九州本土から橋でつながった平戸島から、さらに橋でつながっている生月(いきづき)島が見える。昼食の場所に選んだ店からの眺め↓
「母々の手」と書いて「かかのて」と読む、漁師の奥さんたちがやっているお店↓どんな鄙びた店かとおもいきや↓
外国のお客さんを満載にしたバスも着いていた。
「その日の朝、定置網で取れた地魚を漁師の母ちゃんたちが調理してバイキング形式で提供。お刺身がどんっとやってきて手づくりおかずを自由にとっていただきます。お刺身もおかわりできます。」と、ホームページに書かれている↓
席に着くと、さっそく「どんっ」とやってきました↓
おかずバッフェ↓
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橋を渡って生月島へ入る。山田教会は20世紀初期に教会建築の大家・鉄川与助によって建設された。ところが、実際に訪れてみると、そのファサードは新しくて、身廊部分の赤レンガとなんだかちがっている↓
内部に入ると(撮影禁止)、身廊部分がオリジナルであることがはっきりわかった。木造で小ぶりのゴシックのアーチ天井が連なっている三廊バジリカスタイル。びっくりしたのは、中央廊の装飾が、色とりどりの蝶の羽コラージュでなされていたこと。きれいといえばきれいだけれど、好みの分かれる部分だ。
外観ファサードがもともとどんな形だったのか? 生月の博物館に展示してあった一枚の写真でようやく理解した。1970年ごろまではこんな木造の入り口だったのである↓
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生月の博物館のメイン展示は捕鯨について↓入り口にもこんな像がある↓
内部の空間にも巨大なクジラの骨↓数年前にアメリカ東海岸で見た世界最大の捕鯨博物館を思い出した。この博物館をつくった人もあそこを見たのかしらん⇒こちらからごらんください ※ジョン万次郎は捕鯨船の船長に助けられ、彼自身も優秀な捕鯨船員となっていった
鯨をさばくためのこんな道具も展示されていた↓それだけ昔から鯨漁は身近だったのである