日が暮れてから外へ出ることは滅多にないが、昨夜は中秋の名月に誘われて家の近くを歩いた。
月明かりだけで外を歩いたのは久しぶりだが、少し薄雲がかかった月がきれいだった。
座頭は差別用語のようだが、夫婦愛や弱者への労わりがうまく表現された良い句だと思う。
「名月や 視覚障害者の妻の ・・・」では、味も素っ気もなく、句にもならない。
文科省や識者は、暮らしに根付いた文化を簡単に消し去ってしまうが、そんな暇があるなら、言葉使いを教えることに知恵を出して欲しい。
差別語ではないが、「死の町」発言で辞任した大臣の一言は、いろいろな問題を含んでいる。
遅々として進まない復興復旧に耐え忍ぶ人たちにとって、思い遣りや配慮に欠ける言葉に違いないが、被災地の惨状が半年経ったても変わらない姿を、そう表現したのは現場を見ていない者には分かり易い。
やるべきことが他にあるのに、言葉尻を捕らえて政争の具にしたり、それを煽るマスコミ報道も大人気ない。
「放射能をうつす」も、それだけを取り上げれば、被災者を愚弄するもので許せない。
非公式の場で、へたに放った親父ギャグが、相手の記者に通じなかっただけのことであれば、内々のことにそれほどむきになって騒ぐことは無い。
記者の受けを狙った稚拙なサービスを、笑って受け流すくらいの度量がなければ、良い取材は出来ないと思う。
今日から臨時国会が始まるが、野党は任命責任や閣僚の言動を厳しく追及すると言っている。
被災者や国民は、政治を動かすことを願うのであって、ブレーキをかけることに税金を払うつもりはない。
本質以外の場所で相撲を取っている姿は、どっちもどっちで面白くもないし、もう見飽きた。
飛騨で名古屋で東京で同じ月を眺めたのですね。
息子がツイッターで本当はまん丸でない、なんてつぶやいていました。
私にはまん丸に見えましたが・・・
↓スイカ、二つとも食べられなくてよかったと思いましょう。
犯人も少し遠慮したのでしょうか?
それとも満腹で食べられなかった?
厳しい残暑はお米にはどうなのでしょう。
もう生長しきって気温は関係ないのでしょうか?
言葉はありますね。
その言葉だからこそ、生きる表現はやはり必要だと
思います。私はミッションスクールでしたので
賛美歌をこよなく愛してましたが、最近の賛美歌があまりに
変わってしまい、全く表現に欠けたつまらない物になりました。「クリスマスソング」でも然り「♪~賤の女をば母として~」とか、もう歌いません。「賤」「奴隷」など禁止用語
なのです。しかし、イエス様は馬小屋で産まれた奴隷の子
ですからね~。
最近、TVで砂の器を見ました。これも松本清張さんの代表作「ハンセンシ病」が
重要な設定になってますが、使えないのでなんとも
説得力がありませんでした。
最近、大臣が言われた「死の街」はまさにそうだと
実感された素直な表現だと私は思いましたが...。
清らかな月を見ていて、はからずも政治ネタに飛んでしまいました。
目くそが鼻くそを笑うようなことばかりなので、つい余計なことを・・・
どこでも月はきれいに見えたようですね。
少し楕円がかっていたけど、まん丸お月様でした。
いつもお裾分けをしているので、それほどムキにはなっていません。
行儀の悪い食べ方には、いつも腹が立ちます。
翌日見たら、残りをきれいに食べて皮だけになっていたので、許すことにしました。
籾も成熟して水は田に残った水分だけで十分です。
最後の10日間の強い陽射しは、米の旨味を増し、田を乾かしてくれるので、ありがたい恵みです。
人間にとっては、残暑が厳し過ぎますね。
蔑称や蔑視は慎むべきですが、過剰反応で言葉の文化が失われていくのは残念ですね。
子供同士のいじめも、言葉使いの貧しさが深刻な問題を起こしているように思います。
ゲーム世代以降は本を読む人が減ったといわれてますが、色々なところに影響が出ているようです。
松本清張は、暗い過去とか底辺の生き様を描いて読者を魅了したけど、今はそういう設定を表現する言葉や状況設定の制約が多すぎますね。
小説を書くryoさんは、どう対応されてますか?
東京裁判で死刑に成られた広田氏が今の日本を見られたらどのように思われるか。
日本は戦後の中に本来の日本を忘れたかのように思います。
これは悲しい事でです。
私は中秋の日を中国の人たちに祝っていただきました。
まともな政治が行われるよう期待したいと思います。
内政がしっかりしないと、海外で仕事をする人にも影響が出るようですね。
そういう環境でも、現地の人たちと仲良く仕事が進んでいるようで心強く思います。
がんばって下さい。