※20年近く前の文章。今でもオムライスは好き。
「創作とはオムライス」だという言葉がある(※1)。
オムレツという伝統的な料理があり、一方でチキンライスという確立された料理がある。そんな中で創造的な料理を作るというのは組み合わせることであり、組み合わせるためには、その伝統的で確立された料理を完璧にしていなくてはいけないのだという論理であった。
だから(※2)、私にとってオムライスは大事なものであり、非常に好きであり、しばしば食べる。中村屋に行った時には八割の確率で食べる。たいめいけんに行くと牛肉オムライスとたんぽぽオムライスの選択に迷ってしまう。
個人的には、ケチャップ系の味よりもデミグラ系が望ましいが、カレー系などの邪道というか外道というか、そういうのも好きである。(※3)
しかし、だ。
オムライスを食べるのは非常に難しい。下手な食べ方をすると卵がベチョっとしてしまう(※4)。だからといって、スプーンで卵をきっぱりと切ってしまうのもいかがなものか。「切断」という行為ほど可憐(※5)とも言うべきオムライスに似合わぬ行為もあるまい。かといって、首がおむかえにいくにも、不適当であろう。ラーメンのように食欲を全面に出していい食べ物なら、ともかく、可憐なオムライスに対しては紳士としてふるまいたいではないか。
しかし、紳士淑女諸君よ、案ずることはない。
我々と「オムライス」の歴史ははじまったばかりなのだから(※6)。
※1 筒井康隆氏だったような気がする
※2 「だから」なのか?
※3 ちなみにいずれの場合も卵は「ふんわりと」していること
※4 あ、「ふんわり」卵前提で話しをすすめてる
※5 オムライスの可憐さについては、形状、色彩、皿との対比で妥当であるという日本洋食学会の視覚美学基準表を筆者も妥当と考える。
※6 オチが弱いな
(旧HP2002 05/11の日記の改稿)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます