旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

坂道のルーネンバーグを歩くとたくさんの教会に出会う

2019-10-21 10:00:00 | カナダ
↓入り江から続くまっすぐな坂道につくられたルーネンバーグの街

↓静かな朝の入り江にヨットがうかんでいる

まっすぐに通された道は1753年に建設された当時とかわらない

「きれいな街だなぁ」

歩いているうちにゆっくりと感じてくる

もしろんこの季節だということもある

観光バスがやってくる時期でなく、人の少ない朝であることもある

「有名」や「定番」といった予定調和でないほうが

記憶に残る旅になる

宗派の異なる教会がたくさんある。

↑これは教会の建物だったが1775年から1902年まで裁判所として使われたと解説されていた
↓すぐ前に立派な英国国教会↓

↑やはり支配者の宗派ということなのかしらん



↓このカトリック教会は作られてから百八十年が経つそうだ

↓見ていたら中に招き入れてくださった。
正面祭壇から左に向かってL字型に信者席が配置されていて不思議だとおもったら、そこは1980年代に拡張された部分だった。

↓175周年記念のステンドグラスに、拡張前のこの教会の姿が描かれていた。なるほど。↓

↑二つ前の写真と見比べてみてください

教会堂横には18世紀からの古い墓碑

先住移民だったフランス人はカトリック教徒が多かったから、このルーネンバーグには北ドイツとノルウェーのプロテスタントを移民誘致したとされている。
流血の確執は長く続いたし、今でもなくはないのではないかと思う。

「1930年から三十年間は閉鎖されていたのよ」と話してくれた。
そりゃあこの小さな街だけでこれだけの数の教会をささえていくのはたいへんです。

丘を降りて、古いフランス人墓地へいってみよう
さっきのカトリック教会を掃除していたお二人に古いフランス人墓地のことを訊ねると、お一人は「そんなのがあるの?」とけげんな顔。もうお一人が「ああ、あるね」との反応。
住んでいる人がみんなその町のコトを知っているというわけではない。

坂道の住宅街のはずれの先住フランス人たちの古い墓地↓

ルーネンバーグの街はガイドブックやネットには1753年に建設されたと書かれている。
しかし、それ以前にMerligueheと先住部族が呼んでいた町にフランス人が住んでいた。
★以下はこの墓地に掲げられていた解説文より
Merligueheは「白い頭(波頭を意味したそうだ)」
※どのように発音すべきかわからない。フランス風になら「ムルリゲ」だろうか
1632年にはすでにフランス人のコミニュニティが存在し、先住民たちから毛皮を仕入れてヨーロッパに売る商売をはじめていたとされている。






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マホン・ベイからルーネンバーグへ

2019-10-20 20:14:46 | カナダ
入り江の向こうにマホン・ベイの四つの教会が見える

今晩泊まるルーネンバーグの少し手前で休憩した
入り江を見晴らすこんな場所

ハロウィンが近いから



スーパーの店先でこんなものが売られている

ひとつ3ドル99=日本円で360円ほど。自分で彫るのですねぇ。

小さい村だが観光客に人気。良い感じのレストランもある↓「究極のチャウダー」ってどんな?

ダジャレ看板も


**
ルーネンバーグまで十キロほどで到着。
まずは街の上にそびえる「アカデミー」へ↓

ここは百十七年間公立学校だった。
1893年に火事で焼けた前の校舎に代わり、1895年にこの建物が完成。
完全に19世紀のまま現代に伝わる、ノヴァ・スコシアで唯一の建物だと解説してあった。
↓学校は広大な墓にかこまれている↓子供たちには怖かっただろうなぁ


**港近くの「密輸業者たちの宿」という名前の小さなホテルにチェックイン↓
↓写真で右側に看板が出ております

↓全体はこんな↓

ルーネンバーグは世界遺産に指定されているので多くの観光客がやってくるが、大きなホテルがない。
なのでツアーグループは泊まることがないのだが、朝夕にこの街並みを歩くのが楽しいのです(^.^)

夕食は↓写真左側のお店へ

↓このチャウダーはホタテも鱈もたっぷりはいっていて満足感がある

ロブスターがあれば必ず食べることにしている今回

肉もおいしいのですが


明日朝はルーネンバーグの街並みを歩いてみよう

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ハリファックスのシタデルからペギーズ・コーヴへ

2019-10-20 15:08:14 | カナダ
紅葉した低木と白い岩肌、蒼い水平線
ハリファックスからペギーズ・コーヴ灯台への海岸線を見飽きなかった

**
ハリファックスのシタデルは1749年に町が建設された直後につくられはじめた。
もともと先住のフランス系・カトリック住民に対抗する軍事拠点としてはじまった計画都市なのである。ケント公が寄贈した時計塔↓昨年の修復がおわっていた

入口にはスコットランドの民族衣装・キルトを着用した兵士↓


昨年なかった「ノルマンディー上陸作戦」の展示があった。
↓これ、ただの写真展示じゃありません↓海岸の様子が再現されていたのです↓

若いボランティア兵士が当時の様子を解説してくれる
上陸作戦は100キロ以上の幅・六ヶ所以上の海岸で同時に行われた

映画「プライベート・ライアン」で描写されたオマハビーチが有名だが、その次に激戦だったとされるジュノービーチにカナダ軍兵士一万四千人が加わっていたのか↑
↑当時カナダの国旗はまだカエデ印ではなくイギリスの旗が入ったスタイルだったので、それが描かれている↑※カナダの国旗がカエデになったのは1965年から

ドイツ軍が待ち受けていたトーチカ内部も再現してある↓

↑壁には「注意しろ!敵は聴いている」の文字。これは1940年ナチス政権がつくったプロパガンダ映画の題名でもある

**通常の展示も見学していたら一時間があっという間
↓1917年に起こった「ハリファックス大爆発」は原爆以前に引き起こされた爆発としては人類史上最大のものだったと言われる↓高性能爆薬を満載したフランスの船に衝突したノルウェーの船↓爆発後に座礁した写真


***
このシタデルでいちばん見るべきものは「ヌーン・ガン」と呼ばれる正午の空砲

「黒色火薬は低く大きな音がするんだよ」と兵士が説明してくれた
↓空砲の後大きな白煙が上がり、あわててカメラをとりだしたのでちょっとしか映っておりませんがけっこうな煙だった

↓この大砲が鳴らされた

シタデルの外に出るとピンクの市内観光バス

今日はクルーズ船がついていないのでゆっくり観光できる。
夏場にクルーズ船がついていると何十台ものバスがいっせいにやってくるのでどの観光地も一瞬で劇混みになってしまう。観光シーズンは少し外した方がよいですね(^.^)
****

午後は海岸線を左に見ながらペギーズ・コーヴへ向かう。
なんとも美しい海岸線にみとれつづける↓


ノヴァ・スコシアを代表する灯台に到着↓

岩だらけの、しかし美しい海岸線はスコットランドから移住してきた人々に故郷を思い出させたにちがいない

スコットランドのバグ・パイプを鳴らしている




お昼時。
何か軽く食べようと思ったが、灯台近くに一軒しかないレストランは混みあっている。
と↓こんなのをみつけた

ロブスター・ロールとロブスターのお粥
今日はこれにしましょ(^.^)




ビジターセンターはもう閉まっていて、来年の五月まで開かない


今日宿泊する世界遺産にも登録されたルーネンバーグまでゆっくりドライブしよう

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二度目のハリファックス

2019-10-19 18:06:33 | カナダ
ハリファックスの古い波止場で。
モード・ルイスの絵を背景に、今回の旅メンバーが額におさまった(^.^)

1970年に亡くなった彼女は、若年性関節リュウマチで身体が小さく美術教育もうけなかったが、幸せに生きたと言えるのだろう。彼女の生涯は、2018年に「幸せの絵の具~愛を描く人」という題名で映画になっていた※公式サイトの予告編を見ることができます
**
前日、羽田空港からトロントを経由してハリファックスに入った。

午後六時半にトロントの空港を離陸

トロントのダウンタウンにCNタワーが見えた


翌朝、ホテルの部屋からハリファックスの深い入り江が朝日に輝いている

穏やかに晴れた日曜日の朝。
三十五キロに切れ込んだハリファックス入り江の入り口へドライブ↓

大西洋岸に面したこのあたりはケベックよりも温暖で紅葉の時期も少し遅い。
1749年にイギリスによって建設されたこの町にはイギリス風の公園もそろっている↓
↓ヴィクトリア女王公園

↓あづまやはヴィクトリア女王の即位五十周年を記念してつくられたものだなのだそうだ

小さな池にはタイタニック号もうかんでいる↓

↓ハリファックスは1912年の事故の時、いちばん近い港だったので(それでも千五百キロ離れている)救助船が向かい、多くの遺体も埋葬された。あの映画「タイタニック」のモデルになったとされる人物の墓もある。

↓今回のドライバー、ピエールさんと今日のガイドのドナさん↓

***
再開発された桟橋地区へ

ここは荒れた港湾地区だったのだというが、今は人気のコンドミニアムがならぶエリアになった。

そこで、冒頭のモード・ルイスの額縁にであったのだ↓

↓21番桟橋では1972年までこのエリアへの移民たちが検査をうけていた↓ニューヨークのエリス島にあたる場所だ↓今は移民博物館になっている↓

この近くに近年おかれたこの像は、「とらさん」ではない↓

夢と希望を胸に、ヨーロッパに家族を置いてやってきた移民労働者をあらわしている↓

ほんの半世紀前まで、いや、今でもカナダはこういう成り立ちの国なのだ。
それを、忘れないためにこういう像はたてられる。

↓一角のビルの前にこんな旗がひるがえっていた↓

ローカルガイドさんも??とのことだったが、あとで調べてみるとミックマク族の議会がここにあって、そのシンボル旗だった。
初期のフランス人移民が越冬で飢え死にしそうになった時、先住民のミックマク族の助けがあってのりきったのだ。今は五つの「保護区」に四万五千人が暮らしている状況だけれど、彼らこそがネイティブ・カナディアンなのである。

きれいな空色に塗られたのはエイモス・ピューターというお店↓

今日午後に訪れるマホン・ベイに1974年に創立された会社
↓ノヴァ・スコシアらしいこんなデザインのしおり


日本語を勉強してますという店員さん


↓アレキサンダー・キースという地元のビール会社


ハリファックスの要塞で、正午の大砲「ヌーン・ガン」を見よう



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雨の朝、ケベックシティ下の街をもう一度訪問。バスでモントリオールへ移動し一泊、翌日帰国便に乗る。

2018-10-10 09:42:05 | カナダ

*****


ラウンジで朝食を。窓からみると今日も巨大な客船が

正午のチェックアウトまでゆっくりする。
雨が降っているがちょっと散歩に出てみよう

シャトーフロントナックのすぐ横から下の街へ降りるエレベーターがある↓

↓十人ほどしか乗れないが

あっという間に下の街へつれていってくれる

**
ケベックシティ「下の街」で↓レストランを覗く豚…

ケベック産の豚肉はブランド物として日本にも輸出されている

セントローレンス川に面した下の街はいまも賑やか
きのう見上げた、ケベックの歴史上の人物が描かれた壁↓

↓近くにウルスラ女性修道士会がもともとあった場所だという看板があった↓

ルイ14世によって派遣されてきた「王の娘たち」はここで教育をうけていたのか

ピエール通りをそのままいくと「文明博物館」がある↓

ロビーまでなら入場料は要らない。そこに、18世紀の小舟が展示されている↓

★1985年博物館前のピエール通りから18世紀の船が三艘みつかった。
沖に泊めた大きな船から荷物を運んだりしていた平底船だった。
かつてここは川岸で、1751年に埋めたてられた場所。
その時までエティエン・コーバンという船大工の工房があったと記録されているそうだ。
*****
上の街へもどり、12時にシャトーフロントナックをチェックアウト。
駅近くのバスターミナルへ

からモントリオール空港行のバスに乗る
みちすがら、紅葉が美しい

空港から十分のホテルにチェックイン
さいごの夕食もゆっくりホテルで。
このホテルに決めたのはここのダイニングがなかなか評判がよかったから。

予想を裏切らないものでした


翌朝、モントリオール空港から帰国便に搭乗










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