《手造の旅》ニューメキシコ州 三日目
「なんっっにも、ないところを延々走ります」とは、下見にきていただいドライバーのYさんの言葉。
カールスバットからサンタフェまで、長距離ドライブ、たしかに360℃地平線が広がるり、時折平たく広がった町がある。きのう通った★アルテシアにさしかかると小規模な油田がたくさん見えてくる。
この町の名前は、Artesian aquifer=自噴という言葉からきている。つまり「自然に湧き出した」という意味。街は1903年に創立ということだから、この時湧き出したのは石油ではなくて水だろう。農業に適した場所ということで人々が住み始めたのか。たしかにピスタチオの森林なども見えて、ゆたかな土地に見える。 石油の発見でもっと発展?駅の近くには石油精製所
**畑の真ん中にこんなものが見えてきた。ロズウェルが近い。
ロズウェル事件は1947年に起きた「円盤墜落」事故とされる⇒こちらネット辞典で概要がわかります
ガソリンスタンドにも いたるところに、いわゆる宇宙人。博物館の駐車場のすぐ横にあるメキシカンレストランの壁にはこんな宇宙人半世紀前の宇宙人のイメージは、こんなものだったのだろう。しかし、これって・・・⇒
博物館フロアは一階だけで、それほど広くない。こんな事が起きて?こんな生物が登場し 今もアメリカのどこかにこんな風に保存されている? ●この場所は事の真偽をうんぬん言う場所ではない。こういう論争が行われてきたという記憶を確認する場所なのだと思う。
いや・・・図書館とリサーチセンターには大量の資料が整然と整理されているし、真剣に事実解明に取り組む人たちはいるこの博物館が存在し続けていられるという事自体が、アメリカという国の懐の深さをあらわしているように思えた。
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ふたたび「なんっっにもない道を延々」走ってゆく巨大なこの物体は?休憩したカフェでいっしょになったの。横から全体を見ると、それがなにかわかりやすい⇒そう、風力発電の羽の一枚だったのであります。 このあたりはかつての「ルート66」の一部にあたる。レトロな雰囲気の建物も多い。こんなデザインも・・・失礼しました
***午後三時過ぎ、サンタフェの町に入ってきた。ここは標高2100メートルほど。夏でも比較的過ごしやすい場所。徒歩で楽しめる旧市街の中心は1610年につくられた、アメリカでも最も古い創立の町のひとつだとされている。中心はプラザと呼ばれる広場と、もちろん教会⇒カトリック、イタリアのアッシジ発祥のフランチェスコ派に属する。
小さな川の南にある最古の教会はサン・ミゲル・ミッション教会という↴
町の創立1610年というのはつまり、この教会が建設された時を指している。
1598年、はじめての西洋人として、スペイン人ドン・ファン・デ・オニャーテが南のいわば「オールド・スペイン」からやってきた。二百五十人のスペイン人は兵士だけでなく入植する女子供も含んでいた。七百名の先住民部族も一緒だったとされる。
オニャーテは半世紀前の修道士マルコス・デ・ニサが語った伝説の黄金都市シボラ=その後フランチェスコ・デ・イバラが探検し「ヌエボ・メヒコ=ニュー・メキシコ」と名付けた場所を、実際に領土としてスペインのものと宣言する役割をもっていたといえるだろう。
オニャーテが選んだいくつかの土地のひとつは、この旅で最初に訪れたエル・パソ近郊のサン・エリザリオになる。
サンタフェと名付けられ、この教会がたてられた場所にも、それ以前から人は住んでいた。考古学的調査によって、ここには西暦1200年ごろからの先住民のKIVA(聖域)が確認されている。※サン・ミゲル教会の案内冊子より
日干し煉瓦が青空に美しい。が、これはつい数年前に修復されて昔の姿をとりもどしたのだつい半世紀前には昔の面影はほとんどなかった。2010年から行われた徹底的な修復がどのようなものだったのか、⇒公式ホームページの動画でよく理解できます。
内部にの壁もきれいに塗られているが、一部に17世紀からの壁が見られるようにしてある
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午後四時過ぎ、旧市街のホテルにチェックイン。ヒルトン・ヒストリック・ディストリクトは最初の入植者の邸宅跡に建てられたので、そのオルティツ家紋章をトレードマークにしているレセプション・ロビーも中庭のプールを囲む回廊も雰囲気がある
少し早い時間だが夕食へ。ホテルから紹介されたリオ・チャマというレストランは、先ほどのサン・ミゲル教会のすぐ近くだった。予約しておいたので、ちょうど十人で囲める丸テーブルの個室を用意していてくれた 担当のウェイトレスさんのおすすめはフォンデューだという。アメリカでフォンデュー?と思わないわけでもなかったが、あまりお勧めされるので試してみると・・・クリーミーで日本人の口にもよくあう。パンだけでなく酸っぱめの青りんごもこうしてつけていただきます。これはまた食べたい
19時過ぎ、ホテルまでは歩いて二十分ほど。アメリカでこうして旧市街を歩いてホテルに帰ることができるなんて珍しい