kotoba日記                     小久保圭介

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文学の役割(木村友祐の言葉)

2019年08月31日 | 生活
昨日か一昨日の
中日新聞
『大波小波』
の記事が目を引いた
切り抜きしたけれど
どうぜまたどこかになくしてしまうので
ここに書き写したい




芥川賞候補となった社会学者古市憲寿の『百の夜は跳ねて』に対する選考委員たちの厳しい選評(『文件t秋』9月号)が話題になった。古市は参考文献として、同じビルの窓ふきの仕事を主題とする木村友祐の小説「天空の絵描きたち」(『文学界』2012年10月号)を挙げたが、その利用の仕方に疑問が示されたのである。その是非は今は問わない。
 むしろ私がハッとさせらたのは、木村の次の言葉だ。「この件に関しては、『無名』の僕のことを心配してくださるより、また小説云々より、街を歩いていて見かける、ガラスの反射熱を浴びながらビルに張り付いて窓を拭く人たちに想いを寄せてくれた方が、うれしいです。こんなに機械化が進んでも、窓拭きは人力で、今も時には人が亡くなります」(本人ツイッターから)。
 目線が違う。文壇やネットという「コップの中の嵐」よりも大事なものがこの世界には山ほどある。そう極端に言えば、木村にたしなめられるかもしれない。だがかつての文学者たちの覚悟を思い出す。小説など滅びても構わない。苦しむ人々がもはや文学に救いを求めずに済むような現実が実現しさえすれば。文学がその絶頂の力で役立ってくれるなら…。


------

この記事を読んで、
久しぶりに切り抜きたいと思ったのは、
まず

① かつての文学者たちの覚悟の詳細と、その氏名に興味があったから。

② 苦しむ人々がもはや文学に救いを求めず、が究極に良い。という記述。これはドキッとした。今、文学に代わる媒体として、苦しむ人々が何に救いを求めるか。
まず、マンガ、アニメ、ゲーム、ハウツー本、映画、音楽、歌、歌詞。
そして先に記述した、相田みつお、ひろはまかずとしさんたちの短い語句である。
判りやすく、すぐに胸に飛び込み、苦しむ人を救っているからこそ、たくさん相田みつお、ひろはまかずとしさんたちの、絵と言葉は売れるのだ。求められている。現代に。

③ 高田渡さんというフォークシンガーの言葉「歌わないことが一番良いんだ」
と通底している以前の文学者たち。



つまり乱暴な言い方をすれば
書き写した記事の内容は
名もなき民の苦しみの目線である。
古市さんは古市さんで本当に聴覚障害者のために
ラディカルで大事な仕事をしているし、
それをふくめて古市さんを批判するつもりはいっさいない。

ただ、文学の役割が、現在と以前では違ってきているということ。
記述の中で「文学に救いを求める」
とある

そこにもう一つ書き加えるとしたら
高橋源一郎が以前言っていた言葉だ
「文学に救いを求めるなんて甘いですよ」
それは一般読者に向けて発されたものだと思う。
そして書き手の意識のあり方としても
今一度、言っておかなければいけない
という危機感からだろう。

ここがラディカルな源一郎の立ち位置である
すでに苦しみから救う文学が終わり
違う媒体があふれた時
文学はどこへ行くのか
という命題を含んでいる

それは言葉以外
何もない

言葉の運動性と身体性に
文学の新たなというか
非社会的な役割がある

それは
言葉そのものの
現象であり
面白さ

なんだろうな
と思う

文学の黄金期は過ぎ
今は言葉の世界だ
詩人 最果タヒに代表される
言葉の運動性と
感覚だ
そして
くどいようですけれど
身体性という実感

理と情を考える
理には情を
情には理を

高橋源一郎と谷川俊太郎の対談で
かなり前の新聞で
「これから言葉はもっと短くなる」
という記事があった
ツイッターをはじめ
本当にそうなってきている
もう長い文より
短い文を先に読む
それは誰しも実感があるのではないだろうか

けれど長い文でしか現わせないという
ことも当然だけれどある
論文がそう
理には明晰なディティールが必要であり
でなければ
理にはならず
題になる


源一郎のラディカルな発言を承知した上で
「言葉を持たない者たちの通訳者」
と言った津島祐子の言葉を
わたしは今でも信じている









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『3つ良い事』運動推進本部室より

2019年08月31日 | 生活
人間はひまになると
いろいろ
暇つぶしを探すみたいです


最近
面白いアプリを見つけた
というか
教えてもらった
「寝言、いびき」アプリ。

寝る前に頭の近くに置いておいて
スタートボタンを押すだけ

いやあ驚いた
寝言、言ってる
ただ何を言ってるのかは不明
いびきはあまり聞こえない
もっといびきが酷いと思っていたので
ホッ
いや
アプリが拾っていないだけかも

それにしても
いびきと寝言を言っている
時間帯がそれぞれ表示される
朝まで録音しっぱなしでも
電源はあまり減っていない
iPhone専用アプリが断然多いけれど
androidもあるので
助かった

寝言はわたしの場合
寝てすぐに言って
朝まで無言
夢は見てるんだけどなあ

今朝はビートルズの夢を見た
何故だかまったくわからん
無意識にもない古い知り合いが出てきたり
夢ってなんか浮「わ~

最近

歌が鳴っている
寝る前に
ライブ映像を見ているから
昨日一昨日はあの歌
今日はあの歌
楽しい

労働している時は
ほぼ労働の夢
嫌になる
寝ても醒めても
ってうんざりする

今は
というか
最近は悪い夢はなくて
良い夢もなくて
わけわからん夢ばかり
夢診断とかしたりするけど
あれもアテにならない

夢見ない
熟睡してないんじゃないの?
と言われると
なんか
損してる感じ
8時間寝ないと
あかん体
やっぱ
睡眠が浅い
と思う
6時間でも
最近はキツイもんなあ

目覚めは悪いけれど
朝シャンの習慣を取り入れてから
スッキリ爽やか
ひどいことばかり続く夏だけど
いい事もある

3つ良い事
ということも
いぜん
思った
寝る前に
今日も散々だったけれど
辛く苦しく悲しく寂しくきつい1日だったけれど
3つくらいいいことがある
と思って
3つ思い出して
寝る時があった

オムライスがおいしかった
とか
雨に降られなかった
とか
自転車で坂をのぼることができた
とか

些細なこと

落ち込む時
昨日あった良い事を思い出す
落ち込むまでの良い事3つを
思い出す
すると
3つどころじゃない
たくさんいいことがあった
それは本当に些細なことだけど
それがたくさんあれば
幸せな気分になってくるから
不思議

落ち込みを
いい事で塗り替える
塗りつぶすのだ

これはけっこう
マインドコントロールとして
たいてい
うまくいく
我ながら
たいへんな生き方してる
こんなこと
書いてるんだしね

『3つ良い事』
のヒントは
以前
絵葉書をもらった時からだった
そこには絵と
文字があった
「星の数ほどの恵みに今日も感謝」
その絵と言葉を書いた人を調べると
蒲郡市に住んでいて
開放されているギャラリーもある
早速行ってみた
蒲郡で降りて
山をのぼってゆくと
その作者、
ひろはまかずとし氏

作品が山ほどあった
BGMはハンバートハンバート
類は類だな
と思いながら
見ていた

当時は
なんか凄い感動して
胸に宿った



「星の数」ほどないと思うけれど
3つくらいならあるだろう
と思ったのが
きっかけ

今となっては
本当に星の数ほど
かもしれない

村上春樹も
ずいぶん前
『小確幸』ということを言っている
つまり
小さな幸せの集まり
みたいな感覚が大事
って

なんだ
おんなじことじゃねーか
と思った

3つ良い事
寝る前に
お試しあれ
きっとあるよ



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