旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

聖女テレサとアドルフォ・スワーレスの町、アヴィラ

2015-04-19 21:44:36 | スペイン
アヴィラはスペインの守護聖女とされるテレサが生まれた町。
それはちょうど四百年前の1515年3月28日だったとされている。
今年は例年以上にたくさんのキリスト教徒が訪れる。

テレサの生まれ育った家は、南のラストロ門を入ってすぐのところにあった。

今、その場所は教会と修道院となっている

中には彼女のベッドルームと小さな庭だけが当時のままに保存されている


彼女は裕福な家庭で敬虔なキリスト教徒として教育を受けて育った。
祖父が元ユダヤ教徒だったことも反動としてあるかもしれない。
伝え聞く「聖者のように生きたい」と思った彼女は七歳の時弟と共に街を出たが、
城壁の西はずれ「クワトロ・ポステス」で叔父に連れ戻されたという


城壁の一角を占めるカテドラルはテレサも見ただろう


大聖堂横に城門を出たところにあるテレサが訪れていたサンタ・トマ教会。

「1515Avila」の旗が出て、今はこの町の郷土博物館となっていた。
入り口には「ギザンドの牛」のひとつが展示されている。
古代ローマ以前の民族がつくったという石の動物は牛のかたちをしているものばかりではないが、
総称して「ギザンドの牛」と呼ばれているのだ。

博物館の展示は多彩。
面白かったのは現在サン・ニコラ教会がある城壁外の南地区に、イスラム教徒の埋葬地があったという展示。
イスラム教はキリスト教徒違ってモスクに墓はつくらない。
白い布に巻いてそのまま地面に葬る。
そのしるしとして置かれていた墓石の数々

そして、埋葬殿だったと思われる建物の跡が復元されていた。

奥の石に月と星のしるしが見える。

復元のビデオが分かりやすい。

あとから城壁の外を歩いた時、サン・ニコラ教会とその埋葬地だったあたりが見えた


郷土博物館本館は、教会すぐ近くの貴族の邸宅を改装して建設されている。

こちらもたいへん興味深い展示がいっぱいあったが、ひとつ目に留まったのがこの青銅製の水差し?

レコンキスタ以前、おそらくヴィシ・ゴートかその後のムスリム時代に製作されたものと推察されている。


**
アルカサル門を出たところにあるサン・ペドロ(ペテロ)教会もロマネスクの美しいかたちをしている。

後陣からみると、塔の下部にもっと古い時代と思われる石材が使われているのが分かる。

すぐ近くに見えたロマネスクの後陣に惹かれてとなりの建物へ足を向けたが、
今はリタイア・ホームになっていた。
ううむ、中はどんななのだろう。


****
街中で突然出会った等身大のブロンズ像。

誰なのか? マドリッドから来たガイドさんも気付かなかったが、カテドラルで見つけた新しい墓を見て思い当たった「そのひと」だった。

「融和は可能だった」と一番下に書かれている。

★アドルフォ・スアーレスは、1976年から81年までスペインの首相を務めた。
長いフランコ独裁体制の後、スペインを民主化する国王の意志を最前線で実行した人物。
この時期のスペインを率いていくことが文字通りの命がけであった事は、「23-F」と呼ばれる1981年2月23日に起きたクーデターの映像を見るだけで理解できる。

共産党が合法化され、政党政治が推進される中、フランコ独裁を支えた軍部が国会を占拠してクーデータを起こそうとした。
印象的な角形帽子をかぶった中佐が銃を手に国会へ乗り込み、抵抗する議員たちに威嚇発砲する。
YOUTUBE画像。多くの議員が机の下に隠れる中、最前列右端に平然と座っている人物がスワーレス。

1968年にセゴビア県知事をしていた36歳の時、訪れた31歳だった当時の皇太子ファン・カルロスの知己を得た。
1975年にフランコが死去し、国王となったファン・カルロスが翌年首相に望んだ。
独裁体制の後、ともすれば再び内戦にも陥りかねなかったスペインの融和を可能にした実力は、現在の左右どちらを支持する人であっても評価している。

昨年2014年に亡くなるまでの十年は認知症を発症し、勲章を自ら手渡しに訪れた国王のが「私は君の古い友人だよ」と自己紹介しなくてはならなかったのだそうだ。
⇒こちらにもう少し書きました。

マドリッドの空港はアドルフォ・スアーレス・バラハス国際空港と改名された。


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城壁の街アヴィラ

2015-04-19 13:05:08 | スペイン
《手造の旅》スペイン小都市めぐり、午前中セゴビアをたっぷり歩いた。一時間ほどバス乗車で、午後三時前にはもうアヴィラの堂々たる城壁が見えてきた標高千メートルを超える。アヴィラにはすがすがしい山の空気感が確かにある。

城壁の外でバスを降り、丘の上へ向かってのぼってゆく


パラドールは城壁を入ってすぐ近く。百メートルで到着。予定通りスペイン式のおそ~い昼食を食べる。
中庭やがっしりした造りが昔の邸宅を感じさせる
部屋でちょっと休憩して、午後四時過ぎから歩きだした。お昼休みを終わって教会も開き始める時間となる。

スペインの街の中心によくあるマヨール(大きい)広場ここはローマ時代の町に必ずあるメインストリート南北カルドと東西デクマヌスの交差点だった場所にあたる。

広場の一角を占める教会は、スペインを代表する聖女テレサが洗礼を受けたとされる教会彼女の署名をかたどった標識今年2015年は生誕五百周年にあたるので、大勢の信者が集まってきている。明日は日曜だから多くの教会はミサで入れなくなるだろう。今日のうちに大聖堂へ入っておくことにした。


一見写真の様に見えてしまう絵画が飾ってあった↓
これは今人気の司教画家のイサベル・グエラという人の作品。まだ描き始めてもいない作品が売れてしまうのだとか。

12世紀にさかのぼるロマネスク様式のアプスは、入口付近とは使われている石材が違う。

鉄分の多い部分が赤い模様となっている
大聖堂全体を俯瞰できる模型この丸く突き出した部分はそのまま城壁の一部になっている。
外側から見ると、確かに城壁である
**
翌日の城壁ウォークをここでご紹介。
町の東の端に位置するカテドラル傍から登り、西のアダホス川に近いところまでの約九百メートル。

城壁への登り口は街の地図によると三か所設置されていて、それぞれ立派なチケットオフィスとインフォメーションになっている。これは城壁全体の模型もともとは手すりなどなかったし、ぼろぼろになっている部分もあったから、危なくて普通に観光客を入れることが出来なかった。近年きれいに修復したのだそうだ。


春先のこの季節、塔の上にはたくさんのコウノトリが見られるアフリカとの間を行き来する渡り鳥であります。


城外に位置するサン・ヴィセテ教会。城壁から見下ろすと独特な形状がよくわかるここはアヴィラにあるロマネスクのモニュメントでは必見と言われるモノがある。午後のオープン時間になったら見に行く事にしよう。

宿泊しているパラドールも城壁からすぐの場所。庭に置かれた石の豚。これもまた「ギザンドの牛」と総称される古代ローマ以前の民族がつくった動物のひとつ。保存状態の良いものはローマや中世からすでに邸宅や公共物の装飾につかわれていたのだ。

西の門近くで城壁を降り、川向うの「クワトロ・ポステス(四本柱)」を目指す。
アヴィラの城壁がきれいに見晴らせる。

伝説によると、ローマ時代に神殿が築かれていた場所だとか、幼少の聖女テレサが弟と共に街を出えいこうとしたのをつかまって連れ摸度された場所だとか。

川には古い橋がかかっており「ローマ橋」と伝わっている。


川近くにロマネスクのサン・セグンド教会こちらは16世紀につくられた当時の司教をモデルにしたサン・セグンド像があるとの情報だったが閉まっていた


今回アヴィラは二泊。
明日もゆっくり街を見学できる。
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