旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

クスコへの遠い道

2016-09-12 09:55:14 | ペルー

午後二時過ぎ。マチュピチュ村まで降りてきた。列車が出るまで時間があるので、村で一時間ほど自由行動。朝、ワイナピチュ登山をした方々はサンクチュアリーロッジの朝食をゆっくり食べている時間はなかったから、けっこう空腹の筈。小松含めた残留組はカフェでいっぷく

注文した「地元風レモネード」は、出てくるとこんな色をしていた。緑色の葉っぱは・・・

今朝、ロナルドくんが紹介してくれたムニャというハーブに違いない。飲んでみると、レモネードというよりは「アンデス風ハーブ青汁」であった(^^)ま、わるくないです。

列車に乗る 乗車口で改札していた女性がロナルド君の同級生だった。みなさん、興味本位であおるのはやめましょう(笑)

 

走り出してしばらくすると、こんな変なのが登場してびっくり このあたりの村祭で出てくるいたずらモノなんだそうで、乗客を引っ張り出して踊りだした こんどは、列車の乗務員さんがモデルになって、アンデスウールのファッションショーがはじまった↓

 

沿線の村では子供たちが手を振る

天井に開けられた窓からはヴェロニカ山標高五千七百メートルの峰が白い。

オリャンタイタンボ駅に着いたのは夕暮れここからバスにのってクスコまで一直線・・・と思ったのだが、事態は急変した。

「クスコへ行く途中の村がストライキをしているので、山を抜ける道を通る事にしました。舗装していないのでスピードがでないので、時間がかかるとおもいます」ドライバーさんから状況をきかされてロナルドくんがアナウンス。

★村のストライキとは~ 村人が樹木や大きな石を道路に置いて交通をストップさせる行為。これによって、自分たちの意志を行政に知らせる目的。今回のスト理由①最近、マチュピチュのシャトルバスを運営する会社は乗車賃を5ドル分も値上げした。それなのに周辺の村々への分配金には反映されてこない。②電気代金も値上げされた③税金が値上げされた というような事々。 地元にとって重要な観光産業を阻害するようなストを地元が行うのは、こうでもしなければ自分たちの意見を聴いてもらえない、立場の弱い人々がある故。

すっかり暗くなったオリャンタイタンボを出発したが、バスはすぐにストップした。「ここでバスから降りて橋をわたります」

前方の橋が古くて、乗客を乗せた重量では渡るのに不安があるから。

「あ、あの崖の光、SKY LODGEです」↓

崖の中腹に見える小さな光は、なんとホテル!※⇒こちらのサイトに画像がのっております

 

真っ暗な道を、何台ものバスがクスコへ向けて進むんでゆく。村を抜けてまっくらな山へはいってゆく。未舗装の道へはいいって、やがてバスは止まった。しばらくしても動かないのでドライバーはエンジンを切った。前方はどうなんているのだろう?

 

ドライバーさん曰く、この先で道が狭くなっているので片道通行にしているのだろう、とのこと。待つしかない・・・と、背後から車がやってくる音がして、車列をごぼう抜きに前方へ抜けてゆく「ちっ!」と怒気をあらわしたドライバーさんはクラクションを鳴らしたが、相手はそのまま前方へ行ってしまった。

十五分ほど経っただろうか。ゆっくりと車列が動き出した。数百メートルほど行くと、地元の警察がちゃんと交通整理整理をしていた。ちゃんとコントロールされた通過待ちの列だったのである。と、そこに、さっき横をごぼう抜きにしていった車が止められていた。

「さまぁ~みろ~」と、ドライバーさんは言ったに違いない。言葉は通じなくてもニュアンスは伝わってきました(笑)

未舗装の道は続く、いったいクスコにはいつつくのだろう・・・と皆が不安になった頃、ガタガタの揺れが消え、いつのまにか村に入っていた。登りだった道が下りはじめ、前方の盆地に大きな街の光がたまっている。もう、クスコを見下ろす場所までついていたのである。

クスコのど真ん中、コリカンチャが目の前に見えるホテルにチェックインしたのは午後十時頃、予定より一時間半ほど遅れての到着となった。 明日は午前中クスコで過ごす。

 

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サンクチゥアリーロッジの朝食、インカ橋を見てから村へ降りる

2016-09-12 09:33:52 | ペルー

・・・ワイナピチュ山へ登るメンバーを見送った我々、サンクチュアリーロッジに戻ってきた。ホテル残留メンバーと六人で。昨年、は見ているだけで終わってしまった朝食を、今年はちゃんと食べてみなくては。

**ブッフェだけでなく、朝食メニューリストからオーダーする事ももちろんできる。小松がオーダーした「デリシア・インカ」という一皿がこれ↓

白い巨大な粒のコーンが目につく。こんなに大きいんです(^^)↓

「パンがおいしい!」と皆さん絶賛

秀逸だったのはこのヨーグルト・フルーツカクテル。いちばん上に乗せられたパッションフルーツは、きのうマチュピチュ村の市場で食べさせてもらったものだった↓

はじめ気付かなかったのだが、さりげなく日本食のコーナーがある。下の写真でいちばん右の部分↓小松は食べませんでしたが。

**ワイナピチュ登山組がもどってきたのは午前10時ごろ(三時間ほどかかったことになる)。チェックアウトの11時まで、シャワーして荷物を整理して※サンクチュアリーロッジではスーツケースは持ち込めず、手荷物一泊分だけを持ってきています

お昼時、混雑しはじめた遺跡に入場。三回も、時間を変えて遺跡を見学できる《手造の旅》です↓

ロナルドくん、写真お願~い 

ロナルドくんは、遺跡発掘の手伝いをしていたこともあって、インカ時代の陶器の破片を目ざとく見つける↓

「インカ橋」を最後に見みていただきたく、皆さんをひっぱていく。 楽なルートだとお話ししていたから、逆にけっこうたいへんだったと感じられたかもしれない。また、きのうの夕方と違ってお昼は気温も高かったし。

★インカ橋 こんな絶壁に石を積み上げてつくられたインカ道。これが山の中にえんえんと続いているのだ。

インカ橋は通行止め。ここでサンクチュアリーロッジに引き返す。

 

ロナルドくんがおしえてくれた、インカのハーブ、「ムニャ」という植物↓

遺跡の出口への最後の道は、つい最近の1995年につくられたもの。近年の観光客激増に対応するために、遺跡ももとのままではやっていけないのだ。

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ワイナピチュに登る人を見送り

2016-09-12 07:25:53 | ペルー

★ワイナピチュ山は、マチュピチュ遺跡の後ろにそびえている山。ここに登るためには一日四百人(07:00と10:00に二百人ずつ)の限定チケットを手に入れななくてはならない。急な石段が続く、けっして楽なコースではないので、一般ツアーにはまず入らない。《手造の旅》でも、実際のコース写真をお見せして・昨年小松が自分で歩いた体験もお話しして、各メンバーの体力と相談して、自己決定していただいた。※昨年の様子、こちらからごらんください。


**サンクチュアリーロッジ前の遺跡入口は、早朝に村から上がってくる人で混みあっている。※ここで朝陽を見ようというプランもあったが、実際に行った人の話をきき、ネットも検証してみると、きれいに見える事は少ないようなのでやめておいた。


遺跡の入口へ向かう→ 遺跡入口からいちばん遠いワイナピチュ山への登り口まで歩いていく。ここまででもに十分以上はかかる↓



登山道入口→


でパスポートと名前入りのチケットを照合し、台帳に名前を書く。出ていく時にも書くシステムになっている。



ここからしばらくのぼって道がくだりになったところで、眼前にワイナピチュ山がそびえる↓



ここからワイナピチュ山頂までの高低差は約二百メートル。


我々見送り組はここまで。ちょうど向かい側に見える急な階段を登っていくメンバーがよく見える↓


「がんばれ~」「は~い!」↓



見ている方も登っている気分になる


 山の頂上にはインカの石組が見えている。あそこまで、楽ではありませぬ


向こうからも見送る我々がよく見えていた。登山組が撮ってくれていた写真↓



以下、登山組のカメラより**


このあたりいちばん急で足を踏み外したら転げ落ちてしまいそうな場所↓



★ワイナピチュ山山頂付近は一方通行のトレイルになっていて、昨年まで下りのルートになっていたが、今年から逆になり、登る場所になった。この方が正解ですね。


※こちらに逆回りになる前の写真も載せておきました。


ワイナピチュ山頂



山頂よりは少し下がったあたりの方が、マチュピチュ遺跡をきれいに見下ろすことが出来る↓


 



マチュピチュ村から遺跡入口のサンクチュアリーロッジ前まで続くジグザグバス道も見える↓



・・・この頃、見送り組の我々は、サンクチュアリーロッジの充実した朝食を楽しんでいた・・・次のページにて

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サンクチュアリーロッジからマチュピチュ遺跡へ

2016-09-11 11:12:10 | ペルー

マチュピチュ村から乗り合いバスはジグザグ道を三十分のぼると、サンクチュアリ―ロッジの目の前に到着する。

チェックインは13時からと良心的。 宿泊客用のゆったりしたダイニングは12時に開く。昼食を食べて、一度部屋へ入ってからマチュピチュ遺跡の観光をするとしよう

小松が前菜に注文したのは
●カウサ(ペルー風)~マッシュポテトなのでふつうはこんな色はしていないのだが、サンクチュアリーロッジのものは、アボカドがはいって緑色をしている。 マヨネーズとライムジュースとで味付け。

●マスのグリルはチア(南米のハーブの一種)の種が乗せてある。胡椒とリンゴのソースがおもしろい。


●鱒の身をラップしたもの ●ハンバーガーもひと味違う

どれをとってもさすがサンクチュアリーロッジ。 ゆっくり食事をたのしみたい。

**

三十室しかない部屋はどれもたいして広くはない。コンパクトだが使いやすく整理されている↓

   

**ホテルのすぐ外、シャトルバス乗り場はマチュピチュ村へ降りる観光客で長蛇の列。観光後にこれをしなくてよいだけでもずいぶんほっとする↓

遺跡入口で名前入りの入場券をチェックしてもらい、しばらく歩くと、「あの」景色が見えてきた

急な斜面につくられた街だったのが見学していてよくわかる

精緻な石組の壁と門

●ロナルド君がおしえてくれた面白い話。地下を測定調査したフランス人学者が、黄金が秘められた地下空洞を発見したという。その図解がこれ→ まだ掘る許可が出ないそうだが、あり得ない話ではない。

少しずつ夕方の光になってきた。観光客の数もぐっと少なくなった。

それまで隠れていた動物も姿をあらわす。あ、ウサギ?ネズミ? これはアンデスウサギと通称される●ビスカチャというネズミの一種なのだそうだ↓

インカ時代の水路は今も現役である↓

放し飼いにされたリャマは草刈のかわり?

●マチュピチュ遺跡はハイラム・ビンガムというアメリカ人が1911年に発見したとされているけれど、実は1902年にリマ在住のペルー人がすでに訪れていた事が、近頃確認された。その人物はアウグスティン・リサラガで、自分の名前を「三つの窓の神殿」に署名していった。その場所が、ここ↓

「あれ?署名は?」 なんとハイラム・ビンガムが消してしまったのだそうだ。書かれていた当時の写真をロナルド君が見せてくれた。※こちらに載せました 

**夕方四時半を過ぎて、我々はようやく遺跡の高みに到着した。ここから見える山々をなぞるようにつくられた岩↓ 稜線がそっくり。

「インティワタナ」と言われるこの石の柱は陽時計だとされているが、ほんとうのところはわからない↓

丸い岩のくぼみは、水をためて星を写したと言うが・・・これも本当かはわからない↓

下へ降りると●コンドルの神殿、ここは狭いのでグループがいっぱいの時間帯には入る事ができない

さぁ、そろそろ閉館の午後五時。サンクチュアリーロッジに戻って、夕飯の午後七時半までゆっくりすごそう。

庭に、どっかから迷い込んできたわんちゃんかしらん?

**サンクチュアリーロッジでは、18時からピスコの試飲会、18:30から遺跡についての映写会が行われる。**

ダイニングは19時からオープン。宿泊客だけのための場所なのでこぢんまりしてくつろげる。わざわざミュージシャンもやってきてくれて

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「聖なる谷」からオリャンタイタンボ経由マチュピチュ村の市場へ

2016-09-11 07:13:58 | ペルー

「聖なる谷」のすがすがしい朝。このホテルはゆったりした敷地の庭を囲んでいくつかのコテージ棟が並ぶスタイル。春の朝の光をあびていきいきした花。谷を見下ろす山のその向こうにアンデスの雪の峰も少し見える。



朝食にアンデスらしいイモがいろいろ。これはアピオス種?それともアンデスの乾燥芋チューニョを水戻しして調理したもの?



シリアルになったキヌアは少し甘い味がつけてあった↓



ロビーではコカ茶がふるまわれていた↓


 



このあたりの標高は2900メートルほどだから高山病になる恐れはないが、気になる人はコカの葉を噛んだりお茶を飲んだりする。


**マチュピチュへの列車が出るオリャンタイタンボまでバスで三十分ほど。歩いてみたいような村をいくつも抜けてゆく。日本の農村と雰囲気が似ている気がする↓屋根の上のシーサーみたいな魔よけは牛。



見おろす山々にはインカの遺跡・石組もたくさん見られる↓



オリャンタイタンボとは、オリャンタイ将軍の旅籠という意味だそうな。ここからヴィスタドーム号でマチュピチュ村まで約一時間半、列車の旅


チケットには一人一人の名前がかかれており、いちいちパスポートと照会される。



天井にも窓のある明るい車内。アンデスの雪山が見えてくるのでちょうどよい。



ウルバンバ川と共に、線路はゆっくり高度をさげてゆく


車内で出されたキヌアのケーキ



川沿いにはきちんとした石組の田んぼの基礎?が見られる↓



マチュピチュ村の駅に到着。ずらりと並ぶお土産街を抜け


村への橋を渡る↓



下には温泉からながれてくる川。 もともとここはアグアカリエンテス(熱い水)という名前の村だったのだ。



↑川沿いに並ぶ行列は、マチュピチュ遺跡へあがっていくシャトルバスを待つ人々。ここにならぶと三十分以上は待つだろう・・・村をしばらく徒歩観光することにした


村の中心部は十五分もあればひとまわりできてしまう。ホテルとお土産物屋とレストランがぎっしりならんでいる おもしろいゴミ箱→


中心広場に立つインカ帝国第九代皇帝とされるパチャクティ。マチュピチュという空中都市を建設したとされる↓



この村の初代村長は日本人だったから?→


市場見学、いちばんおもしろい(^^)写真で右の建物→


★市場での模様はこちらからごらんください★


 

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