※CAERNAFONは、日本ではカーナボンとも表記されるが、これは現地では全く通じない発音なので、実際に即してカナーフォンと表記します。

この廃城の、この円形の印のあるだけの場所で、1301年以降ずっと続けられている戴冠式↓

もっとも近いのは1969年。エリザベス女王もお若いこと


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朝、コンウィのキャッスル・ホテルでの朝食で出されていたチーズ盛り合わせ
ホテルの裏にある教会の裏庭を通ってバスへ向かう。この教会がある場所に、実はウェールズ独立時代の城があった。なので、我々の泊まっているホテルがキャッスル・ホテルと名付けられていたわけですね。

墓地の一角に「we are seven」と書かれた記念碑のようなものがあった。※これについては別に書きます。
コンウィから西へ一時間弱走ると、カナーフォンの町に到着する。コンウィと同じ程度の城壁に囲まれた町で、同じように堅固なノルマン様式の城がある。
城壁をはいってすぐに、15世紀からの老舗旅館ブラック・ボーイというのが目についた
城壁内の道はまっすぐで、計画して作られていったことがわかる。端から端まで数百メートルしかないから、入って突き当りにもう城が見えるほど↓

コンウィと同じ13世紀に建造された城は、廃墟になっている。一部の矢間は当時最新式の形になっていて、一か所から二方向に向けて矢を放つことができるようになっている⇒
この廃城が有名なのは、なんといっても「プリンス・オブ・ウェールズ」戴冠式がおこなわれてきたから。
ウェールズ人の王を殺して支配権を確立したエドワード一世王だったが、市民を懐柔するために「英語を話さない王」=生まれたばかりの自分の息子を、ウェールズ人の君主「プリンス・オブ・ウェールズ」として戴冠させた。現在の皇太子チャールズに至るまで、その伝統が守らているのであります。
戴冠式が終わって、集まった民衆にお披露目されるバルコニーが、1969年の戴冠式に合わせてつくられた。それが、ここ⇒
ここからこんなふうに手を振ったわけですね
古城の塔はそれぞれ展示室になっていて、言葉がよくわからなくても理解出来る映像がながされていた。ウェールズ人の反乱は何度も起こり、時にこの城も占領されていたのか
チェスのようにみたててイングランド対ウェールズを説明していたり⇒
「鷲の塔」の一番上に上ると

この塔の上にはぼろぼろになってはいるが石の鷲が置かれている。これは、エドワード王が古代ローマの崇拝者だったから。ローマ軍団のシンボルは鷲で、一軍団に一つの銀鷲旗を持っていたのだ
***城下町の片隅に、ひとつだけ古い教会が残されていたので入ってみるた。この紋章が扉に掲げられていたが、教会に居た人に説明できる人はいなかった→
1307年にカナ―フォンの城下に駐屯するイングランド兵たちのための教会として建設された。オリジナルの初期ゴシックアーチが残されている→
柱頭のひとつに、ロマネスク様式の顔がふたつ残されている。「この教会を寄進した人物だと信じてます」と、居合わせた地元の方々が言った。
教会の一方の壁は、実はカナ―フォンの街の城壁をつかっている。なので、かつては窓などなかったのだが、19世紀になって爆薬で穴を開けてまどをつくってしまったのだそうだ。城壁を出て見ると、あ、確かに窓ありますね↓

****コンウィに戻る前に、19世紀に建設された橋を見学→こちらは別に書きます。
午後には半島の先にあるLLANDUDNO(さて、何と読むのでしょう?)の街へ行く事にすした