スプリト旧市街から徒歩だと少し離れた場所にあるので通常の観光では訪れない↓
20世紀はじめの建物
↓司祭で考古学者だったフラネ・ブリッチ氏の尽力によってできた↓彼の名前を今回しっかり認識した↓
どんな遺跡でも誰かの情熱がなければ現代には引き継がれない
※翌日、サロナ遺跡の見学で彼の住んだ家と墓があった
本館にチケットを買いに入ると昼休みだった。それでも建物は開いている。あえてチケットを買わなくても自由に見学できる雰囲気。お昼寝をしていたこんな子までいた
考古学博物館本館よりも前庭を囲う回廊に見所が多い↓
↓家族墓碑ですね↓
どこかの邸宅の床↓
古代帝政ローマ時代から初期キリスト教時代にかけての発掘物が多い↓見事な彫の石棺↓
↓葡萄園装飾も↓
↓こちらはギリシャ神話の「フェードラ(パイドラ)とヒッポリュトス」から題材をとられた石棺だそうだが、知識が足りなくてよく見えてこない…↓
↓大量のアンフォラ↓
初期キリスト教時代、つまり四世紀から七世紀ごろ↓サロナがスラヴ人の侵入によって荒廃してしまうまでの時代のもの↓
↓★良き羊飼いの刻まれた石棺はフラネ・ブリッチ氏もたいへん気に入っていたもののようで、彼の邸宅の壁のデザインにも使われていたのだった↓
館内のコイン展示にスプリトに宮殿を建設させたディオクレティアヌス帝のものがあった↓
↑彼の性格までみえてきそうな精巧な横顔である
↓東ローマビザンチン時代のユスティニアヌス帝のものと比べるとその差がわかる↓
****
中世クロアチア王国時代のものを見せてほしいと頼んだら、ショーケースひとつほどの展示しかなかった↓
クロアチア公トロピミルの名が刻まれた教会の装飾↓
ローマ人の住んだサロナを破壊したスラヴ人の長だったトロピミルが、サロナのすぐ隣のソリンにつくった街の教会からのようだ。
スプリトをはじめダルマツィア地方はローマの遺跡の方が圧倒的に目立つので、こういったスラヴ人の遺物は注目されにくい。
スプリトには考古学博物館とは別に中世クロアチアの遺物をあつめた博物館があるのだそうだ。
そこを見学するとなると…現地のガイドさんのなかでもそのあたりにしっかり知識がある人にお願いしないと難しいででしょうね。
また、いつか(いつ?)
***
スプリト二日目の夜、ど真ん中から少しだけ離れてレストランをさがす。
裏路地は(危険がない街ならば)歩くのがたのしい。
これはいいんじゃない?っと思った一軒に入るが食事を出してなかった。
さらに歩いていると「ステーキ&ピッツァ」という看板にちと惹かれたのだが、
「せっかくここなら海モノがいいですかね」ということで、
そのすぐ近くのサカナの看板の店に決める。
店内に入るとけっこういっぱいで、「道路テラスならいいよ」と言われて座る。
ちかくの車の下でじっとしている子を観察
メニューを見て地ビールと「二名よりのおまかせ盛り合わせ」を注文↓
タコもハムもいいかんじ。右側のは魚のフリットあんかけ。
やがて焼マックロー(鯖)がやってくる↓
トマトソースをかけるのってどうなの?と日本人的に思ったのだが
使ってみるとこれがけっこう合う。地中海岸のサカナの食べ方にはそれなりの伝統があるのだ。
食べ終えて「やっぱりサカナの店にしてよかった」と思って立つと、
すぐ後ろの席で肉とピッツァを注文していた。
あれ?とおもったら、どうやらさっきやめておいた「ステーキ&ピッツァ」の店と同じ経営だった。
↓下の写真で左側奥が肉の店、右の手前がサカナの店↓
午後九時になり、地元常連組がならんでいる。
こんどは(いつ?)あの肉も食べてにいってみたい。
20世紀はじめの建物
↓司祭で考古学者だったフラネ・ブリッチ氏の尽力によってできた↓彼の名前を今回しっかり認識した↓
どんな遺跡でも誰かの情熱がなければ現代には引き継がれない
※翌日、サロナ遺跡の見学で彼の住んだ家と墓があった
本館にチケットを買いに入ると昼休みだった。それでも建物は開いている。あえてチケットを買わなくても自由に見学できる雰囲気。お昼寝をしていたこんな子までいた
考古学博物館本館よりも前庭を囲う回廊に見所が多い↓
↓家族墓碑ですね↓
どこかの邸宅の床↓
古代帝政ローマ時代から初期キリスト教時代にかけての発掘物が多い↓見事な彫の石棺↓
↓葡萄園装飾も↓
↓こちらはギリシャ神話の「フェードラ(パイドラ)とヒッポリュトス」から題材をとられた石棺だそうだが、知識が足りなくてよく見えてこない…↓
↓大量のアンフォラ↓
初期キリスト教時代、つまり四世紀から七世紀ごろ↓サロナがスラヴ人の侵入によって荒廃してしまうまでの時代のもの↓
↓★良き羊飼いの刻まれた石棺はフラネ・ブリッチ氏もたいへん気に入っていたもののようで、彼の邸宅の壁のデザインにも使われていたのだった↓
館内のコイン展示にスプリトに宮殿を建設させたディオクレティアヌス帝のものがあった↓
↑彼の性格までみえてきそうな精巧な横顔である
↓東ローマビザンチン時代のユスティニアヌス帝のものと比べるとその差がわかる↓
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中世クロアチア王国時代のものを見せてほしいと頼んだら、ショーケースひとつほどの展示しかなかった↓
クロアチア公トロピミルの名が刻まれた教会の装飾↓
ローマ人の住んだサロナを破壊したスラヴ人の長だったトロピミルが、サロナのすぐ隣のソリンにつくった街の教会からのようだ。
スプリトをはじめダルマツィア地方はローマの遺跡の方が圧倒的に目立つので、こういったスラヴ人の遺物は注目されにくい。
スプリトには考古学博物館とは別に中世クロアチアの遺物をあつめた博物館があるのだそうだ。
そこを見学するとなると…現地のガイドさんのなかでもそのあたりにしっかり知識がある人にお願いしないと難しいででしょうね。
また、いつか(いつ?)
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スプリト二日目の夜、ど真ん中から少しだけ離れてレストランをさがす。
裏路地は(危険がない街ならば)歩くのがたのしい。
これはいいんじゃない?っと思った一軒に入るが食事を出してなかった。
さらに歩いていると「ステーキ&ピッツァ」という看板にちと惹かれたのだが、
「せっかくここなら海モノがいいですかね」ということで、
そのすぐ近くのサカナの看板の店に決める。
店内に入るとけっこういっぱいで、「道路テラスならいいよ」と言われて座る。
ちかくの車の下でじっとしている子を観察
メニューを見て地ビールと「二名よりのおまかせ盛り合わせ」を注文↓
タコもハムもいいかんじ。右側のは魚のフリットあんかけ。
やがて焼マックロー(鯖)がやってくる↓
トマトソースをかけるのってどうなの?と日本人的に思ったのだが
使ってみるとこれがけっこう合う。地中海岸のサカナの食べ方にはそれなりの伝統があるのだ。
食べ終えて「やっぱりサカナの店にしてよかった」と思って立つと、
すぐ後ろの席で肉とピッツァを注文していた。
あれ?とおもったら、どうやらさっきやめておいた「ステーキ&ピッツァ」の店と同じ経営だった。
↓下の写真で左側奥が肉の店、右の手前がサカナの店↓
午後九時になり、地元常連組がならんでいる。
こんどは(いつ?)あの肉も食べてにいってみたい。