旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

スプリト考古学博物館 夜は鯖を食べに

2018-06-12 14:14:14 | クロアチア
スプリト旧市街から徒歩だと少し離れた場所にあるので通常の観光では訪れない↓

20世紀はじめの建物
↓司祭で考古学者だったフラネ・ブリッチ氏の尽力によってできた↓彼の名前を今回しっかり認識した↓

どんな遺跡でも誰かの情熱がなければ現代には引き継がれない
※翌日、サロナ遺跡の見学で彼の住んだ家と墓があった

本館にチケットを買いに入ると昼休みだった。それでも建物は開いている。あえてチケットを買わなくても自由に見学できる雰囲気。お昼寝をしていたこんな子までいた

考古学博物館本館よりも前庭を囲う回廊に見所が多い↓
↓家族墓碑ですね↓

どこかの邸宅の床↓


古代帝政ローマ時代から初期キリスト教時代にかけての発掘物が多い↓見事な彫の石棺↓

↓葡萄園装飾も↓

↓こちらはギリシャ神話の「フェードラ(パイドラ)とヒッポリュトス」から題材をとられた石棺だそうだが、知識が足りなくてよく見えてこない…↓

↓大量のアンフォラ↓

初期キリスト教時代、つまり四世紀から七世紀ごろ↓サロナがスラヴ人の侵入によって荒廃してしまうまでの時代のもの↓

↓★良き羊飼いの刻まれた石棺はフラネ・ブリッチ氏もたいへん気に入っていたもののようで、彼の邸宅の壁のデザインにも使われていたのだった↓


館内のコイン展示にスプリトに宮殿を建設させたディオクレティアヌス帝のものがあった↓

↑彼の性格までみえてきそうな精巧な横顔である
↓東ローマビザンチン時代のユスティニアヌス帝のものと比べるとその差がわかる↓

****
中世クロアチア王国時代のものを見せてほしいと頼んだら、ショーケースひとつほどの展示しかなかった↓
クロアチア公トロピミルの名が刻まれた教会の装飾↓

ローマ人の住んだサロナを破壊したスラヴ人の長だったトロピミルが、サロナのすぐ隣のソリンにつくった街の教会からのようだ。
スプリトをはじめダルマツィア地方はローマの遺跡の方が圧倒的に目立つので、こういったスラヴ人の遺物は注目されにくい。
スプリトには考古学博物館とは別に中世クロアチアの遺物をあつめた博物館があるのだそうだ。
そこを見学するとなると…現地のガイドさんのなかでもそのあたりにしっかり知識がある人にお願いしないと難しいででしょうね。
また、いつか(いつ?)
***
スプリト二日目の夜、ど真ん中から少しだけ離れてレストランをさがす。
裏路地は(危険がない街ならば)歩くのがたのしい。

これはいいんじゃない?っと思った一軒に入るが食事を出してなかった。
さらに歩いていると「ステーキ&ピッツァ」という看板にちと惹かれたのだが、
「せっかくここなら海モノがいいですかね」ということで、
そのすぐ近くのサカナの看板の店に決める。
店内に入るとけっこういっぱいで、「道路テラスならいいよ」と言われて座る。

ちかくの車の下でじっとしている子を観察
メニューを見て地ビールと「二名よりのおまかせ盛り合わせ」を注文↓

タコもハムもいいかんじ。右側のは魚のフリットあんかけ。

やがて焼マックロー(鯖)がやってくる↓

トマトソースをかけるのってどうなの?と日本人的に思ったのだが
使ってみるとこれがけっこう合う。地中海岸のサカナの食べ方にはそれなりの伝統があるのだ。

食べ終えて「やっぱりサカナの店にしてよかった」と思って立つと、
すぐ後ろの席で肉とピッツァを注文していた。
あれ?とおもったら、どうやらさっきやめておいた「ステーキ&ピッツァ」の店と同じ経営だった。
↓下の写真で左側奥が肉の店、右の手前がサカナの店↓

午後九時になり、地元常連組がならんでいる。
こんどは(いつ?)あの肉も食べてにいってみたい。






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スプリト旧市街歩き

2018-06-12 11:11:11 | クロアチア
ホテルの部屋の窓から見えているこの壁はディオクレティアヌス帝の時代から残るジュピターの神殿↓

このぐらい便利な場所に滞在すれば時間が無駄にならないし、疲れたらすぐにホテルに戻ることができる。
ガイドさんと歩き始めてすぐにダルマツィア地方(クロアチアの海岸部南方)の漁師が伝統的に歌っていた男声合唱のチームがいた↓

夏休みシーズン直前。朝十時ぐらいにはクルーズ船からのバスもたくさん到着するので旧市街の有名箇所はグループでいっぱいになる。
合唱団がいた場所の天井は、きのうも見上げた丸い空。かつて神に捧げる燔祭の煙がのぼっていった穴↓

ホテルの窓から見えていたジュピター神殿へ↓入り口の見事な古代彫刻↓

内部の天井も見事↓

※トロギールの大聖堂の礼拝堂を装飾したフェレンツィナッツもこれを見ていたんだろうなぁ
ここで見るべき中世クロアチア王国の遺構は十字型をした洗礼盤↓

使われている石材は寄せ集め。正面に戴冠されているようなクロアチア王の姿が刻まれている↓

※ザダルの考古学博物館に展示してあった教会の仕切り石板の装飾ととてもよく似ている。同じ作者かなとおもうぐらい

ジュピター神殿は、キリスト教の時代になってからは「洗礼者ヨハネの礼拝堂」になっていた。今回初めて知ったのは、二階建てになっていて地下に聖トマスに捧げられた礼拝堂があったということ。それ、見てみたい。ガイドさんが管理人さんに「入れますか?」と訊ねてくれたが、今はカギがかかっていて公開していないとのこと。入り口は裏だと言うのでまわってみると…↓

おお、確かに下の部屋に通じる入り口が開いている↑
なんとか中がみえないかな…↓古代のものらしい大きな石が整然と積み重なっていた↓

**
ディオクレティアヌス帝の廟だった建物へ入ってみよう↓横から見上げた雰囲気は古代を感じさせる↓


古代のままの構造はこの天井と周辺の装飾↓

窓は後代に開けられたもの
★2016年に書いたページご参照ください

今回新たに知ったのは床の古代オリジナル装飾が発見されたこと↓

現役で使われている教会の調査や保存は思うようにならないことが多いもの。教会側としては博物館やアミューズメントパーク化したくない。しかし調査してその歴史を明らかにして訪れる人に理解してもらう事も必要。

ディオクレティアヌスの迫害によって殉教した聖ドムニウスと聖アナスタシウスがここに葬られている。

木製の扉は中世のオリジナルトロギール大聖堂の門を装飾したラドヴァンとの類似を感じる。

塔にもあがろう。この塔は百年ほど前に考古学者で司祭のフラネ・ブリッチ氏が復元したもの。






↓★ずっと訪れたかった聖マルティン教会を訪れた※こちらからご覧ください


地下宮殿ももちろん見学。
この宮殿まで水を運んでいた古代水道の地図↓


戦争時に爆撃で開いた穴を地下宮殿から見上げる

***
ランチ、ガイドさんに連れて行ってもらった。知っていなければちょっと入らないような場所にある↓

ヴェネチアの時代に町を見張る軍が駐屯していた砦だった場所だそうだ。
マグロステーキをまた注文(^.^)↓今度は出来るだけレアに焼いてもらった↓



考古学博物館は、通常観光だと足をのばさない少し離れた場所にある。陽射しがきついの帽子をたくさん売っている。
「なかなかお似合いです、写真撮りましょう」↓

スプリトの19世紀からの劇場↓左側↓


もうすぐ考古学博物館
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