熊本熊的日常

日常生活についての雑記

飲めや歌えや

2008年07月08日 | Weblog
洞爺湖サミットが開催されている。日経のネット版に「「豪華ディナー食べ食料危機語るとは」英各紙、G8首脳批判」という記事が出ていたので、その記事のなかに言及されていたインディペンデントとタイムズを買って当該記事を確認した。サンの記事についても言及されていたが、この新聞の記事は気にする必要がないので無視した。

インディペンデントは、私が手にした版では、8ページ目のほぼ9割をサミットの記事に充てていた。尤も、その半分は首脳夫人が並んで座っている写真であり、記事の量はたいしたものではない。タイムズはG8の記事として18ページと19ページを見開きで使い、18ページは英国関連の内容で、19ページが晩餐会についての記事だ。晩餐会の記事は半分が写真であり、御丁寧に晩餐会のメニューとワインリスト、そのメニューに対する栄養士のコメントが載せてある。そうした記事の要旨は、日経が書いているように、飢餓問題を討議するのにこれほど贅沢な食事をしていてよいのか、というようなことだ。英国での報道にはよく見られる書き方だが、やたらに金額の記述が登場する。何にいくら使った、その金があればこれだけのことが出来る、云々。この国の人は金にうるさい人が多いのだろう。確かに、金勘定をしっかりやらなければ、あれだけの大植民地帝国を築くことはできなかっただろう。

政府という公共の組織が資金をどのように使うかということは、正確かつ公正に公開され、国民の評価に晒されなければならない。しかし、サミットについて記事にすべきは、晩餐会の食事の話ではないだろう。宴会の写真に半面を割き、残りの半面を5段に切り、このうちメニューに1段、栄養士のコメントにも1段を使う。これが「Quality Paper」と呼ばれる新聞の紙面である。これを読む国民の知性の「Quality」が窺われるというものだ。こうした記事に続いて、インディペンデントでは、Thought of the dayという論説記事につながり、タイムズではジンバブエの現状に関する記事につながる。どちらも総じて情緒的な記事であり、語るべき内容があるとは言えない代物だ。紙やインクをはじめとして、記事を書き新聞として発行に至るまでに消費する莫大な物資には考えが及ばないらしい。その物資やコストでもっと意味のある紙面ができるのではないか。

勿論、新聞社は私企業なのだから、コストをどのように使おうが株主や債権者が気にすればよいだけのことかもしれない。ただ、報道にも伝えるべき内容というものがあるだろう。限られた紙面、時間枠で日々刻々と生起する出来事のなかから、何を読者に伝えるべきなのか、これらG8の記事にはそうした視点が感じられない。万が一、このような記事を書いている記者が環境負荷の大きな体型だったら、それこそ茶番だろう。

そんな歯牙にもかからぬ話を「英各紙、G8首脳批判」などと紹介する日本の新聞はどれほどのものなのか。新聞や雑誌の発行部数が低迷を続けて久しいが、内容がないどころか無責任なのだから、読者が離れるのは当然というものだろう。