介するコーナーがあり、坂本龍一のページで、教授が好きなレコードとして紹介された1枚に「レディオアクティヴィティ」があった。
その後、一風堂の土屋昌巳さんが(「レディオ・ファンタジー」発売前夜)FM雑誌で、自分の好きなニュー・ウエイヴ100枚を紹介したモノクロページがあり、そこでもクラフトワークの全アルバムが紹介され、2行程度のコメントが記載されていた。

***

1981年に発表されたクラフトワークの新譜「コンピューター・ワールド」は、国内雑誌・海外メディアにボロクソ叩かれていた。自分はよく聴いた好きなアルバムであり・印象深いレコードだったが、皆クチをそろえて言う言葉には「明らかにYMOの影響を受けている」点を揶揄していた。ジャケットもイエローだし。。。などということまで言われて。
テクノの巨匠には、実に失礼な季節だった。

1980年当時、貸しレコード屋さん「友&愛」全盛で、借りたレコードを数百本のカセットテープに録音して持っていた(友人では無い悪人)ヤツの家に、音楽だけ聴きたさに寄っては刺激を受けていた。
しかし、そこで聴いた「レディオアクティヴィティ」は、「左脳が発達し過ぎた教授ゆえに選んだアルバム」という意識が強くあり、この時点では、あまりこのレコードは印象に残っていなかった。
どちらかと言えば、ポップな「マン・マシーン(邦題:人間解体)」。
赤い印象的ジャケットの方に夢中だった。
「レディオアクティヴィティ」はテクノポップというには、少々難度があった。

***

このレコードの曲が自分の中に刻まれたのは、1985年の1月、冬。
毎週観ていた「日立サウンドブレイク」にて。
1985年1月12日放映、鈴木志郎康さん監修の回『メトロゲーム~東京の地下鉄の10本・全部に乗るゲーム』で選曲された「レディオアクティヴィティ」「レディオランド」「アンテナ」。
映像と音楽との結びつき方が、元地下鉄少年の体内感覚と合致した。
ここからレコード「レディオアクティヴィティ」への印象・「音を見る」角度・観点が変化し、自分の中で醸造されていった。

***

2011年の「3・11」を経て、日比谷の野音。まだ余震・放射能への恐怖冷めやらぬ中、春の音楽フェスティバルとして開かれた「スプリングフィールズ2011」を聴きにいった。
ここで、細野さんは、新譜「ホソノヴァ」に混じって、クラフトワークの「レディオアクティヴィティ」を演奏することとなった。
細野さんのこのカバーは、アコースティック楽器演奏でもあり、そのゆったりさが、じわじわくる不気味さをたたえていた。
■Kraftwerk 「Radioactivity」1975■

「あの日」から1年10か月が経過して、2013年1月11日を今日迎えている。
「あの日」に露呈した問題は、何一つ進展していない。
・・・・だからと言って、何もしていないじぶんが偽善者ズラをするつもりは毛頭ない。
しかし現実に、身近な被災者関係から聞く実話では「東北バブル」が続いており、カネが東北に落ち続けている(全てには行き渡っていないのだろうが)。その事実の一方で、まるで「踏み絵」としてネガティヴな言い方がタブー視された、不健全な報道。この間に、違和感と乖離が生じている2013年1月11日。




























コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月7日 月曜日 「夕焼けと朝焼け・光と闇」

2013-01-07 23:21:17 | 写真日和
1月6日 夕焼け・・・


■ART OF NOISE 「MOMENTS IN LOVE」1983■
















1月7日 朝焼け・・・










コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月6日 日曜日 「此岸から彼岸への旅立ち」

2013-01-06 15:48:56 | 写真日和
昨日午後、お袋さんと待ち合わせをして、コチャコの納骨に向かった。
7日×7週は此の世を霊が漂っているが、50日目に彼岸に旅立つらしい。
コチャコのことだから、とうにどこかに遊びに行ってしまった・・・そんな風に思っていたが。

行き帰りにみえた夕焼けが美しかった。脳の中をブライアン・イーノの「ファイナル・サンセット」が流れる。



■Brian Eno 「Final Sunset」■











帰り道、実家に寄り夕食を共にする。夜、BSで岩合光昭さんのエーゲ海周辺のネコとの旅が再放送されていて、見入る。
バックにペンギン・カフェの曲が流れている。ヨーロッパの自由なネコたちの様に、改めて癒された。その気分で電車に揺られて自宅に戻った。






***

おとといの歩き旅にて、夕焼けを浴びて、まあるくなったネコちゃんに出会った。ハナ水が出ていたが、無事冬越え出来るように、と1袋カリカリをあげ、お互いの無事を祈る。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月5日 土曜日 -モノクローム・カラーズ-

2013-01-05 12:35:31 | 写真日和
今日は、コチャコの49日。
といっても脳内に陰鬱な気分は全く無く・おだやかである。天気のせいかもしれない。
暗闇の中に光るモニター。夜中から明け方まで、録ってあったドキュメントを見て、ビールを呑んでしまう。大して寝ていないのだが、9時には起き、部屋の寒さに震え・眼精疲労から来るらしき眼の痛みをマッサージする。

1月4日・11時から夜7時・16400歩・約1300枚の旅。

枚数が多けりゃいいってもんじゃない。また、じぶんの歩きは、いわゆる健康人のウォーキング、といった意味合いはゼロで無縁。結果などわからない。ただ、そのときの気分が乗れば、ずんずん進んでしまうだけの自慰行為に過ぎない。
このブログもしかり。

写真を撮り歩くなかで、気分はいろいろと変わる。単純にモノクロ/カラーと区分はできないものだが、時折モノクロームな気分のときには、撮った写真から色を差っ引いてみる。すると、そこに見えなかった像が浮かび上がる。その映し出されたものから、逆にじぶんが教えられることが多々ある。

今日は、そんな数枚の写真。そしてモノクロームに加工しているときに、エンドレスで掛けていたマウリツィオ・ビアンキの「リゲル(Regel)」を写真のバックに添える。

■マウリツィオ・ビアンキ 「リゲル(Regel)パート2」■




























コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする