《手造の旅》スリランカ、三日目。ダンブッラ石窟寺院の次にポロンナルワ都市遺跡。
遺跡見学の前に、堤防から滔々と清らかな流れが目に留まった。
今から一千年も前に、パラクラマ・バーフ王が建造した人造湖だと聞いて驚いた。
現代になって修復されたとはいえ、現在でもこの水が現代のポロンナルワの町を繁栄させているのだ。
それこそ、古代ローマにも匹敵するような土木工事が行われていたという事。
紀元前からの首都とされたアヌラダプラから、紀元後10世紀ごろに80㎞ほど南に位置するここに首都が移された。
スリランカのシンハラ王朝は、常に南インドのタミル人との戦いと共存の歴史をもっている。
ポロンナルワに都を定めたヴィジャヤバーフ一世が王子キッティという名前だった時代には、もっと南の山岳地帯ルフラまで追われていたのだった。
●三十二本の大理石の柱に支えられた木造二階建ての寺院跡。
この建物は首都になる以前の七世紀から存在したとされる
通常のムーンストーンに入る牛は、ヒンズー教徒が多かったこの時代に配慮して、足で踏む場所には描かれていない。
横にはちゃんとおりました
ポロンナルワを取り戻し、仏教徒の聖遺物である「ブッダの犬歯」を収める堂を建設し、ヴィジャヤバーフ王は敵である筈のタミル人とも時々にうまく付き合っていた。
衛兵(Velakkaraと呼ばれる)はタミル人だったのである。
●タミル人が理解できる文字で記された「保証書」がこれ。時には反乱さえ起こしたタミル人の衛兵たちだったが、ブッダの聖遺物を守る役割をまかされていたのである。
王が祈るための場所は少し変わったかたちにねじれた石の柱で支えられていた
隣りにあった筈の堂はATADAGE(アタダーゲ)と呼ばれるが、ATAは数字の8である。これが何を意味するのか諸説ある。ひとつは八つの聖遺物を収めていたからというもの。
もうひとつは、この建物は八日間で完成したから、というもの。
実際この建物に使われている建材は前の首都アヌラダプラでも使われていたものと推察されているのだそうだ。
●仏教が衰退しかかっていたこの時代に、現在のタイやミャンマーから僧を呼び寄せた記録もあり、こんなタイの様式をつかった仏塔もある
●ニッサンカマッラ王の時代にシギリアからもってられた5トンの石でつくられた「石の本」
⇒これについてはこちらももう少し書きました。
●唯一屋根も残っている建造物、内部には損傷はしているが仏像が設置されていて、その目にはかつて宝石がはめ込まれていたとされる
**ここまでが「クワドラングル」と呼ばれる四角い形をした少し高台になったエリア**
北にはたくさんの寺や宮殿の跡がのこっているのだが、とても全部見て回る時間はない。大事な所を選んでバスでまわる。
●ポロンナルワ最大の仏塔であるランコット・ヴィハーラ
高さ55メートルということは、パリの凱旋門より高いのだ。
もともとは先端が金色に塗られていたとされる。
●17メートルを超える仏像が見下ろすランカティカラ
僧院であり、大学であったエリアの中心とされている。
かつてはフレスコ画で美しく飾られていたなごりがところどころに見つかる。
●キリ・ヴィハーラ「キリ」とはミルクを意味する。白いゆえのネーミング。12世紀の皇后のひとりが建設させたとされる。
●ガル・ヴィハーラ
最初に紹介した人造湖を建設したパラクラマ・バーフ王が施主となった建物の跡。
三体の巨大なブッダは、左から瞑想、悟り、涅槃の姿をあらわしているとされる。
巨大だが、それぞれが繊細な感情表現をもってつくられているのが感じられる。
***
ちょっと遅めの昼食は、つい先日当選した新しい大統領シリセーナさんの弟が経営しているのだそうだこの地方を地盤とする一族の出身なのだそうだ。
****
ガイドのマーティンさんのお父さんは砲兵隊の中佐で、この基地にも滞在していたのだそうだ子供のころに父親の職場を訪問した話をしてくれた。
*****
ミネリアの自然保護地区でサファリ体験!
ジープが待つ場所で突然蒸気機関車に遭遇
⇒この話、もう少しこちらに書きました。
「象さ~ん、出てお出でぇ」
いたいた、八頭のファミリー。静かに静かに。
といっても、どんどんジープが集まってくるのですが。
遺跡見学の前に、堤防から滔々と清らかな流れが目に留まった。
今から一千年も前に、パラクラマ・バーフ王が建造した人造湖だと聞いて驚いた。
現代になって修復されたとはいえ、現在でもこの水が現代のポロンナルワの町を繁栄させているのだ。
それこそ、古代ローマにも匹敵するような土木工事が行われていたという事。
紀元前からの首都とされたアヌラダプラから、紀元後10世紀ごろに80㎞ほど南に位置するここに首都が移された。
スリランカのシンハラ王朝は、常に南インドのタミル人との戦いと共存の歴史をもっている。
ポロンナルワに都を定めたヴィジャヤバーフ一世が王子キッティという名前だった時代には、もっと南の山岳地帯ルフラまで追われていたのだった。
●三十二本の大理石の柱に支えられた木造二階建ての寺院跡。
この建物は首都になる以前の七世紀から存在したとされる
通常のムーンストーンに入る牛は、ヒンズー教徒が多かったこの時代に配慮して、足で踏む場所には描かれていない。
横にはちゃんとおりました
ポロンナルワを取り戻し、仏教徒の聖遺物である「ブッダの犬歯」を収める堂を建設し、ヴィジャヤバーフ王は敵である筈のタミル人とも時々にうまく付き合っていた。
衛兵(Velakkaraと呼ばれる)はタミル人だったのである。
●タミル人が理解できる文字で記された「保証書」がこれ。時には反乱さえ起こしたタミル人の衛兵たちだったが、ブッダの聖遺物を守る役割をまかされていたのである。
王が祈るための場所は少し変わったかたちにねじれた石の柱で支えられていた
隣りにあった筈の堂はATADAGE(アタダーゲ)と呼ばれるが、ATAは数字の8である。これが何を意味するのか諸説ある。ひとつは八つの聖遺物を収めていたからというもの。
もうひとつは、この建物は八日間で完成したから、というもの。
実際この建物に使われている建材は前の首都アヌラダプラでも使われていたものと推察されているのだそうだ。
●仏教が衰退しかかっていたこの時代に、現在のタイやミャンマーから僧を呼び寄せた記録もあり、こんなタイの様式をつかった仏塔もある
●ニッサンカマッラ王の時代にシギリアからもってられた5トンの石でつくられた「石の本」
⇒これについてはこちらももう少し書きました。
●唯一屋根も残っている建造物、内部には損傷はしているが仏像が設置されていて、その目にはかつて宝石がはめ込まれていたとされる
**ここまでが「クワドラングル」と呼ばれる四角い形をした少し高台になったエリア**
北にはたくさんの寺や宮殿の跡がのこっているのだが、とても全部見て回る時間はない。大事な所を選んでバスでまわる。
●ポロンナルワ最大の仏塔であるランコット・ヴィハーラ
高さ55メートルということは、パリの凱旋門より高いのだ。
もともとは先端が金色に塗られていたとされる。
●17メートルを超える仏像が見下ろすランカティカラ
僧院であり、大学であったエリアの中心とされている。
かつてはフレスコ画で美しく飾られていたなごりがところどころに見つかる。
●キリ・ヴィハーラ「キリ」とはミルクを意味する。白いゆえのネーミング。12世紀の皇后のひとりが建設させたとされる。
●ガル・ヴィハーラ
最初に紹介した人造湖を建設したパラクラマ・バーフ王が施主となった建物の跡。
三体の巨大なブッダは、左から瞑想、悟り、涅槃の姿をあらわしているとされる。
巨大だが、それぞれが繊細な感情表現をもってつくられているのが感じられる。
***
ちょっと遅めの昼食は、つい先日当選した新しい大統領シリセーナさんの弟が経営しているのだそうだこの地方を地盤とする一族の出身なのだそうだ。
****
ガイドのマーティンさんのお父さんは砲兵隊の中佐で、この基地にも滞在していたのだそうだ子供のころに父親の職場を訪問した話をしてくれた。
*****
ミネリアの自然保護地区でサファリ体験!
ジープが待つ場所で突然蒸気機関車に遭遇
⇒この話、もう少しこちらに書きました。
「象さ~ん、出てお出でぇ」
いたいた、八頭のファミリー。静かに静かに。
といっても、どんどんジープが集まってくるのですが。