旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ル・ピュイ・アン・ヴレ到着

2018-05-02 19:19:19 | フランス
突然、道路の左手に見えてきた岩山、まったく予期していなかった↓

ドライバーさんが我々の様子を見て止めて止めてくれた。
案内版にポリニャック城と記されている↓

標高七百メートルほどの岩山は高さ百メートルの崖で囲まれている。
帰国後に少ししらべてみると・・・
ポリニャックは少なくとも十一世紀以前からこの地の豪族の拠点で八百人以上の兵士を収容することが出来た。
子爵、つまり男爵より上で伯爵より下というあたりの爵位を得ていたフランス王の臣下。
しかし、フランス王(ルイ六世やルイ十一世)に対してよく反乱を起こしていた。

1532年7月17日 フランス王フランソワ一世が訪問。
子爵位を安堵され、王は彼らを「山の王たち」と呼んだと伝わる。

宗教戦争、その後も王党派にうまく属し生き延びたが、17世紀にポリニャック侯が本拠地を不便な岩山から平地へ移す。フランス革命時代にはすでに荒廃していたといわれ、国家に売却された。
1830年にポリニャック家が買戻し修復をはじめる。1840年には歴史的建造物に認定される。
いつか、訪れる機会があるだろうか。

***
「ル・ピュイ」という地名は、突き出した岩塊を意味する。この地域には火山がつくりだした岩山がいくつもある。
その上にいろいろな建物や像が築かれている。

街のはずれにこんな像がみえた↓

キリストの父ヨセフの像。翌日ガイドさんに教えてもらって知った。
↓こちらは出発前から調べがついていた「フランスの聖母」という巨像↓

クリミア戦争でロシアから奪った大砲で鋳造されたもの。明日、訪問できるかしらん。
***
ホテルは旧市街にいちばん近い、出来るだけ快適な設備のホテルを選んだ。ホテルの窓からの眺め↓

この時期日暮は21時ぐらいなので、到着してからも旧市街へ散歩に出る。
十五分ほどでサンチャゴ巡礼の起点にもなっているル・ピュイのノートルダム教会が坂の上に見えてきた↓

けっこう急な石畳をのぼってゆくと、夕方の太陽がファサードを照らしはじめる↓

足元に巡礼路をあらわすホタテ貝↓

振り返ると巡礼路が黒く道しるべになっていた↓


教会はもう閉まっていたが、建物に沿って裏に歩いていると、不意に頭上に赤い聖母の巨像が姿をあらわした↓

さっき遠望していたあの像がこんなに近くに見える。
これなら明日登れそうだ。そう、なんと、あの像は顔のところまで登れるのだ!

さらにいくと、旧市街から一度谷へ下りなくてはいく事ができない「サン・ミッシェル・ギュイユ礼拝堂」が見えた。
この景色こそ、今回の旅を企画する大きな動機になった↓ついに、やってきた(^.^)

明日の訪問が楽しみです(^.^)













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イソワールのサン・オストロモワンヌ オーヴェルニュ・ロマネスクめぐり⑤

2018-05-02 15:15:15 | フランス
イソワールはこれまでの山の中の村とはちがった。気温も少し暖かく感じる。車は教会のすぐ横に止まった↓

オストロモワンヌは三世紀にこの地方にキリスト教を伝道した主要人物で、クレルモンの初代司教とされている。「変わった名前よねぇ」とフランス人ガイドさんも言う。「南から来た人」という意味のあだ名だったのかもしれない。

これまで見てきた教会と同じ構造だが、後陣壁面に星座のロマネスク彫刻があるのがおもしろい↓


火山の黒い石をつかった幾何学模様


驚かされるのは、内部の彫刻が「建造当初のように」? 彩色しなおされていること↓

↓最後の晩餐↓

↓エルサレム↓

復活したキリスト↓

彩色したのはアナトール・ドーヴェルニュ(1812-1870)という画家であり考古学者でもある人物。
若くして成功し、二十代でルーブル美術館に作品が展示された。宗教建築のためのフレスコ画も手掛けイタリアに住んだ。

この教会を彩色したのは1855年。
かつて彩色されていたものだとはいえ、19世紀当時も彩色しなおすことは議論の的だった。
そこであえて、自分の考え方でこれだけぎっちりと彩色してしまうとは。
四十代半ばのアナトールは、よほどの自信家だったように思えてくる。

彼は、今回訪れたクレルモンのノートルダム・デュ・ポール教会地下聖堂の修復も手掛けている。
彩色しないであのくらいがちょうどよかったのではないだろうか。
中世彫刻のほとんどすべてが鮮やかに彩色されていたというが、それを実際に「復元」してしまうとこんな風になるのか。

***
イソワールは教会だけの町ではない。かつては新教徒も多く、商人地域の代表のように建てられた塔が残されている↓

この塔、1480年に建造されたもの。
登れる?登ってみましょう!(^.^)
こちらに写真と少しの歴史解説を載せました。


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サン・サトゥルナン オーヴェルニュ・ロマネスクめぐり④

2018-05-02 14:14:14 | フランス
「フランスの美しい村協会」にも加盟していると知る前に、その佇まいにわくわくした

教会と城が程よい徒歩圏にある
坂道の路地に鐘楼が見え隠れする

建物の入口が歩行面より少し下にあるのは古い街でよくみられる



この村は北スペインサンチャゴへの巡礼路のひとつに位置しているので、巡礼のみちしるべであるホタテ貝マークが見られるのだ

さぁ、もうすこし坂道をのぼろう
この村の教会はいきなりあらわれる。近すぎて全景がとらえにくい



きのうと今日見てきたロマネスクの教会と同様のスタイルで、同じ時期に、同じ職工集団がかかわってつくられたと推察されている↓

入口の木製扉の錬鉄装飾も今朝見たオルシヴァルと似ている。でも、こちらはなんだか後補のように感じられるのだが…




↓正面祭壇の階段に開けられた穴は?

地下聖堂でともされた蝋燭のあかりが漏れてくるように工夫されていた。他にあまりみたことがないスタイル。

オルシヴァルにあったものと似たスタイルの、同じ十二世紀からの木彫聖母子像↓


↓地下聖堂に置かれていたキリストの頭部は、16世紀ルネサンス期のもので、もとは壁にかかっていた象の一部だと推測されている↓
先ほど主祭壇の階段に開けられていた穴は、上部からの光を取り入れるという効果もあるのがわかる↓

どの教会もそうだが、何百年も同じスタイルで何事もなく現代まで受け継がれてきたわけではないのだ

すぐ外の墓地付属の礼拝堂↓


****
↓村には不似合いなほど立派な城。ここで、オーヴェルニュ伯ジャン三世の娘として生まれたマドレーヌはイタリアのメディチ家に嫁ぎ、その娘のカトリーヌがフランス王アンリ二世妃となる。
カトリーヌはお母さんがフランス人だったのだから、嫁ぐ前からフランス語はかなりできたのじゃないかしらん。ああ、でも、母のマドレーヌは出産直後に伝染病で亡くなっていたんだっけ。母と共にイタリアにやってきた女官たちから亡き母の話はきかされただろう。フランスにやってきたカトリーヌは母の生まれ故郷のこの村を訪れたことがあるのかしらん。

城はいつも公開されているわけではなさそうだ。入口前までいって坂道から教会をふりかえった↓


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サン・ネクテール オーヴェルニュ・ロマネスクめぐり③

2018-05-02 12:12:12 | フランス
オルシヴァルからミュロルまでも山道を走る。氷河に削られたU字谷↓

興味深いのは向かって左手表面は人が何百年にもわたって採石・石を削りだしていった跡がみえること↓


小さな村の墓地の円形礼拝堂も確実にロマネスク↓

**
不意に岩山の上に古城↓

「ミュロル城」も12世紀からの城、つまり今日見て回るロマネスクの教会群と同じ頃からある。
※近年観光プログラムに力を入れているのがホームページから見られます。
日本のガイドブックにはちっともとりあげられない見所はたくさんあるのですね


サン・ネクテール村が近づき、再び遠望するミュロル城の向こうに雪山が見えた↓
このあたりは標高が千メートル弱になっている

***
サン・ネクテール村のはずれに、周囲を睥睨するように建つ1160年からの教会↓

三世紀にこの地に布教にやってきたネクテールはこの地で没し、彼の名前が教会の名前になった

素朴な入口

内部の柱には百三点もの彫刻がある

●ダヴィデの真似をして竪琴を弾くロバ↓

●荒野で修業するキリスト(左)を誘惑する悪魔(右)↓

●ユダの接吻をきっかけに捕縛されるキリスト、抵抗してローマ兵ひとりの耳を切るペテロが左にみえる↓

●首に縄を点けられた猿のような人…クレルモンでまったく同じデザインを見た。同じ職工集団がこの教会にも参加していたというのがはっきり分かる

●地獄まで行ってアダムとイヴを助け出すキリスト↓この主題は正教会の地域で時々みられる主題だ↓


見飽きない彫刻群…
★彩色が残っているものもあるが、これは12世紀の色ではないと考えるべきだろう


この聖母子は12世紀から伝わるものだとしても↓


格子の向こうに聖人の遺骨↓

↑聖ボディムはネクテールと共に布教していた
↓ネクテール自身の腕の骨↓

****
教会の入口にこんなお土産紙幣を2ユーロで売る自動販売機があった↓


昼食は村のオーベルジュを予約しておいてもらった。車に十分ほど乗る↓

この村の名前は教会よりもチーズの名前として有名だ↓

↓この元納屋だっただろう建物の二階がレストランになっているようだ

「サンネクテールのチーズが見られますか?」とガイドさんが頼んでくれて、すぐに裏の熟成庫に導かれた。
アーチをくぐると…↓

いつごろからこうだったのか分からないという半地下の入口↓

ドアをあけると↓

奥の藁の上に・・・

この農家ではこういう熟成穴を五つ持っているとのこと。
この周辺にはドライブだけしていては見えないこういう場所がたくさんあるのだろうことを知った。

さて、いただきます↓

それぞれのテーブルに農場の牛の名前がつけられている↓

基本は肉がお勧めなのだ↓「霜降り」などではなく、赤身のおいしさが肉のおいしさ

ソーセージにどっかんとつけあわされているのは、チーズとポテトをからめた「トリュファード」↓

川魚カワカマスもしかしおいしかった↓


バスでやってきていた子供たちが食事後さっきの穴倉のまえで遊んでいる↓

売店で売っていた「サンネクテール」↓

明日の朝食の為に買った方もあり、さて、どんな風に味わえるか楽しみ(^.^)

オーヴェルニュはチーズの王国


次はサン・サトゥルナンへ向かいます
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オルシヴァル オーヴェルニュ・ロマネスクめぐり②

2018-05-02 10:10:10 | フランス
クレルモンの朝、市場へいってパン屋で朝食を食べて出発。※こちらからごらんください
三十分ほど山間を走ると、突然朝陽に照らされたオルシヴァルの聖母教会が見えた↓



●ORCIVALという地名
語尾のVALが谷であることは間違いないが、二つの説がある。
①ORCIがガリアの古い神「Orcus」(※地獄の門を守る)という説。
②ケルト語の源=水源をあらわす「URS」からという説。
 この谷にはたくさん水が湧き出している

教会の建設についての伝説。
10世紀、ノルマン人の侵攻が過ぎた後、隠されていた聖母像が見つかった。
その場所に目印として建てられている白い十字架↓

ガイドさん曰く
「最初はね、あの場所に教会をつくりはじめたの。だけど急斜面過ぎてどうしてもうまくいかなくて、大工の棟梁が神様に祈りながらノミを投げてたんだって。落ちた場所に造るのがマリヤ様の御意志だということになって…(笑)」
なるほど、それで崖の下ギリギリの場所にこの教会が建っているのか。
西側の、通常正面入り口がある壁の前は狭い通りがあるだけ↓

↓この教会の美しさはこの天に上るように積み重ねられた後陣だ↓




南側の壁に陽時計の文字盤↓これは16世紀にとりつけられたもの

↓よく見ると、聖母子の椅子の下に跪いて祈る人は鎖につながれている↓「自分自身の罪につながれている人」なのだそうだが…

オルシヴァルの聖母は昔から「虜囚の解放のため」にご利益があるとされてきた
すぐ下にはいつの時代のものかは分からないが実際に人をつないでいたと思われる鎖がかかっている↓

堂内には第二次大戦でナチスの強制収容所に入れられていた人が奉納したという「見張り塔」のミニュアもあった↓


↓南側にある出入り口の木製扉は、なんと12世紀のオリジナルだという!

↓そこにとりつけられた鋳鉄の装飾がなんとも素朴で魅力的↓

↓この髪型は僧侶?




堂内に入り、さっき入口のなかった西側壁のところへ行くと、かつて湧水が流れ出ていたという聖水盤があった↓
当初西壁は崖にくっついていて、直接湧水が堂内にとりこまれていた、ということか↓


↓下が教会全体の見取り図。※下が北になる


振り返って、奥の祭壇方向を見る↓

階段状につくられていたおかげでたくさんある窓から光が入ってくる朝だ。

柱頭彫刻はきのう見たクレルモンの柱頭と似たモノがある。同じ職工集団がかかわったのだろうとされている。
ユーモラスな警句的彫刻↓強欲な金持ちの末路↓

↑抱え込んでいるのがお金の入った袋

この教会の聖母子像は、フランス革命の時にも地元の人によって隠され、守り通されていた↓
蝋燭の光とステンドグラスにはっとするほど生気を発していた↓

ミシュランガイドには「右側は貴婦人の顔」、「左側は農夫の顏」と書かれていたが、その違いまではわからなかった

真ん中のドームを見上げると↓閉じられた穴が見えた↓

かつては鐘を鳴らすロープが吊り下げられていたのだそうだ。

柱には石工集団のそれぞれのマークが刻まれている


外へ出て何かお土産でも…小さな村にお土産屋と言えるような店は二軒ほどしかみあたらなかった↓


絵葉書にはきのう食べた?牛、地元のチーズ料理「トリュファード(右下)」や、「アリゴ(左上)」が↓

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