旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ソラノネ食堂へ

2019-11-23 13:30:00 | 国内
《手造の旅》大津、京都、丹後間人、丹波亀岡への旅 第一日目、

願っていたような青空の下で

自然の恵みいっぱいの食事をいただきました
↓特に、かまどで炊いたこのご飯のおいしさは忘れがたし


**
紅葉シーズン真っ盛りの土曜日。
朝十時の京都駅は歩くこともたいへんな混雑。
タクシー乗り場も長蛇の列↓

有名観光地の状況や推して知るべし…
でも、我々は有名観光地へ行くわけではないから
「一時間半ぐらい、二時間かからずに到着できるでしょう」とドライバーのNさんも思っていたのだが、京都から大津へ脱出してからも湖を右手に北上する道は渋滞・渋滞。

びわ湖の北西部、高島市にある目的地

「ソラノネ食堂」へ到着したのは予定より一時間半遅れて午後一時半になっていた。
山道をくねくねのぼっていくと、突然車が集まっている場所がみえてきて、畑の真ん中に簡素な食堂がある↓

ここをはじめられた岩田康子さんにお会いするのは二度目。
大津、琵琶湖畔の魅力を伝えてくださる人を探してネット検索をするうち「ブルーベリーフィールズ紀伊国屋」を見つけた。
苦労してふたつの農場を拓かれた岩田さんの存在を知って、どうしてもお会いしたくなって出かけていった。
偶然にも、その日に東京日本橋におられたのです(^.^)


そして、今日。
あぁ、こんな青空に恵まれて心から感謝します。
和綿の畑もみせていただけそう。

冒頭のランチは一品一品に工夫がこらされている。
特に↓おからを使ったミートローフは
↓ミートじゃないのにミート以上に満足感があった

かぼちゃにカレーの様な風味を感じたのはクミンがはいっていたから。
そして、卵のおいしさにはびっくり。
「ご希望の方には追加料金で卵かけごはんもできます」と電話で言われた意味が、たべてはじめて理解できた。
かまどで炊いた絶品ごはんといっしょに、是非、次回(^.^)


食事の後、畑を案内してくださる


「自分たちが着ているものがどんなものからつくられているのかを知ってほしい」
ブルーベリーにつづいて、そんな想いから綿栽培をはじめられた。
現代人は「食」と同じように「衣」の根源も忘れているのではないかしらん。

綿畑というと南部アメリカやギリシャのような暑いところで栽培されているのを思いだすけれど、日本でも綿はずっと栽培されてきた。
雨の少ない国とちがって、日本では綿の花も雨を避けるように下を向く種類となる。綿の色も少し茶色い↓

和綿と呼ばれるのだそうだ。
↓これらを摘んで繊維を細く撚って糸にし、それを織って布が出来、やっと衣類をつくる準備がととのう。
手にとって繊維を取り出そうとすると中に種がはいっているのが分かる
これらをひとつひとつ取り出す作業がどんなにたいへんだったか、自分で触れてみてはじめて理解できる。



「良い品をつくりたい」というのは理想。
しかし、安価な商品が簡単に手に入る現代社会においてそれを続けて生きていくのは難しい。
岩田さんがこのフィールドをはじめるとき、支援してくれる企業が必要だと思われた。
その時、偶然に地元の大企業の取締役が同級生にいることがわかり、その人の講演会に出かけていった。
講演が終わり、名刺交換をする男性たちの最後に並んで、自己紹介をし、後日手紙を書くと、すぐに返事がかえってきたそうだ。
話は順調にすすみ、その会社の社員たちが家族ぐるみでこのフィールドにやってくるイベントが行われるようになり、岩田さんの志を支えてくれるようになった。

大きな会社の使命は、大きな会社がやろうとしても出来ない事をする人を支えることにある。

旅の短い時間であっても、訪れたその土地に愛情をもって生きる人の話をきけば、それは一生記憶に残る旅になる。

名所旧跡であることに意味はない。
一番大事なのはそこで出会う人なのだ。
***
夕方の陽になってきた湖岸を南下する

「近江富士」が見えてきた

今晩はびわ湖プリンスホテル泊
夕食はグレードをあげて最上階のフレンチレストラン「ボー・セジュール」にて
お昼とのコントラストもおもしろい
↓この「堀川牛蒡のスープ」にはっとされられた

↓チョイスのシーフード
↓ビーフの方は追加で近江牛に変更もできる


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ブリュッセルは美しい

2019-11-11 22:30:37 | ベルギー


帰国便は(成田への直行便ではなく)夕方発のミュンヘン経由羽田行きにした。その方が一日多く楽しめる。

今日は休日。ホテルをゆっくり出発し、早めのブランチ。
ブリュッセルの南部、カンブレ―の森にあるシャレー・レストランを地元の方にお勧めいただいた。

小さな池の中の島に位置しているので、専用のボートに乗ってゆく


11:30からの二時間制バッフェ。

選ばれた食材がたっぷり並んでいた


レストランを出ると雨になっていた。

往路には跳ねまわる犬と子供たちがいっぱいだった森が静かに濡れている。

ブリュッセルという街のほんとうの美しさはこういうところにある。
魅力的なお店が立ち並び、観るべき美術館と味わうべきレストランがいっぱいで、世界遺産の街並みに世界中からの観光客がシャッターを切る、そんなブリュッセルも悪くはないのだが。

日程表に予定されているガイドブックの写真でインスタントな予備知識をあたえられた場所を訪れても、そこに本当の「旅する喜び」はあるのだろうか?

名前も知らなかった森をこんな風に歩く時間が、「ブリュッセルという街は美しいなぁ」と、記憶に留めてくれるのだ。

**

EUの本部ビルもちょっと見て、ブリュッセル空港へ。


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ベルギー国立美術館と街歩き

2019-11-10 20:20:00 | ベルギー
ベルギー国立美術館というと

まず、ブリューゲルやルーベンスなどを観にいくことになる。
ガイドブックに載っている程度でない、あたらしい研究結果の話をふまえた解説が聞けるのがうれしい(^.^)

↑「イカロスの墜落」は、ずっとブリューゲル(父)の真筆と思われていたのだ。
が、近年X線検査をしてみると、下絵の段階で描かれた点々がたくさんみつかった。
そういう点々は、模写・複製をするときに描かれるものだから、「これはコピー作品?」と疑われるようになってしまった。
※ベルリンにあるレンブラントの「黄金の兜の男」もそんな作品だったっけ



この美術館は地下でつながった新館があって、そちらに近現代の作品が収蔵されている。
一見に値する作品が膨大に所蔵されているのだが、新館はたいていそんなに混んでいない。
そこへ行く途中でやっていた「ダリとマグリット展」は大混雑

そこを抜けると、いつものようにゆっくり楽しめる空いた新館にたどりついた。

ベルギー象徴主義を代表する●ジェームス・アンソールを覚えてもらえたらと思ってお連れした。
彼は、旧ベルギー・フラン紙幣にも載せられていたほどの画家

↑紙幣にも描かれている仮面が彼のトレードマーク

今回の旅で訪れたブルージュから電車で三十分もかからない北海に面した街オーステンデの出身
※今回の旅のブログにリンクします
子供のころから両親と共に住んだ海岸に近い家では、旅行者向けのお土産としてきれいな貝殻も売っていた。十数年前に訪れた時にこんな貝殻が確かにあった。

↓ちょっと不気味に見える仮面なのに、鮮やかな色なので惹きつけられる

↓これはいったい?

※こちらに解説書きました



**昼食の時間を王立美術館のカフェでとった


午後、ブリュッセルの中心部を歩く。
↓世界最初のガラス天上ショッピングアーケード

チョコレート屋さんがたくさん並ぶなかで
↓このワッフル(ゴーフル?)を勧めてくださったのはさすが

ベルギーに近いフランス領リールが本店

砂糖のシャリシャリ感が絶妙なクリームをやわらかいワッフル?生地にはさんであります。
栗のクリーム、ヘーゼルナッツクリームがこの時期限定発売でした。

↓昔のビール「ランビック」を飲ませてくれる地ビール店

いちおう定番の場所も

***
夕食は食堂街から角を曲がってすぐにある老舗レストランへ

入口には肉がさがっておりますが

ホタテのクリームも変わらずおいしかった(^.^)

サカナのカルパッチョムール貝のチーズでオーブン焼き
肉のカルパッチョも
肉ももちろん

デザートに「フランベ」を

定番のダム・ブランシュ↓


ホテルへの帰路、ライトアップされたグラン・プラスへ


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ブリュッセルの夕食、翌日はオルタ邸へ

2019-11-10 08:21:22 | ベルギー
ブリュッセルは高低差がある町。

中心のグラン・プラスは下の町にある。今回のホテルはそこから徒歩一分。

少し休憩してから予約していただいてたレストランへ行くと、二階奥にろうそくが灯っていた


ワイン・バーという名前のとおり、お好みしだい


**
翌朝、休日で空いた道。
最高裁判所のある高台から下の町を見晴らす場所に設置された観覧車でストップ

テラスから遠くに「アトミウム」が見える↓高さ103m

↑1958年の万博モニュメント。
当時、ベルギーのみならず文明を牽引していた鉄という物質の分子構造を巨大化している

↓昨夜のレストランはこのテラスの下あたり

地元民のナビゲートがないとなかなか行けない店だった。
***
オルタ邸のプライベートツアーを予約してもらっていた。

1861年生まれの建築家ヴィクトール・オルタの自邸。アール・ヌーヴォー様式が美しい。
十三年前に訪れた時には内部写真も撮れたのだが、今はきびしく制限されている。
↓十三年前の写真を少し

四十代のオルタはようやく自分の思うような仕事ができるようになった頃だっただろう。
自分が思うような仕事場を、家を、カタチにできてうれしかっただろう。

十代になった娘のために増築したと思われる最上階のウィンター・ガーデン↓

2019年の内装は、よりオルタが住んでいた時代に近づけようとしているが、
後にいろいろな人が住んで改修していったので、オリジナルの様子が分からない部分が多いのだそうだ。

次は王立美術館へ向かいます
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ワーテルロー~ナポレオン百日天下の終わり

2019-11-09 16:00:00 | ベルギー
1815年6月18日、ブリュッセルの南十五キロほどのこの場所でナポレオンの百日天下が終わった。

この緑の丘は五年後の1820年にオランダ王が(当時ベルギーという国はオランダの一部だった)建設させた人工のもの。

↓頂上にはナポレオン軍の大砲を溶かしてつくったライオンが立つ。

英語で読めばウォータールー

二百年前にすでに、激戦を偲ぶ人々が訪れる場所として整備されていたのだ。
二百段ほどの階段でライオンの足元まで登ることができる
頂上から下を見下ろす


白い円形の建物は1911年に完成。
激戦の様子をわかりやすく見せてくれるパノラマ絵画館↓

高さ十二メートル、長さ百十メートルの巨大油絵である。




**
2015年、この地下に最新の博物館が建設された。
アンシャン・レジウム、フランス革命からナポレオンの登場、順を追って解説される

トラファルガーの海戦
ロシア遠征
1814年の4月に退位させられ地中海の島に幽閉されたが、一年後に脱出しパリを目指す
↓カンヌ近くに上陸してからパリまでの日々が、日を追って解説されている↓

パリのルイ十八世(ルイ十六世の弟)は討伐軍を派遣するが、グルノーブル近くのラフレーの野で討伐軍がそっくりナポレオン側に寝返ってしまう↓戦わずして悠々とグルノーブルに入城するナポレオン↓

ルイ十八世はゲントに逃亡し、世に言う「ナポレオンの百日天下」がはじまったのだが…
それにまったをかけるイギリス、プロイセンなどの勢力と、ここワーテルローで最終決戦となった。
↓戦いの前夜、合議するナポレオン側の将軍たち↓


激戦は実質三日間で終わった。

2012の発掘調査によって発見された一兵士の骨↓

装備などからイギリス側だったと判明。戦いのはじめごろにフランス側の弾によって倒れ、友軍が埋葬した形跡があったそうだ。
身元を調べる努力もされたがわからなかった。
彼の骨をこうして博物館に展示するべきか、議論はあったが結局このかたちになった。


ブリュッセルに向かおう

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