特製鶏つけそば・あえだま
を頂く。
昆布水初めてだ。
なるほど。
確かに昆布水といいようがないほど
昆布水だ笑。
しかも冷え冷え。
エッジのある細麺の歯応えに
まずは驚かされる。
冷水でしっかりしまった細麺を
熱々の濃口醤油にくぐらせて頂く。
特製だけあって
2種のチャーシューに
煮卵、ワンタンと
具沢山なのはありがたいが
お椀が蕎麦チョコサイズのため
いかんせん食べ辛い。
つけ汁も安くないんだぜ。
ってことか。
具は別盛りでもよいのかも。
おっと
和え玉の食券がスッと取られたと思ったら
きのこ風味の和風カルボナーラ麺がでてきた。
鶏そばとは全く別物で
なんて贅沢な時間。
最後に昆布水でスープ割。
これがまた山形冷やしラーメンのようで。
ガラリと別物になる。
昆布水、つけ麺、和え玉、スープ割と
1店で4回楽しめる。
楽しいラーメン屋。
ちなみに表通りに入口があるが
実際はマンションの裏口から並ぶ。
近所の系列店も大行列。
せっかく大口まで来たので
ついでに東海道3番目の宿場町
神奈川宿を目指してみる。
まずは国道1号線から
京急神奈川新町車両基地を渡り
国道15号線へでる。
なお、国道1号線が第二京浜で
国道15号線が第一京浜というややこしさ。
幕末に開港されたのが横浜ということで
この辺りの寺院は少なからず開国の影響を受けており
こちらの良泉寺さんは幕府に接収されて
領事館にさせらせそうになった折
屋根を引っぺがして「修理中だおらぁ!」
と強引に断ったそうな。
また、こちらは神奈川宿の高札場の再現。
さらにこちらの成仏寺さんはアメリカ人宣教師として接収され
ヘボン式ローマ字で有名なヘボンさんもこちらに滞在した。
余談ながらヘボンさんを現代読みすると
ヘップバーンさんとなる。
また、ヘボンさんは明治学院大学の初代総長だったり
生麦事件で切り付けられたイギリス人商人ご一行の手当てをしたりと
歴史に残る大活躍をしている。
このように第一京浜と第二京浜の間には
開国時のの動乱がつまっており
神奈川宿歴史の道として整備が進んでいる。
ただどれも単発でエリア全体の案内がないので
ハシゴして楽しむには物足りない。
スタンプラリーとは言わないけど
もうちょっと工夫がほしい。
こちらは青木川沿いの神奈川宿本陣跡。
坂の途中の宗興寺ではヘボン博士が診療所を開いていたのだそう。
ずんずん進んで横浜も近づいたころ
横浜と神奈川宿の境ともいえる権現山に到着。
権現山は今は平たく小ぶりだが
その昔は京急・JRを跨いだ
西側の高台までつながっていたとか。
京急神奈川駅出口の甚行寺は
フランス領事館が置かれた寺。
あのフランス公使ロッシュも滞在したのだろうか。
線路を跨いでさらに西へ進み。
高台の本覚寺へ。
こちらは各領事館になった寺の中でも
ずば抜けた高台にあり
とにかく景色が素晴らしい。
通勤には坂道がネックになるが港の様子を伺うには
これ以上にない立地。
山門を白いペンキで塗ってまでこちらに居を構えたその国は。
はい、そうです。
アメリカ合衆国です。
イメージ通りで笑っちゃう。
前述の通り境内からの眺めが素晴らしく。
ベイブリッジから新横浜まで
手に取るようにわかる展望が売りの良物件。
最後に本覚寺を下りて
第四の宿場町保土ヶ谷宿を目指す
細い坂道を歩く。
この辺りの左側際まで波打ち際だったらしい。
東海道は本当に海沿いの道だったんだな。
幕末はこの道の海側に茶店が軒を連ねていたらしい。
そんな中ひときわ目を引くのが
こちらの田中屋さん。
なんといっても坂本龍馬の妻
「おりょう」が働いていたという由緒が
歴史好きの気持ちいところをくすぐってくれる。
訪問した日も結納が行われており
文久3年創業というのは伊達じゃない。
周囲をマンションで囲まれ
幹線道路が変わっても
紡がれる歴史。
すばらしいことだ。
旧東海道の山側は台町と呼ばれる
高台になっており、
横浜居留地への侵入を試みる志士を摘発する
関所もかつては設けられていた。
今は見るからに高級住宅街で
フラワー緑道なるトンネルがあるなー
と思っていたら
旧東急東横線の軌道跡だった。
旧東急東横線の