旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

エディルネへ

2012-10-04 09:33:36 | トルコ
朝、イスタンブルを出て西へ。ギリシャとブルガリアの国境に近いエディルネへ向かう。いつも思うのだが、トルコのドライブインは食べ物が充実している。スナックというにはもったいないメニューをちゃんとその場で調理してくれる。昼のバッフェはもう十分なレストランだ。今朝はお茶だけね。

エディルネを代表するのは、昨年世界遺産にも登録されてしまったセリミエモスク。これでまた観光客は増加することだろう。
セリミエモスクから歩いてすぐのところに、かつてのキャラバンサライがある。スレイマン大帝の臣下だったソコルル・メフメット・パシャがつくらせた建物。今はホテル。こんばんはここを宿にした。

郊外にあるもうひとつの見所「バヤズィット二世の医療コンプレックス」を見学に行く。ここは十六世紀の病院であり、医学学校であった場所。モスクとともに病院棟、学校棟がある。バヤズィット二世の胸像はだいぶん後から置かれたもの。※ここについてはまたあらためて書きます。
一角で伝統工芸「マーブル紙」の実演をやっていた。※これについてはここにもう少し詳しく書きました。

十五世紀の大宮殿は今や廃墟となっている。

エディルネはトルコ相撲のメイン会場となっている。歴代名横綱の像が立ち並ぶ。

街へ戻り、ちいさなエディルネ考古学博物館を見学した後、いよいよセリミエモスクへ。
ここはやはり圧倒的に美しい空間だ。百年少し前に建設されたエスキ(古い)モスクと比べて圧倒的に明るい。※エスキ・モスクに関してはこちらに書きました

有名な「逆さチューリップ」の彫刻は、中央の泉の一角にある。以前来た時には真っ黒でカバーもされていなかったが、今回はこのとおり真っ白に洗われていた。

エディルネのビザンチン=東ローマ帝国時代の名前はアドリアーノポリ。五賢帝のひとりハドリアヌスにちなんでいる。この時代の名残は、このマケドニアの塔。

夕食はこの街の名物・レバーフライと豆のスープ、サラダ、肉の盛り合わせであります。

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コンスタンティノープルを歩く(午後)

2012-09-27 13:04:34 | トルコ
昼食後、バヤズィット2世モスクからロシア人商店の立ち並ぶ一角へ歩いて行った。巨大な箱をいくつもいっきに運ぶため、こういう荷車をもったポーターが商売を待っている。

路地を抜けると
10世紀の教会を改修したボドルム・メシ・パシャ・モスク=旧ミレレオン修道院・教会が残されている。近くのボドルム(地下)には十字架の柱こちらに詳しい話をかきました。

海まで出ると、地下鉄工事現場。ここでは昨年たくさんの古代船が発見され、イスタンブルの歴史をがより古いものだったと実証されてきている。
**★黄金の門
テオドシウス城壁に沿って車を走らせ、かつてコンスタンティノープルの正門だった「黄金の門」へ。ここは後の時代に要塞化されて七本の塔が立ち、エプタ・ピルギオン(七つの塔)と呼ばれた。現在の呼び名はそのトルコ語訳でエディ・クレである。現在でも充分に要塞の様相である。
この門を入るといきなり空き地がひらけた。
真ん中にぽつんと煙突のようなものが残っている。※パノラマ写真とこれについての説明はこちらからお読みください。
壁内部の階段を上ってく
「黄金の門」の上に出る。眺めは良いが落ちないように気をつけて。
中庭から城壁へあがる階段は手すりもなく、落ちたらたいへん。

別の一つの塔は、戦時に相手国の大使を幽閉するのに使われていた。ここには大使達が残した各国語の落書きがあるそうな。

***東ローマ帝国時代の教会だったモスクをもうひとつ訪ねる
★コジャ・ムスタファ・パシャ・モスクはかつての聖アンドレアス教会
1489年にモスクに変えられた。
名前の主コジャ・ムスタファはギリシャ人からの改宗者。バヤズィット2世が皇太子の頃から使えて厚く信頼された。
現在のグランド・バザールを作った人でもある。彼はしかし次の皇帝セリム1世の時代、帝の弟アハメッドを帝位につけようとした疑いで1512年に処刑された。
~このモスクについては別のところにまた書きます。
ネコいっぱい(笑)
現在ではモスクそのものよりも、ここに葬られたイスラムの一派をつくった人の墓があることで人々が集まってきている。その時代からあった老木。

****
ヴァレンス帝の水道橋をぬけて
ガラタ塔までやってきた良いお天気で対岸のトプカプ宮殿が半島の先に見える。

ホテル・チュラン・パレスへ入り、部屋からボスポラス第一大橋の夜景を眺める
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コンスタンティノープルを歩く

2012-09-17 00:55:16 | トルコ
イスタンブルではなく、この街に残るかつてのコンスタンチノポリス(コンスタンンティノープル)の名残をちゃんと見てみたいと思って今日の行程を組んだ。
アヤソフィアのような有名なものでなく、注意深く目を凝らさなければ心に届いてこないもの。
現在はモスクとして使われている東ローマ帝国時代の教会は思いのほかたくさん残されている。
なかでも、アヤソフィアの十年前に、アヤソフィアを建設した同じ建築家の教会は最初に見ておきたかった。
●キチュク(小さな)・アヤソフィア

こちらに少し詳しく書きました。

少し上がっていくと古い人工の壁が見えてきた。
この上は古代ローマの競馬場=ヒッポドローム。こんなふうな場所だった。全体を空から見ると
現在二つのオベリスクと青銅の蛇の壊れてたものがある一般的な観光で必ず訪れる広場。
ここは何度も訪れていたけれど、この古代の人工基礎は今日はじめて見て今までと全然違う感慨があった。

●古代の貯水槽、通称「地下宮殿」二本の柱にだけ、メドゥーサの顔をした石が使われている。
このメドゥーサの石と確実に同じものを考古学博物館の庭で見つけた。それについて、こちらに少し書きました。
●ビンビルディクは同じく古代の貯水槽だが、ほとんど誰も見学には来ない場所であります。こちらからお読みください。

古代のメインストリートと同じ道を西へ歩いていく、グランド・バザールでお昼に。
すぐ近くにはコンスタンチヌス大帝のフォロに立っていた柱が残されている。もともとはこんなかたち。
広場とその周辺の建物は全部変わってしまったけれど、柱だけは何度も後世の修復を経たにせよこうして立ち続けている。
コンスタンチヌス大帝の円柱についてはこちらに詳しく書きました。



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