毎年、約100万人から120万人の新生児が誕生しており、そのうち約1万人の人が出生前診断を受けている。
出生前診断に基づく人工妊娠中絶は、障害をもって生まれてきた方々への差別につながるのではないかが懸念されている。
これとは逆に、出生前診断をしなかった結果あるいは出生前診断を誤った結果、本当なら苦しい人生を生きずに済んだ人生を生かされることになった障害者の権利の侵害という面も考慮する必要があるという意見もある。
出生前診断に基づく人工妊娠中絶を認めることは、懐胎者・配偶者に胎児を出生するかどうかの権限を与えることを意味する。
懐胎者・配偶者は、障害をもつ子を育てていく必要がある。
現在の日本は、障害者をもつ家庭を援助する体制が整えられているとはいえない。
障害者をもつ親は、多くの負担とリスクを背負うことになってしまう。
また、両親・親類が亡くなり、障害者が1人で生きていかなければならない状況に置かれたとき、サポート体制が充実していない現状では、障害者もかなりのリスクを背負わざるをえない。
イギリス、スウェーデン、フランスなどでは、人工妊娠中絶を認めている。
現在のわが国の障害者に対するサポート体制が発展しない限り、懐胎者・配偶者に胎児を出生するか否かの権限を与えることもやむを得ないのでは。
誰もが安心して子どもを産み、育てられるか。
万人を等しく受け入れ、共生の精神に満ちた社会となっているのか。
社会のありようが問われている。
国や地域を挙げて考えるべき課題はむしろ、そこなのではないだろうか。