アヴィラはスペインの守護聖女とされるテレサが生まれた町。
それはちょうど四百年前の1515年3月28日だったとされている。
今年は例年以上にたくさんのキリスト教徒が訪れる。
テレサの生まれ育った家は、南のラストロ門を入ってすぐのところにあった。
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今、その場所は教会と修道院となっている
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中には彼女のベッドルームと小さな庭だけが当時のままに保存されている
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彼女は裕福な家庭で敬虔なキリスト教徒として教育を受けて育った。
祖父が元ユダヤ教徒だったことも反動としてあるかもしれない。
伝え聞く「聖者のように生きたい」と思った彼女は七歳の時弟と共に街を出たが、
城壁の西はずれ「クワトロ・ポステス」で叔父に連れ戻されたという
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城壁の一角を占めるカテドラルはテレサも見ただろう
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大聖堂横に城門を出たところにあるテレサが訪れていたサンタ・トマ教会。
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「1515Avila」の旗が出て、今はこの町の郷土博物館となっていた。
入り口には「ギザンドの牛」のひとつが展示されている。
古代ローマ以前の民族がつくったという石の動物は牛のかたちをしているものばかりではないが、
総称して「ギザンドの牛」と呼ばれているのだ。
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博物館の展示は多彩。
面白かったのは現在サン・ニコラ教会がある城壁外の南地区に、イスラム教徒の埋葬地があったという展示。
イスラム教はキリスト教徒違ってモスクに墓はつくらない。
白い布に巻いてそのまま地面に葬る。
そのしるしとして置かれていた墓石の数々
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そして、埋葬殿だったと思われる建物の跡が復元されていた。
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奥の石に月と星のしるしが見える。
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復元のビデオが分かりやすい。
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あとから城壁の外を歩いた時、サン・ニコラ教会とその埋葬地だったあたりが見えた
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郷土博物館本館は、教会すぐ近くの貴族の邸宅を改装して建設されている。
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こちらもたいへん興味深い展示がいっぱいあったが、ひとつ目に留まったのがこの青銅製の水差し?
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レコンキスタ以前、おそらくヴィシ・ゴートかその後のムスリム時代に製作されたものと推察されている。
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**
アルカサル門を出たところにあるサン・ペドロ(ペテロ)教会もロマネスクの美しいかたちをしている。
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後陣からみると、塔の下部にもっと古い時代と思われる石材が使われているのが分かる。
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すぐ近くに見えたロマネスクの後陣に惹かれてとなりの建物へ足を向けたが、
今はリタイア・ホームになっていた。
ううむ、中はどんななのだろう。
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****
街中で突然出会った等身大のブロンズ像。
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誰なのか? マドリッドから来たガイドさんも気付かなかったが、カテドラルで見つけた新しい墓を見て思い当たった「そのひと」だった。
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「融和は可能だった」と一番下に書かれている。
★アドルフォ・スアーレスは、1976年から81年までスペインの首相を務めた。
長いフランコ独裁体制の後、スペインを民主化する国王の意志を最前線で実行した人物。
この時期のスペインを率いていくことが文字通りの命がけであった事は、「23-F」と呼ばれる1981年2月23日に起きたクーデターの映像を見るだけで理解できる。
共産党が合法化され、政党政治が推進される中、フランコ独裁を支えた軍部が国会を占拠してクーデータを起こそうとした。
印象的な角形帽子をかぶった中佐が銃を手に国会へ乗り込み、抵抗する議員たちに威嚇発砲する。
YOUTUBE画像。多くの議員が机の下に隠れる中、最前列右端に平然と座っている人物がスワーレス。
1968年にセゴビア県知事をしていた36歳の時、訪れた31歳だった当時の皇太子ファン・カルロスの知己を得た。
1975年にフランコが死去し、国王となったファン・カルロスが翌年首相に望んだ。
独裁体制の後、ともすれば再び内戦にも陥りかねなかったスペインの融和を可能にした実力は、現在の左右どちらを支持する人であっても評価している。
昨年2014年に亡くなるまでの十年は認知症を発症し、勲章を自ら手渡しに訪れた国王のが「私は君の古い友人だよ」と自己紹介しなくてはならなかったのだそうだ。
⇒こちらにもう少し書きました。
マドリッドの空港はアドルフォ・スアーレス・バラハス国際空港と改名された。
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それはちょうど四百年前の1515年3月28日だったとされている。
今年は例年以上にたくさんのキリスト教徒が訪れる。
テレサの生まれ育った家は、南のラストロ門を入ってすぐのところにあった。
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今、その場所は教会と修道院となっている
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中には彼女のベッドルームと小さな庭だけが当時のままに保存されている
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彼女は裕福な家庭で敬虔なキリスト教徒として教育を受けて育った。
祖父が元ユダヤ教徒だったことも反動としてあるかもしれない。
伝え聞く「聖者のように生きたい」と思った彼女は七歳の時弟と共に街を出たが、
城壁の西はずれ「クワトロ・ポステス」で叔父に連れ戻されたという
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城壁の一角を占めるカテドラルはテレサも見ただろう
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大聖堂横に城門を出たところにあるテレサが訪れていたサンタ・トマ教会。
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「1515Avila」の旗が出て、今はこの町の郷土博物館となっていた。
入り口には「ギザンドの牛」のひとつが展示されている。
古代ローマ以前の民族がつくったという石の動物は牛のかたちをしているものばかりではないが、
総称して「ギザンドの牛」と呼ばれているのだ。
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博物館の展示は多彩。
面白かったのは現在サン・ニコラ教会がある城壁外の南地区に、イスラム教徒の埋葬地があったという展示。
イスラム教はキリスト教徒違ってモスクに墓はつくらない。
白い布に巻いてそのまま地面に葬る。
そのしるしとして置かれていた墓石の数々
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そして、埋葬殿だったと思われる建物の跡が復元されていた。
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奥の石に月と星のしるしが見える。
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復元のビデオが分かりやすい。
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あとから城壁の外を歩いた時、サン・ニコラ教会とその埋葬地だったあたりが見えた
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郷土博物館本館は、教会すぐ近くの貴族の邸宅を改装して建設されている。
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「融和は可能だった」と一番下に書かれている。
★アドルフォ・スアーレスは、1976年から81年までスペインの首相を務めた。
長いフランコ独裁体制の後、スペインを民主化する国王の意志を最前線で実行した人物。
この時期のスペインを率いていくことが文字通りの命がけであった事は、「23-F」と呼ばれる1981年2月23日に起きたクーデターの映像を見るだけで理解できる。
共産党が合法化され、政党政治が推進される中、フランコ独裁を支えた軍部が国会を占拠してクーデータを起こそうとした。
印象的な角形帽子をかぶった中佐が銃を手に国会へ乗り込み、抵抗する議員たちに威嚇発砲する。
YOUTUBE画像。多くの議員が机の下に隠れる中、最前列右端に平然と座っている人物がスワーレス。
1968年にセゴビア県知事をしていた36歳の時、訪れた31歳だった当時の皇太子ファン・カルロスの知己を得た。
1975年にフランコが死去し、国王となったファン・カルロスが翌年首相に望んだ。
独裁体制の後、ともすれば再び内戦にも陥りかねなかったスペインの融和を可能にした実力は、現在の左右どちらを支持する人であっても評価している。
昨年2014年に亡くなるまでの十年は認知症を発症し、勲章を自ら手渡しに訪れた国王のが「私は君の古い友人だよ」と自己紹介しなくてはならなかったのだそうだ。
⇒こちらにもう少し書きました。
マドリッドの空港はアドルフォ・スアーレス・バラハス国際空港と改名された。
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