旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

クロンボー城、グルントゥビー教会、ロスキレ大聖堂

2018-05-27 10:46:17 | デンマーク
表題の三か所を見学してコペンハーゲンへ向かう一日。大きすぎない国土のデンマークだから可能な行程

オーデンセのあるフュン島からコペンハーゲンのあるシェラン島へ渡る橋↓

クロンボー城まで二時間少しで到着

海を挟んでスウェーデンが見える位置にある。かつては海峡の向こうもデンマーク領だった↓

※クロンボー城内部を見学した時の日記はこちら

ここでガイドさんと二国のEU加盟時期の話なった。
調べてみると二国のEU加盟は二十二年も離れていた。
★二国のEU加盟時期
デンマークは1973年。スウェーデンは1995年。

それは地理的理由による。地理と歴史は表裏一体である。
九州程の国土のデンマークはドイツと陸続きで経済的結びつきが強すぎる。
スェーデンは日本の1.2倍の国土を持ちヨーロッパ屈指の鉄資源を有し、それによって第二次大戦にも中立を守り得た。
言語も似ているし政治的・経済的な政策も似ている印象の北欧の兄弟国ではあるが、EUとの向き合い方は違えざるを得なかったのだ。
通貨統合においては両国民共にユーロ導入に傾きかけていた政府を国民投票という民意で否決。自国通貨の維持を決めた。
昨今のユーロ情勢をみると、正しい道であったようにみえる。

クロンボー城は監獄になっていた。その時期の名残がある↓

トイレにあった梁の木材はそのころからのものだろう

世界遺産になってから、より人を集めようとして、旧ドックをつかって海洋博物館を建設した↓

ゆっくり見学する機会がほしいです。

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グルントゥビー教会、まずは少し離れてみた方がよい↓

※昨年訪れた時に堅信礼をやっていた時の写真はこちらから
周辺の住宅区も同時期に合わせて設計されたのでよく調和している↓

ランチに入ったカフェの内部も↓

完成したのは1940年、つまりドイツに占領された時期だったのか。

内部


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ロスキレ大聖堂はデンマーク王家の菩提寺

10世紀に木製の教会だったものから改築に増築を重ね、現在の聖堂の古い部分は十二世紀後半・日本の平安時代末期にさかのぼる。

現マルグレーテ二世女王も自身が選んだアーティストによるガラスの棺に葬られることになっている↓写真だとサイズがわかりにくいがこれは三十センチほどのミニチュアモデル↓

葬られる予定の「聖ビルギッタ礼拝堂」↓

1412年に亡くなったマルグレーテ一世女王は北欧三国をまとめたカルマル連合の要とされる。彼女は聖ビルギッタを信仰した。マルグレーテは1353年生まれ、ビルギッタは1373年に没。マルグレーテが若いころにビルギッタに会っていたかもしれない。

現女王マルグレーテ二世の夫でフランス人のプリンス・フレデリックは今年2018年の二月に没したが、女王と共にここに葬られることは拒否したのだった↓
※CNNの日本語ニュースページ

大聖堂の中心にあるのは15世紀のマルグレーテ一世女王の棺↓

この棺は1423年に製作されたものと伝わるが、18世紀に装飾を外され1862年から1912年までに修復された(大聖堂の解説書)とある。
15世紀前半の彫刻にしてはえらく現代的に感じられるのだが、どこまで「修復」されたのだろうか。

この聖堂にはまだまだ見所がたくさんある。ゆっくり読み解いていくタイミングがありますように。

****コペンハーゲンへ向かう


夕食はホテル近くのベトナム料理へ予想した何倍もの大きさのライスペーパー春巻きエビにパクチーたっぷりでした。






コメント
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