熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「ブロークン・フラワーズ」

2006年05月13日 | Weblog
ビル・マーレイは、いつのまにこんなに渋くなったのだろう。少なくともここ数年、例えば「ロスト・イン・トランスレーション」や「ライフ・アクアティック」でもいい味を出している。

この作品のタイトルが意味するのは、かつては美しかったが、もはや枯れてしまった恋愛、その相手、自分自身、といったところだろう。作品のなかで主人公ドンの家のリビングに飾られた切り花が時間の経過とともに無惨な姿に変容していく様が印象的だ。

何事にも始めがあり終わりがある。過ぎてしまったことを悩んでみても始まらないし、やり直そうと思ってやり直せるものでもない。時間の経過とともに、状況は刻一刻と変化する。同じ時間を歩もうとするなら、今、この瞬間を共有していなければ、あっという間に別々の世界に入り込んでしまう。

ドンは仕事で成功を収め、何不自由無い生活をおくっている。若い頃には浮き名を流し、最近まで同棲相手もいた。しかし、仕事に成功したことも、色恋沙汰も過去のことである。彼の今は何をするでも無く陰鬱にすら見える。一方、隣人のウィンストンは大勢の子供をかかえ、仕事を3つも4つも掛け持ちして今を生きるのに忙しい。生活に追われているのだが、楽しげである。この対比も興味深い。

人生を愉しむのに必要なことは、目の前にいる人や物事に対する飽くなき好奇心なのだろう。しかし、それは誰もが持つ能力ではなく、ある種の才能でもあるような気がする。