ザダルの見所は一日で追いきれないと、地元ガイドさんと一日いっぱいい歩いて気付いた。忘れないようにできるだけ書いておきます
「●聖クルシュヴァン教会の後陣がザダルでいちばん美しいロマネスクだと思います」
と、ガイドのアンナさんの言葉に小松も納得↓
だが、美しい後陣の前の小さな広場にテントを大きく開いたカフェがあるので正面から全体を見る視点がないのが残念。
スラヴ語で「聖クルシュヴァン」はイタリア語で「聖グリゾゴノスGrisogono またはCrisogonus」、英語で「Chrysogonus」という表記になっている場合もある。
ローマの兵士だったがキリスト教徒となりディオクレティアヌス帝によってアクイレイア(ヴェネチアの東に位置する遺跡が残る街)で斬首される。遺体は海に捨てられたがザダルの司教ゾイルスが見つけて埋葬したとされる。
↓こちらがファサード部分。均整のとれたロマネスク↓空白になっている部分にはもともとなにかあったのかしらん…
左に少し写っている銅像はPetar Zoranićという16世紀の詩人
教会内部にはフレスコなど残されているそうだが入れなかった。
**この日のランチ
・タコサラダ
・イカ墨とアーティチョークのリゾット↓
**
19世紀まで住民の半数はイタリア人だったそうだ。イタリア人用のリタイヤ施設↓
近くの民家の壁にかかげられた聖画には↓
↓背景にナポリのヴぇスビオ火山が描かれている↓
***
●フランチェスコ派の修道院は今でも活動している↓なんどもあった大きな地震に耐えてきた中庭↓
墓碑
教会堂内↓
今も使われている庭への入口にはフランチェスコの弟子であるアントニオの姿。百合を持っているのでそうとわかる↓
****
●聖マリア教会と修道院は古代ローマのフォロに面した場所にある↓
「ザダルの金と銀」という博物館には黄長な宗教記念物が収蔵されている。これらは第二次大戦中にドイツの傀儡政権に略奪されそうになったが、付設の塔の基部に隠されていたのだそうだ↓修道士が住むこの壁の向こう側になる↓
●ナロードニ広場
ローマのフォロが6世紀の地震によって破壊されて以降、中世ザダルの中心はこの広場に移っていた↓
ヴェネチア支配時代の最後にザダルの総督だったアンジェロ・ディエドという人物が自分の名前を刻んだパネル↓
年号は1792年
ヴェネチアの伝統として、個人の業績を記念碑に刻ませないというのがあって、ザダルではその人物が離任すると名前の部分が消されていたのだそうだが、これはそのままになっている。
向かい側の建物にある16世紀のプレートでは確かに名前の部分が削られているのがわかる↓
先のプレートの名前が削られなかったのは、1797年にヴェネチア共和国がナポレオンによって終わってしまったから。
●ザダルの「隠されたカギ」
現地のガイドブックをめくっていて、廃墟になった教会の写真に目が留まった↓
ふくらんだ花びらの形はロマネスク教会の跡にちがいない。
「これって、どこにあるのですか?」とアンナさんに訊ねると、嬉しそうに町の地図に小さく載せられていた印をおしえてくれた↓
ザダル市が「シークレット・ザダル」のシンボルに選んでいたのである。
9世紀のストモリカ礼拝堂跡は海に近い道路際にあった↓ほんとうに小さな、しかし均整のとれた建物だったのが感じられる。
16世紀に海沿の壁を建築する際に壊されて、この基部だけが地下にのこされていたのだが、1967年の発掘によってこのようなかたちが見られるようになった。
●聖シムン教会は、南側の壁はなんと五世紀から残されているという↓
事前に調べていた、内部にある14世紀につくられた聖シムンの棺は見もののようだが、「ほとんど見られない」そうな。
いつか見られる機会があるかしらん。
●五つの井戸の広場はヴェネチア時代にザダルの陸からの入口につくられた。ここはローマ時代から城門のあった。
古代の城門が発掘されている↓
中世よりも古代の門のほうがずっと大きかった
「●聖クルシュヴァン教会の後陣がザダルでいちばん美しいロマネスクだと思います」
と、ガイドのアンナさんの言葉に小松も納得↓
だが、美しい後陣の前の小さな広場にテントを大きく開いたカフェがあるので正面から全体を見る視点がないのが残念。
スラヴ語で「聖クルシュヴァン」はイタリア語で「聖グリゾゴノスGrisogono またはCrisogonus」、英語で「Chrysogonus」という表記になっている場合もある。
ローマの兵士だったがキリスト教徒となりディオクレティアヌス帝によってアクイレイア(ヴェネチアの東に位置する遺跡が残る街)で斬首される。遺体は海に捨てられたがザダルの司教ゾイルスが見つけて埋葬したとされる。
↓こちらがファサード部分。均整のとれたロマネスク↓空白になっている部分にはもともとなにかあったのかしらん…
左に少し写っている銅像はPetar Zoranićという16世紀の詩人
教会内部にはフレスコなど残されているそうだが入れなかった。
**この日のランチ
・タコサラダ
・イカ墨とアーティチョークのリゾット↓
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19世紀まで住民の半数はイタリア人だったそうだ。イタリア人用のリタイヤ施設↓
近くの民家の壁にかかげられた聖画には↓
↓背景にナポリのヴぇスビオ火山が描かれている↓
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●フランチェスコ派の修道院は今でも活動している↓なんどもあった大きな地震に耐えてきた中庭↓
墓碑
教会堂内↓
今も使われている庭への入口にはフランチェスコの弟子であるアントニオの姿。百合を持っているのでそうとわかる↓
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●聖マリア教会と修道院は古代ローマのフォロに面した場所にある↓
「ザダルの金と銀」という博物館には黄長な宗教記念物が収蔵されている。これらは第二次大戦中にドイツの傀儡政権に略奪されそうになったが、付設の塔の基部に隠されていたのだそうだ↓修道士が住むこの壁の向こう側になる↓
●ナロードニ広場
ローマのフォロが6世紀の地震によって破壊されて以降、中世ザダルの中心はこの広場に移っていた↓
ヴェネチア支配時代の最後にザダルの総督だったアンジェロ・ディエドという人物が自分の名前を刻んだパネル↓
年号は1792年
ヴェネチアの伝統として、個人の業績を記念碑に刻ませないというのがあって、ザダルではその人物が離任すると名前の部分が消されていたのだそうだが、これはそのままになっている。
向かい側の建物にある16世紀のプレートでは確かに名前の部分が削られているのがわかる↓
先のプレートの名前が削られなかったのは、1797年にヴェネチア共和国がナポレオンによって終わってしまったから。
●ザダルの「隠されたカギ」
現地のガイドブックをめくっていて、廃墟になった教会の写真に目が留まった↓
ふくらんだ花びらの形はロマネスク教会の跡にちがいない。
「これって、どこにあるのですか?」とアンナさんに訊ねると、嬉しそうに町の地図に小さく載せられていた印をおしえてくれた↓
ザダル市が「シークレット・ザダル」のシンボルに選んでいたのである。
9世紀のストモリカ礼拝堂跡は海に近い道路際にあった↓ほんとうに小さな、しかし均整のとれた建物だったのが感じられる。
16世紀に海沿の壁を建築する際に壊されて、この基部だけが地下にのこされていたのだが、1967年の発掘によってこのようなかたちが見られるようになった。
●聖シムン教会は、南側の壁はなんと五世紀から残されているという↓
事前に調べていた、内部にある14世紀につくられた聖シムンの棺は見もののようだが、「ほとんど見られない」そうな。
いつか見られる機会があるかしらん。
●五つの井戸の広場はヴェネチア時代にザダルの陸からの入口につくられた。ここはローマ時代から城門のあった。
古代の城門が発掘されている↓
中世よりも古代の門のほうがずっと大きかった