武相荘に行って来た。もともと農家であった廃屋を白洲次郎氏が買い取って自宅にしたのだそうだ。以来、自分の手で改築を続けながら暮らしていたという。
農家は、そこが生活の場であり、職業の場でもあったため、機能的な造りになっている。躯体は頑強で、間取りはシンプルだ。縁は家の中での生活と外界との間の距離を適切に保つ。庇が深く、夏涼しく冬暖かい。難を言えば、屋内が暗いことだろうか。尤も、農家で暮らす人々は、陽が出ている間は農作業をしているので、日中の屋内が暗いというのは全く問題にならないはずだ。
武相荘は、もとの間取りを活かしながらも、土間を洋間に改装し、蚕室を部屋に改装してある。それほど大きく手を加えなくても快適だったのだろう。白洲夫妻はともに、ここを生活の拠点とし続けたという。都心までは、かなりの距離だが、それでも住み続けたのは、この家の住み心地がよほど気に入っていたからなのだろう。
そのように長くつきあうことのできるものに出会うことができるというは幸せなことだとおもう。それが物であれ、人であれ、全てが移ろい易い浮き世にあって、変わらぬ安心感を得る対象があるということは希有なことだと思う。白洲氏は「プリンシプル」を重んじたそうだ。生き方の支柱となる原理原則をしっかりと持った人には、安心してつきあうことのできる物や人との縁があるのだろう。
農家は、そこが生活の場であり、職業の場でもあったため、機能的な造りになっている。躯体は頑強で、間取りはシンプルだ。縁は家の中での生活と外界との間の距離を適切に保つ。庇が深く、夏涼しく冬暖かい。難を言えば、屋内が暗いことだろうか。尤も、農家で暮らす人々は、陽が出ている間は農作業をしているので、日中の屋内が暗いというのは全く問題にならないはずだ。
武相荘は、もとの間取りを活かしながらも、土間を洋間に改装し、蚕室を部屋に改装してある。それほど大きく手を加えなくても快適だったのだろう。白洲夫妻はともに、ここを生活の拠点とし続けたという。都心までは、かなりの距離だが、それでも住み続けたのは、この家の住み心地がよほど気に入っていたからなのだろう。
そのように長くつきあうことのできるものに出会うことができるというは幸せなことだとおもう。それが物であれ、人であれ、全てが移ろい易い浮き世にあって、変わらぬ安心感を得る対象があるということは希有なことだと思う。白洲氏は「プリンシプル」を重んじたそうだ。生き方の支柱となる原理原則をしっかりと持った人には、安心してつきあうことのできる物や人との縁があるのだろう。