2024年10月1日朝8時過ぎのモン・サン・ミッシェル。
三時間もすると人であふれかえるが、その前に歩きたい。
対岸からのナベット(シャトルバス)に、予定よりずっと早く乗った。
かつては団体バスで島の入り口まで行けたが、2012年の4月28日からナベットに乗り換える必要がある。
ナベットを降りると、見たかったようなモン・サン・ミッシェルがそびえている。
ガイドさんとの待ち合わせ時間までまだ40分以上あるからゆっくり写真タイム。
そして中世らしい城門をくぐる。
パリからのバスが到着する前に歩くことが重要。
メインストリートではない細い階段を上がると
朝の空がひらける。
村の墓地にあるプーラールさんのお墓。有名なオムレツメニューを開発した「プーラールおばさん」一族の墓はたくさんある。小松が記憶していたお墓は本人のとはちがったけれど(笑)
後ほど↑ガイドさんと修道院に入ろう。
*
午前9時すぎガイドさんと待ち合わせ。
めずらしく日本人ガイドさん。
多くの場合英語ガイドさんの話を添乗員さんが要約するのだが、今日は直接お話していただけるし、時間も節約できるから濃い内容を楽しんでいただけそう。
「コロナ禍でいろんなモノがかわりましたが、これもそのひとつです」として、足で開閉できるゴミ箱を紹介してもらった。
なんでもないこういう事こそ、実際に訪れないと見えてこない。
大通りはまだ人通りが少ない。
一人が肩を壁に摺らせながらあがる階段。
ほんとに狭いんです。
↓この建物の間を上がってきた↓
↓「屋根を覆っているのは栗の木の板かスレート(粘板岩の板)です」↓
なるほど、栗の木もあったんだ。
四十五分前と同じ修道院が、朝陽に照らされてまったく別の色になってきた。
さきほどの村の墓地↑サン・ピエール教会のロマネスク的な塔。
上がりきると↑かつて小学校だった建物↑今は写真家のアトリエ
↑めずらしい雪のモン・サン・ミッシェルも写真
↑修道院入場の行列は予約グループ優先
↑そびえる城門は中世も今も手荷物チェックの場所。
かつては携行武器をここで預けさせられた。
↑修道院内の階段をのぼりはじめると↑途中に巨大な蛇口がある↓
↑見上げる上は実は…
雨水の貯蔵タンクになっている。
この島で暮らすために必要な水は天から恵まれる。
雨の多いノルマンディー地方だからそれが可能。
*
頂上の修道院テラスに出ると人怖じしないカモメが「何かくれるの?」
巨大な尖塔の影
別途、続く
三時間もすると人であふれかえるが、その前に歩きたい。
対岸からのナベット(シャトルバス)に、予定よりずっと早く乗った。
かつては団体バスで島の入り口まで行けたが、2012年の4月28日からナベットに乗り換える必要がある。
ナベットを降りると、見たかったようなモン・サン・ミッシェルがそびえている。
ガイドさんとの待ち合わせ時間までまだ40分以上あるからゆっくり写真タイム。
そして中世らしい城門をくぐる。
パリからのバスが到着する前に歩くことが重要。
メインストリートではない細い階段を上がると
朝の空がひらける。
村の墓地にあるプーラールさんのお墓。有名なオムレツメニューを開発した「プーラールおばさん」一族の墓はたくさんある。小松が記憶していたお墓は本人のとはちがったけれど(笑)
後ほど↑ガイドさんと修道院に入ろう。
*
午前9時すぎガイドさんと待ち合わせ。
めずらしく日本人ガイドさん。
多くの場合英語ガイドさんの話を添乗員さんが要約するのだが、今日は直接お話していただけるし、時間も節約できるから濃い内容を楽しんでいただけそう。
「コロナ禍でいろんなモノがかわりましたが、これもそのひとつです」として、足で開閉できるゴミ箱を紹介してもらった。
なんでもないこういう事こそ、実際に訪れないと見えてこない。
大通りはまだ人通りが少ない。
一人が肩を壁に摺らせながらあがる階段。
ほんとに狭いんです。
↓この建物の間を上がってきた↓
↓「屋根を覆っているのは栗の木の板かスレート(粘板岩の板)です」↓
なるほど、栗の木もあったんだ。
四十五分前と同じ修道院が、朝陽に照らされてまったく別の色になってきた。
さきほどの村の墓地↑サン・ピエール教会のロマネスク的な塔。
上がりきると↑かつて小学校だった建物↑今は写真家のアトリエ
↑めずらしい雪のモン・サン・ミッシェルも写真
↑修道院入場の行列は予約グループ優先
↑そびえる城門は中世も今も手荷物チェックの場所。
かつては携行武器をここで預けさせられた。
↑修道院内の階段をのぼりはじめると↑途中に巨大な蛇口がある↓
↑見上げる上は実は…
雨水の貯蔵タンクになっている。
この島で暮らすために必要な水は天から恵まれる。
雨の多いノルマンディー地方だからそれが可能。
*
頂上の修道院テラスに出ると人怖じしないカモメが「何かくれるの?」
巨大な尖塔の影
別途、続く