旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

マドリッドからAVEでコルドバ、セビリア

2015-08-20 14:57:33 | スペイン
朝6時半、真っ暗なマドリッドのホテルを出発し、アトーチャ駅へスペイン新幹線AVEアルテ(高い)・ヴェロシダ(スピード)・エスパニョール(スペインの)の略がちょうど「鳥」という単語になった。
座席は回転いたしません
午前8時ちょうど発、窓の外はどんどんスペインらしい風景になってゆく1時間40分でアンダルシアのコルドバへ到着

グアダルキビル川を挟んで向こう側にメスキータが見える。この橋をわたってゆこう。

近年修復されて歩きやすい
川岸にかつての水車が復元してある

メスキータの横にそびえる守護聖人ラファエルの像

メスキータ中庭から見上げる鐘楼、モスク時代のミナレットをかこうかたちでつくられた

いつみても圧巻の内部

西暦8世紀から建設されたモスク。
使われている石材には古代のものも多い。

この石柱はもともとアラバスタ―製のものだが、欠けたところを丁寧に修復してあるのがわかる。修復された石片は元の色より少し濃い。アラバスタ―ではなくふつうの大理石。 よって、光をかざしてみるとアラバスタ―ほど透明度がないので、違いがよく分かるアラバスタ―はより光を通すのであります。

メッカの方向を示すキブラの美しいモザイク

コルドバは13世紀にキリスト教徒に奪還され、ここは教会になった。モスク時代にはなかった床の墓のひとつ

再び庭に出る。見上げるナツメヤシ。これは実がなっているからメスの木

**
街にもアラブ時代の名残が隠れている。このアーチの中庭の奥はなんと、アラブ時代の公衆浴場の跡。
現在はフラメンコ場になっている。


現代のイスラム教徒たちのためのモスクが、トルコの手によって旧市街の一角に復活している

***
昼食、前菜に
●コルドバ名物サルモレッホ~ガスパチョのようにトマトのペーストとパンでつくられているが、もっと濃厚で食べごたえがある

●ハムのフラメンキン
ロールしたハムと卵に衣をつけてあげたもの

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セビリアへ向かって走る道に、シェリー酒で有名な「ティオ・ペペ」の看板が


セビリアを流れるグアダルキビル川にかかるアラミーリョ橋1992年の万博にあわせて、ヴァレンシアの建築家カラトラーバが設計した。

マエストランサ闘牛場に到着すぐ前でホセを待つ?(笑)カルメン

ここから歩いてカテドラルへ向かう。

そびえたつ鐘楼ヒラルダの塔はもとはモスクのミナレットだった

今回、ひさーしぶりに登ってみた。巨大な伽藍を上から見下ろす。
やっぱり絶景
おや、見慣れないモダンなビルがひとつだけ突き出している、あれは?

これについては⇒こちらにもうすこし書きました

今やキリスト教の大聖堂に建て替えられてしまったメスキータだが、入口の扉はかつてのモスク時代の重厚で華麗な金属製のものが使い続けられている

アルカサールから城壁沿いのアクア通り外はムリリーョ公園※画家ムリーリョがこの近くで生まれたので
コロンブスの記念碑は1929年のイベロ・アメリカ博覧会の時に建設された

バスに乗って、その万博当時のメイン会場だったスペイン広場へ。午後六時だが肌をちりちり焦がしてゆくのが感じられるようなキツイ陽射しだった
19時からスペインにして早すぎる夕食を食べてからホテルへチェックイン。
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マドリッドとトレド観光(一般的な)

2015-08-19 13:37:56 | スペイン
中心から少し離れたホテルから出発し、アルカラ門がみえてきたほどなく、シベーレス広場。立派なビルはしばらく前まで郵便局だったが、今は市庁舎となっている

セルバンテスの像のあるスペイン広場で写真ストップ
何十回この広場に来たかわからないが、今回のガイドさんから、今まで知らなかった話をおしえていだいた⇒こちらに書きました。

この広場のすぐ近くにある建物が、「スペイン鉱山省」だというのも、今回はじめて知ったスペインは金こそそれほどとれないが、今でも銅からウランまでとれる資源国なのだそうだ。

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プラド美術館観光今は写真撮影禁止になってしまった。
以前にいろいろかきましたが。

昼食はパエリア

そして、トレドを目指す。道路沿いに黒い牛の影。これはオスボルネという酒造メーカーの宣伝としてスペイン南部を中心に全土に立てられた。

一時、「もともとイギリス資本の会社の看板がそこらじゅうにあるのはけしからん」と言う話になり、撤去されそうになった。が、アーティストと子供たちの反対により、社名だけを消して生き残ることになったのだそうだ。
※わき見運転防止のため、と説明しているサイトもありました
社名なんかないほうがイイですね。

***
トレドのパノラマ


城壁の中をのぼってゆくエスカレーター最初のひとつ壊れてヒャっとしたが、あとは動いていた。

大聖堂

こういう路地の風情がよいのです。
この四角い塔はイスラム時代のミナレットだったかのよう

暑い午後のトレド散策を終えて19時にマドリッドのホテル到着。ホテルで(スペインにしては)早い夕食をいただき、就寝。
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2015夏 ドイツ、オーストリアの旅写真集

2015-08-10 09:18:17 | ドイツ
オーストリア、ザルツブルグ近郊にひろがるザルツカンマーグートの奥座敷、ハルシュタット。

山奥の小さな村…という雰囲気だったのが、久しぶりに訪れるとびっくりするほど多くのアジアからの観光客。
予想をはるかにうわまわる暑さだった。

今回の旅の写真集⇒こちらからご覧ください
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機内映画「The water diviner」~ガリポリを思い出す

2015-08-09 23:28:54 | トルコ
映画は、時に、我々の乏しい想像力を補完する役割を担ってくれる。

現代トルコが忘れてはならない戦闘のあったガリポリ半島には、2005年に自ら企画した《手造の旅》トルコで訪れた。
自分の目で見てはいたが、その時の小松には白い墓碑が青い海を背景に美しくひろがっている様しか見えていなかった。

この映画にえがかれたような光景を感じられてはいなかった。

1915年の4月から12月にかけて、イギリス軍の最前線を担ったANZAC(オーストラリアとニュージーランド)兵と、トルコ兵が死闘をくりひろげたガリポリ半島。

この映画では、ガリポリの戦いで三人の息子がすべて行方不明になったと知らされた父親が、はるばるオーストラリアからやってきてその消息をなんとしても突きとめようとする

主演で監督のラッセル・クロウはオーストラリア人。彼自身、実際に二人の息子の父親。
実際の記録に、オーストラリアから息子の消息を探してやってきた父親がいたと知ったのが、この映画を撮ろうとするひとつのきっかけだったそうだ。

当時は、そうか、実際にこんな光景がいたるところに見られたのだろう
小松は十年前実際に現場へ行っていたのに、こういったリアリティを感じられていなかった。

日本でこの映画は公開されたのだろうか?
されていたとしても、日本人にはほとんど知られていない戦闘がテーマだから、ほとんど話題にもならなかっただろう。

トルコを訪れる日本人観光客は、ガリポリ半島をけっこう通るのだが、その時この戦闘の事をどの程度認識するのだろう。

我々観光旅行をリードする者の使命は、今は穏やかな風景の裏側をも知らせる事だと思う。
実は、この映画で描かれたような世界が存在している事実を、知ってもらう事だ。

**
この映画は、史実をちゃんと描きこんである。
敗戦後のトルコに侵攻してきたギリシャ軍との戦いや、第一次大戦に敗れたオスマン・トルコがどうやって共和国へ転換していったのかも。

ただ、主人公とトルコ人女性の恋愛エピソードは、まさにとってつけたようだったけれど。

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夏のノイシュバンシュタイン城は大混雑

2015-08-05 00:41:43 | ドイツ
ミュンヘンを出発して約二時間、アルプスが見えてくるとノイシュバンシュタイン城は近い

ドイツでいちばん入場者数の多い観光施設が、ここノイシュバンシュタイン城。
百年前、王様が借金してまで建てた趣味の城は、今やバイエルン州のドル箱となっている。

団体は必ず予約をされているので、この個人客の行列に並ばなくてもよい。
個人用の枠は、午後早い時間には売り切れてしまう事も多い観光シーズンである。

ここの入場システムは、初めて来た人にはすこぶる分かりにくい。
チケット売り場は、城からはるか下の駐車場近くにしかない。城まで行ってしまったら入場券は購入出来ないというのも変なもの。

また、チケットを購入しても、そこから実際の入場口までは歩けば三十分はみておかなくてはならない。
道を知っている我々なら、時間配分も出来るが、初めて来た個人客には難しい。

おまけに最近は、アジア諸国からの観光客が、麓のお土産屋でスーツケースや電化製品まで爆買いしている。

★城を見下ろす場所にあるマリエン橋は、今週から修復にはいった。

それでも、橋から城までの散歩道は歩く価値がある。素晴らしい眺め。

途中から城が高く見えてくる。


今日は10:45の入場予約。
ミュヘンは余裕をもって朝7時に出発したから、少しゆっくり歩いても大丈夫。

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午後、世界遺産のヴィース教会を見る



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ザルツブルグには18時半過ぎに到着。
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