旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ル・ピュイ 大聖堂「光のショー」

2018-05-03 21:21:10 | フランス
午後九時少し前に大聖堂前に到着した↓この明るさで21時からの光のショーははじまるのか?

大聖堂のファサードをカンバスに色とりどりのライトを照射する光のショー、開始時間は「暗くなってから」としか書かれていない。

・・・案の定九時になっても何もはじまらなかった。
近くを散歩。
不意に「フランスの聖母」が大聖堂のうしろから顔をだした↓

全身の見えるところまで行った↓

そこまで行くと、崖の上の礼拝堂もライトアップしていた↓

***
午後九時半、なんの予告もなく大聖堂に映像が照射されはじめた。静かに物語がすすんでゆく。音はない。周囲は住宅街でもある。

あ!鹿だ↓

これ、大聖堂の縁起を知っていれば意味がわかる※こちらのページの後半に少し書いておきました

ル・ピュイ名産のボビンレースで大聖堂をあらわす↓


イベリア半島のイスラム文化から影響を感じさせるシマシマのデザイン。かつてはもっと色鮮やかだったのだろう↓


他にもさまざまなエピソードが展開されているのだが、分からないものが多かった。色と展開をにみとれて…

十五分はすぐに過ぎてゆく。一言の説明もなく、十五分毎に同じ映像が繰り返される。

プロジェクトマッピング「音と光のショー」はこれまでも見てきた。シャルトル、ランス、ルーアン、ベルン(スイス)など…
夏になるとずいぶん人が増えるそうだが、今日のル・ピュイはいちばん静かなものだった。

歩いてホテルまでもどろう。坂の上に青く光るファサードが見えた↓

ル・ピュイのまちでは五か所?で同じように光のショーが行われている↓こちら市庁舎↓

↓ホテル前の広場



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ル・ピュイ 大聖堂付の回廊と食堂

2018-05-03 15:15:15 | フランス
ル・ピュイの町を見下ろす赤い聖母像から坂を下りて再び大聖堂までもどった↓

いつでも開いている聖堂の横にある、時間限定の回廊に入った↓※ランチはここへ入る前に行ったのだけれど後に載せます

十二世紀ごろの回廊から、さっきのぼってきた「フランスの聖母」が見える↓

この回廊のシマシマ模様はスペインはコルドバにのこされているメスキータ(モスク)を思い起こさせる※こちら日記の写真に写真を載せております

中世の宗教的フレスコ画も見所だが・・・↓

この回廊で見るべきは↓自由奔放なロマネスクの生き物たち↓

言葉で解説してくれているものは残っていないのだが、現実の人を風刺しているのだろう↓

↓カッパみだいだけれど女性の服装をして高そうな装飾品をつけている↓


併設の宝物館にはフランス革命時に焼かれてしまった「黒い聖母」を復元したもの↓

↓教会の持ち物というよりもどこか北方バイキング的な象牙の細工↓


***修道院には昔から病院がつきもの。HOTEL=DIEU(神の家)という↓

ここの病院は中世から1980年代まで運営されいた。今は展示会場・会議場として使われているが名前はそのまま使われている。
一角にあるレストランが気になった↓幸い手描きで「開いてます」と書かれている↓

わかりにくい入口、誰もいないカフェ横の階段をあがった二階だった↓

地元名物レンズマメとソーセージ(酸味がある)↓

このトラウト・サーモンおいしうございました↓

洋梨のコンポートおいしく 
カフェのカップが良い感じ↓

ほめたら「数年前にピカソの展覧会をやった時に買ったんだ」と嬉しそうに話してくれた。
「あとで、サプライズあるよ」と言ってくれたマスター、会計をおわるとひとつプレゼントしてくれました↓

記念になります、また来ます(^.^)
***
教会から坂を下りたところで「レンズマメ売ってます」の宣伝看板↓


レンズマメ入りのチョコチップクッキー買いました
今晩は大聖堂のライトアップを観に行きたい。陽が長いので21時ぐらいでようやくはじまるかどうか。
それまで休憩するために、夕飯は各自買い出しの軽食とした。スーパーへ入るといろいろおもしろい↓おや?これは日本発の…↓

こんなのも↓日本食はもうすっかり定着しているようだ

地元の豊かな野菜?↓いえいえ、世界各地からやってきた野菜。表示、左からフランス、アメリカ、ペルー、コート・ジボワール(アフリカ)、ペルー↓


過激派に事務所を襲撃された風刺新聞「シャルリ・エブロ」は、まだまだ頑張っているようだ↓


・・・日が暮れるまで休憩して、がんばって大聖堂のプロジェクト・マッピング観なくちゃ!
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ル・ピュイ「フランスの聖母」に登る

2018-05-03 13:20:27 | フランス
モン・アニス溶岩の柱の上に、台座からの高さは22.7メートルの巨大なマリア様が立っている↓台座近くの人間と比べてみてください↓

この岩山の上にはかつてドルメン(古代の巨石信仰に使われた人口の構造物)があったと考えられている→右の写真ではまだなにもないように見える中央頂上→※大聖堂の中にあった熱病を癒したと伝わる黒い石もそのひとつ

この赤い聖母の巨像は1860年・日本なら江戸末期にあたる時期に建設された比較的あたらしいもの。クリミヤ戦争中の「セヴァストポリ包囲戦」でロシアから奪った大砲二百十三門が使われている↓近くに置かれた大砲に帝政ロシアの双頭の鷲が刻まれていた↓


聖母子は南を向き、幼子キリストが足元のル・ピュイの町を祝福するポーズをとっている。構図はたいへんよく考えられていて、このポーズをしても町から見上げた時に聖母の顔がかくれないようにさりげなくデザインされている↓
ナポレオン三世皇帝から大砲を材料として提供してもらった当時のル・ピュイ大司教が祈りを捧げている↓

**
この像へはル・ピュイ大聖堂の後陣ちかくの出口からでると登り口が近い↓

入場料を払ってのぼりはじめる。道はよく整備されている↓

さっきのぼっていた「サン・ミッシェル礼拝堂」が下に見える↓あちらの方が登るのがたいへんに思えた↓遠景にきのう車を止めて写真を撮ったポリニャック城が見えている↓


835トンの大砲を溶かしてつくられた聖母、その中へ入ろう↓基礎の部分は石積みだ↓エッフェル塔建設の三十年近く前だからまだ鉄骨だけの塔を組むことはしていないのか?
↓十七世紀はじめに北イタリアにつくられたボロメオの巨像を思い出した※先月載せた写真記事をごらんください

★像建設に至る経緯や具体的な方法・経緯がこちらの日本語ページに詳しく載せられていました。一読に値します。
螺旋階段↓

途中の窓↓

いっきにのぼると↓
最後に梯子が待っている↓

聖母の顔の部分↓梯子と後ろに目鼻口↓

冠から世界を睥睨できるのだ↓



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ル・ピュイ「サン・ミッシェル・ギュイユ礼拝堂」

2018-05-03 12:12:12 | フランス
この礼拝堂の写真を見たことが、今回の旅のルートをル・ピュイへ導いた

高さ82メートルの溶岩で出来た柱の上に11世紀からの礼拝堂が建てられている。
ル・ピュイの町からは一度谷へおりなくてはならない。

修道院の跡がある↑屋外にあった展示パネルで昔の様子がわかる↓
1611年の様子がこれ↓

城壁に囲まれたル・ピュイの町の外、左端にこれから登る礼拝堂が描かれている
岩山の下にある小さな集落は、もとはル・ピュイとは別の村だったのだ↓

ここから、265段(とミュランガイドに記された)階段を登りはじめる↓

階段からは頂上が見えない

かつてはこんな広い階段ではなく、手摺もあとから付け加えられたものだと分かる。足を滑らせて転落する人もいたそうだ。途中にある凹みは、巡礼や修行者が寝ていた場所だと説明された↓

今はなくなってしまったがかつてここも礼拝堂があった↓



近くを流れる小川にかかる中世からの頑丈な橋がみえる↓


礼拝堂の入口がみえてきた↓

まずは周囲にめぐらされた道をまわってみた。


かつてはこんな道もあったのかどうか?

いよいよ入口へ↓この彫刻はかなり手が込んでいるし中世のオリジナルの様子がよくわかる↓

↓細部をよく見てみよう↓上部の中央は怖い顔をした天の神?右に天使、左の聖人は誰?
黒い溶岩石を菱形に配置し、赤いレンガ?黄色い石も濃淡をよくかんがえて配色されている↓

↑中央でなく中途半端な位置に開けられた丸い穴は何の目的なのだろう?
↓アーチの装飾がどこかイスラム教のモスクでみられるようなデザイン感覚に思える↓
12世紀はすぐとなりのスペインに洗練されたイスラム文化が残されていた時代だ

堂内入り口↓

それほど広くはなく、岩盤いっぱいに建てられているのでいびつな形をしている。

こんな場所にあることが幸いして12世紀に拡張された当時から基本構造は変えられていないのだろう。
カロリング朝時代(8世紀から10世紀)にあった小さな礼拝堂を拡張している。
↓下の写真で階段を上がった内陣にあたる部分がその古い礼拝堂部分だとガイドさん↓

↓外側を半円形に囲っている列柱とアーチ天井が12世紀の拡張部分か↓


内陣に立って上を見上げると↓どこか東方教会的なフレスコ画が残されている↓

↓内陣の一角に宝物として収蔵されている何かが展示してある↓

ガイドさん曰く1990年代に調査した際に内陣の床下から発見された入れ物か十字架などが発見され、それを展示してあるのだそうだ↓
ちょっとピンとぼけてしまいましたが、その丸い入れ物と素朴な十字架がこれ↓

カロリング朝の時代からだとすれば一千年ちかくも床下に隠されていたものだということになる↓

地元のガイドさんとはここで別れ、しばらくこの空間に身をおいた


明るい光の門のところへ出ると

ル・ピュイの大聖堂とそれを見下ろす赤い「フランスの聖母」が、もうひとつの岩塊の上に見える↓


***
この岩塊、夜はライトアップします↓

さらに、夏はプロジェクト・マッピングのショーも行われます


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ル・ピュイ・アン・ヴレを歩く

2018-05-03 11:11:11 | フランス
朝食の席できのうのチーズ「サン・ネクテール」を

ル・ピュイの旧市街はローマ時代以前から同じ場所にある。ついつい高台の教会を目指しがちな我々観光客を、ガイドさんは「下の町」の旧正門のところへ案内してくれた↓

丘の上にある宗教関係者の地区と、下の一般人・商人の地区とははっきり分かれていたそうである。
↑現在見られるものは1533年にフランソワ一世王が来るときに改修された15世紀末から16世紀はじめにかけての建物とされる。
●パンサック通りはずっとメインストリートであり続けている↓その名前は実際にパン屋があったからだそうな。

通りの途中の広場には小麦を商うマーケットがあったという
古代のもの?↓


あきらかにルネサンス時代の装飾↓彫刻細工をする職人の家だったそうだ↓宣伝ですね

上部の町との境界だったのだろうか、門がある↓

路地路地から上を覗いていると、「フランスの聖母」の赤い姿が見えた↓

ル・ピュイは刺繍でも有名↓


下の街●「プロ広場」↓巡礼の集まる広場。囲むたてものは様々だがどれもかなり古そう。

1246年につくられた最古の噴水がある↓水場で休む巡礼たちの広場だったのだ

フランス側巡礼の道の地図↓黄色く塗られたのがこのル・ピュイからはじまるルート

↓左の赤いビルに小さく「サンジャックの道」と書かれた矢印が見える↓



端正で無個性な市庁舎のたてものがある●マルテューレ(殉教者)広場↓

ここは革命時代ギロチンが置かれた場所でその時代に合計四十一人が処刑されたと伝わる。
巡礼者たちの信仰を集めていた大聖堂の「黒い聖母」も、革命時代には引き出され装飾をはがされ、ここで偶像として焼き尽くされたのだそうだ。第一次大戦の戦没者慰霊碑もここに置かれていた↓


●ヴゥルヴェニーというお酒はこの町の名物なのだそうだ↓

薬草を入れた蒸留酒といったかんじ。辞書でしらべてみると、日本語で「クマツヅラ」という植物の名前だった。


きのう夕方訪れた坂道にたどりついた↓
この少し開けた場所を●「テーブル広場」「テーブル通り」という。テーブルが並んでいたからついた名前だというのは分かるが、そのテーブルが何のためのものだったのかは、二つの説明があった。ル・ピュイの出している印刷物は「巡礼たちに宗教関連のグッズを売っていた」というもの、ガイドさんは「遠来の人々の為に通貨交換をしていた」という。両方の用途でテーブルが並んでいたのでしょうね↓

今日は聖堂も開いている時間↓この扉は12世紀の●ヒマラヤ杉の扉、装飾が興味深い↓

なんと、アラビア語まで刻まれているのだ↓

12世紀には、スペイン南部はまだまだイスラム教徒の支配地域。
職人はイスラム教徒だったのではないかという説もある。

この時代、北スペインのサンチャゴへの巡礼はピークを迎えており、増え続ける巡礼を迎えるために階段の上に大規模な屋根が拡張された。
フレスコ画のある部分は拡張前からの部分↓

振り返ると、サンチャゴへの道↓


★献堂縁起
西ローマ帝国の末期、熱病を病んだ女が石置き場へやってきて治癒を祈った。
聖母が現れ、彼女はいつのまにか真っ黒な古い石の上で眠り込んでしまった。
目覚めると病は癒えていた。
司教ジョルジュの元へ行き教会をつくってくれるように願うと、五月だというのに雪が降り出し、一匹の牡鹿が現れて将来の教会となるべき形を雪の上に描いた。※夜の光のショーのオープニングでこの話が暗示されていた

熱病を癒した黒い石は聖なるものとされ、現在も奥の礼拝堂に安置されている。

是非見てみたかった。目の前にすると神秘的な雰囲気のある巨石だった↓
古代の巨石文化があってその名残の石だという説もある

この石は20世紀末までは、教会に入ってきた正面のところに置かれていたのだそうだ。

教会内部「思ったより新しい建物だ」という印象。現在でも多くの巡礼が訪れるのだから、大規模な修復が必要だったのだろう。だが、正面向かって左奥・北側のカギのかかったドアからいつもは上がれない部分に上って印象は一変した

身長五メートルの大天使ラファエルが見下ろしている↓

あきらかにロマネスク時代(13世紀ごろ?)のフレスコ画
だが、このフレスコ画の下にも、もっと古い時代の絵が隠されているのが分かる↓


教会堂内を出る
このぼろぼろのライオンは4世紀ごろのものと推察されているのさそうだ↓

フランス革命時に削り取られてしまった彫刻↓

↓鐘楼↓この下にある回廊も、午後に入ってみようと思う↓


さあ、いよいよあの岩の上の礼拝堂へのぼろう↓


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