大堤防には雨交じりの強い風が吹いていた。傘はさせない。風をはらんだコートをまとった男の像がぴったりの風景だった↓
オランダを訪れるようになって、一度は見ておきたいと思っていた場所だ。何百年にもわたる干拓事業は、オランダならではの国家事業なのだ。この堤防はその総仕上げのようなもの。
北海と続いていたアイセル海を仕切って湖にしている↓指揮を執ったのはコルネリス・レリー氏。銅像は彼だった↓
⇒※こちらにもう少し詳しく書きました
堤防を渡った北はフリースラント。今日の宿泊はフリースラントの首都とされるレーワルデン↓
****
町の中心にあるポストープラザ・ホテルにチェックイン↓
上の写真、左右まったく違うスタイルのビルだが、ともにポストープラザホテルである。
左側はもともと郵便局として建設された。右側は銀行だった。二つの建物を渡り廊下でつないで一軒のホテルにした。
内部はアールデコ調で快適だ。
雨が少し落ちているが、夕食前に旧市街をひとまわりしてみよう。
運河の流れる快適な街だが・・・
※翌日この町のガイドさんに伺うと、かつて運河はホテルの前をはじめたくさん流れていて、それはとても汚れた悪臭を放つものだったのだそうだ
下の写真がホテルの前の通り↓見えることと知ることは違うのだと改めて認識
ホテルの前の広い道をはさんで向かいにある州庁舎の入口↓二匹のライオンがこの地域の紋章↓
現在、旧市街の運河はYの字型に遺されているだけ。その交差する場所・運河の上がもりあがった広場になっている↓
2013年に開館した「フリースラント博物館」は市街の建物を圧するように広場にそびえる↓
レーワルデンの出身者でいちばん有名なのは、第一次世界大戦の時期にパリでマタ・ハリという名前で活躍していた踊り子だろう。彼女が本当にドイツのスパイだったのかは分からない。今年が処刑されてちょうど百年なので、展示会が行われる↓残された白黒の写真はエキゾチックな顔立ち↓
下の建物や描かれた人物については、翌日の地元ガイドさんに説明されてはじめて理解できた↓
レーワルデンのシンボルとされている「オルデホーフェ塔」通称「レーワルデンの斜塔」↓
写真よりも実際に見ると確かに傾いている。↓この広場にある石がなにか?これも翌日に話をきいて理解することになる
ポストープラザ・ホテルにて夕食
牡蠣はこぶりながら良い味 燻製の魚と野菜に穀物
焼き魚も
オランダを訪れるようになって、一度は見ておきたいと思っていた場所だ。何百年にもわたる干拓事業は、オランダならではの国家事業なのだ。この堤防はその総仕上げのようなもの。
北海と続いていたアイセル海を仕切って湖にしている↓指揮を執ったのはコルネリス・レリー氏。銅像は彼だった↓
⇒※こちらにもう少し詳しく書きました
堤防を渡った北はフリースラント。今日の宿泊はフリースラントの首都とされるレーワルデン↓
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町の中心にあるポストープラザ・ホテルにチェックイン↓
上の写真、左右まったく違うスタイルのビルだが、ともにポストープラザホテルである。
左側はもともと郵便局として建設された。右側は銀行だった。二つの建物を渡り廊下でつないで一軒のホテルにした。
内部はアールデコ調で快適だ。
雨が少し落ちているが、夕食前に旧市街をひとまわりしてみよう。
運河の流れる快適な街だが・・・
※翌日この町のガイドさんに伺うと、かつて運河はホテルの前をはじめたくさん流れていて、それはとても汚れた悪臭を放つものだったのだそうだ
下の写真がホテルの前の通り↓見えることと知ることは違うのだと改めて認識
ホテルの前の広い道をはさんで向かいにある州庁舎の入口↓二匹のライオンがこの地域の紋章↓
現在、旧市街の運河はYの字型に遺されているだけ。その交差する場所・運河の上がもりあがった広場になっている↓
2013年に開館した「フリースラント博物館」は市街の建物を圧するように広場にそびえる↓
レーワルデンの出身者でいちばん有名なのは、第一次世界大戦の時期にパリでマタ・ハリという名前で活躍していた踊り子だろう。彼女が本当にドイツのスパイだったのかは分からない。今年が処刑されてちょうど百年なので、展示会が行われる↓残された白黒の写真はエキゾチックな顔立ち↓
下の建物や描かれた人物については、翌日の地元ガイドさんに説明されてはじめて理解できた↓
レーワルデンのシンボルとされている「オルデホーフェ塔」通称「レーワルデンの斜塔」↓
写真よりも実際に見ると確かに傾いている。↓この広場にある石がなにか?これも翌日に話をきいて理解することになる
ポストープラザ・ホテルにて夕食
牡蠣はこぶりながら良い味 燻製の魚と野菜に穀物
焼き魚も