旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「腹帯観音」と「丸子船の館」再訪

2024-10-27 21:53:56 | 国内
「腹帯観音」は姉川の合戦から八十八年も泥の中に隠されていたと伝わる。
はじめて訪れた時には見えていなかったが、
※2020年9月、はじめて長浜を訪れた時のブログにリンクします

今回お近くでじっくり対峙させていただくと、四百年の時間が刻み込まれていることが伝わってきた
※御護りされているKさんが書かれたHPにリンクします
↑足先は江戸時代に泥から救い出されてからもういちど立てるように後補されたものだろう。

泥から救い出された時、全身を洗いさらしで巻き、後にその布を腹帯にすると安産のご利益があったとのこと。
ふくらんだお腹にさらしを巻いてそれを下げていただく習慣がはじまった↑布に書かれた文字はなんと↓

享保四年(1719年)に製作された版木が使い続けられている!
前出のリンクにも書かれているように平成15年(2003年)に盗まれたが、約一年半後に取り戻すことができた。
多発した仏像の盗み出し事件で、無事に戻ってくることは稀である。
このお像の威信とも言うべきものかもしれない。

「丸子船の館」も琵琶湖最北端の大浦にある。
※2020年9月はじめて訪れた時のブログで運んでいたモノなどについて書きました
何度訪れても新たに知ることがある。

↑デザインのように貼られている金属の板は銅板↑木材を組み合わせた場所から水が入らないように補強してある部分なのだが、実用を超えてデザインとして発展し「ダテカスガイ」と呼ばれている。確かに船を美しくしようという意識が感じられる。

接合部分は水に浸かっていた現役のあいだはしっかり閉じていたが、この博物館に移動されてから乾燥が進んでしまったそうな。

大きな帆はこの船自体では使われていなかったが、丸子船にエンジンが備え付けられる前にどのように走行していたかを理解してもらう目的で設置されている。

「松右衛門帆」がはじめて船の帆として開発された布地をつかったモノなのだそうだ。
現在でも兵庫県高砂市に「松右衛門帆」を継ぐ?店がある※リンクします

↑鳥居のように見える構造物は帆をたたんだ時に帆柱を横たえて置く場所。
丸子船がエンジンで運行されるようになってからも伝統的に同じ形で最後まで残った。
最後の丸子船は昭和40年頃までは運行していた。

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10月13日の泊まりは長浜港のすぐ前にある、ヴェネチアがコンセプトのホテル。
ディナーもイタリアン(^^♪

楽しませていただきました。


コメント
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