熊本熊的日常

日常生活についての雑記

備忘録 Paris 1日目

2008年07月26日 | Weblog
午前5時半、London St. Pancrasの自動発券機で乗車券を受け取る。ユーロスターのウエッブサイトや印刷したメモには、遅くとも発車時間の30分前までにはチェックインを済ませるようにとの注意書きがある。それで、余裕を見て駅までやってきた。いざ来てみると、特に時間がかかりそうなことは何もない。駅中のカフェで発車時刻の1時間前まで時間をつぶす。

改札からセキュリティチェックと入国審査を済ませるまで10分もかからない。フランスへの入国審査は、ここロンドンで行われる。つまり、パリ行きの列車のなかは既にフランスなのである。ブリュッセル行きの列車は、やはりここでベルギーの入国審査を済ませるのだろうか? 乗車開始は出発時刻の20分前である。それまでやることがない。

以前、ユーロスターに乗った時は、座席が大きいと感じたが、今にして思えば、あれはファーストクラスだった。スタンダードクラスの座席は新幹線の普通車とたいして変わらない。車内はほぼ満席。

ロンドンを出発すると間もなく、列車はトンネルに入る。ユーロスターが運行を始めた時、フランス側は専用線が整備されており、開業当初から所定の営業速度での運行が行われていたが、イギリス側は専用線の整備に手間取り、在来線の線路で運行されていたので、計画通りの高速運転ができなかった。昨年の11月に、ようやくイギリス側の専用線が完成し、計画通りの高速運転が可能になった。現在はロンドンとパリの間は2時間20分ほどで結ばれている。東京と大阪という距離感である。

英仏海峡トンネルはさすがに長い。海底部分の長さは世界一だが、トンネルそのものの長さは青函トンネルが世界一である。ロンドンを出発して1時間ほどでフランスに上陸する。

フランスに入ると、車窓には果てしなく広がる小麦畑が広がる。既に収穫は終わっており、ところどころに藁の束が転がっている。イギリス側は思いの外うねうねとした地形である。こうした地形の違いも、そこで暮らす人々の気質や考え方に影響を与えるのだろうか?

パリのGare du Nordには定刻通り現地時間の午前10時17分(イギリスとの間に1時間の時差がある)に到着した。ここで今日最初の問題が発生した。駅に着いて、構内の地下鉄の表示に従って歩いて行くと、案内所兼出札窓口があった。そこには長蛇の列ができていた。私はまず、ユーロスターの切符をネット上で予約する時に同時に予約した地下鉄乗り放題券と博物館美術館見まくり券を受け取るために、Tuileriesという駅の近くにある旅行会社の事務所に行かなければならない。そのTuileriesまでの切符を買わなければならないのである。最初、切符の自動販売機で買うことを試みた。しかし、すぐにやめた。表示がフランス語だけなのである。つまり、出札窓口に並んでいるのは、私のような訳の分からない連中なのである。列は容易に進まない。

40分ほど並んでようやく地下鉄の切符を手に入れた。1.6ユーロである。地図を見ると、Gare du NordからTuileriesまでは何通りかの行き方があるが、どれも1回は乗り換えが必要である。まずはB線かD線でChatelet Les Hallesへ行き、そこで1号線のChateletへ徒歩で移動して、1号線に乗りTuileriesで下車するというルートを考えた。今日2番目の問題はB線あるいはD線のどこ行きの電車に乗るかということである。もちろん、駅構内には至る所に案内表示がある。しかし、フランス語で書いてあるので、私には皆目わからない。駅員に聞こうにも、その姿が見えない。とりあえず、B線とD線が発着してるホームに降りてみる。ホームのなかほどに案内所があり、そこのオネエさんにテユイルリーに行きたいんだけど、と英語で尋ねて教えてもらう。その案内所のある隣の42番ホームへ移動し、電車を待つ。ここはD線のホームで、ユーロスターの車窓から見えていた二階建電車が発着している。B線とかD線というアルファベットの線は地下鉄ではなく、郊外へ向かう路線で、市内の一部が地下になっているらしい。来た電車に乗り、次のChatelet Les Hallesで下車、地下鉄1号線に向かって徒歩で移動。これは大手町で丸ノ内線から都営三田線に移動するようなものである。ここでLa Defense行きに乗る。Tuileriesは出口が一箇所しかないので、迷うことなく外に出て、旅行会社の事務所でチケットをもらい、再び1号線で1駅だけ移動。今受け取った地下鉄乗り放題切符が機能するのかどうか確認する。

地下鉄の出口から外に出ると小さな広場になっており、企画展の垂れ幕が下がった大きな建物がある。これがルーブル美術館だ。大きな壁のようにRue de Rivoli沿いに建物がずっと続いている。この道を渡り、建物の入口に入る。中に金属探知装置を備えた区画があり、そこで荷物の検査を受けて、地下へ向かうエスカレーターに乗る。降りたところが、ガラスのピラミッドの下で、そこにはチケットの販売窓口や案内所、売店やレストランなどがあり、大勢の人が往来している。今、11時半である。とりあえず、カフェの外にあるサンドイッチ類を売っているところでバゲットのサンドイッチとミネラルウォーターを買い、案内所で日本語の地図をもらい、建物の外、ピラミッドの広場に出る。まずは腹ごしらえである。

ルーブル美術館はリシュリュウ翼、シュリー翼、ドゥノン翼の3つの建物で構成され、建物はつながっている。リシュリュウとシュリーは半地下階から3階まで、ドゥノンは2階までが展示会場になっている。これを3階から下へ向かって歩くことにした。

食事を終え、再び手荷物検査を受けてピラミッドの地下に行き、そこからリシュリュウの入口を通って、エスカレーターで3階まで上がる。最初はオランダ、フランドル絵画である。

絵画に限ったことではないが、本物を鑑賞することに勝るものはない。いくら優れた印刷によって作られた画集でも、本物だけが持つ妖気のようなものを伝えることはできない。音楽にしても、いくら立派なオーディオ装置を揃えてみたところで、生の演奏を聴いた時の、心まで揺れるような感覚を味わうことはできないだろう。自分で体験し、経験として了解されたことだけが自分の血肉になるのである。

展示会場に入ると、いきなり大きな作品が並ぶ。そうしたなかで存在感を放っているのはフェルメールの小品2点である。「レースを編む女」と「天文学者」が並んでいる。フェルメールというと室内という限られた空間を余すところ無く使って登場人物の心象を表現するというイメージがあるのだが、これらはまさにそういう作品である。特に、「レースを編む女」は画面の焦点を甘くしてあるのに、表情まで見えているかのようだ。

焦点が甘い、というのとは逆にヤン・ファン・エイクの「宰相ニコラ・ロランの聖母」は「天文学者」よりひと回り大きい程度なのに、遠景の細部に至るまで緻密に描かれている。いかにもひとつひとつのものに意味がありそうだ。緻密さの背景にある考え方は、世の中のすべてのものは神の創造物であるから心して扱わなければいけない、ということなのだそうだ。そういえば、イスラム世界に見られる細密画もそういう意味があるのだろうか?

レンブラントというのは美術館泣かせの作家なのではないだろうか。画面が暗く、しかも大型の作品が多いので、壁にかけた時に天井の照明が反射して肝心の絵がよく見えないのである。しかし、この暗さによって光を描くという発想は、当時としては画期的だったのだろう。

ルーベンスの作品も数多く展示されているが、ある一室はルーベンスの連作「マリー・ド・メディシスの生涯」のために使われている。これはブルボン朝の創始者アンリ4世の未亡人であり、摂政であったマリー・ド・メディシスが、竣工間もないリュクサンブール宮殿の西翼ギャラリー装飾のために発注したものである。部屋の全壁面を使って自分の生涯を表現しろというのである。ところが、これは一枚縦4メートル横3メートルのサイズの絵を24枚であり、当時の決まり事として、このような大画面は歴史画に限るというものがあったという。そこで、ルーベンスは古典文学や神話に登場する場面を組み合わせてこの作品を完成させたのだそうだ。しかし、おそらくルーベンスを悩ませたのは、凡庸な人物を劇的に描くことではなかったか。このマリー・ド・メディシス自身は歴史の中に登場するような業績は何もないという。しかも、息子であるルイ13世から追放され、各地を転々としたあげく、ケルンで69年の生涯を終えたという。古今東西どこにでも根拠の無い自信に満ちあふれている人というのはいるものである。王大后という地位は、たまたま亭主が国王で息子がその後を継いだからそうなっただけのことであり、彼女自身に才覚があったわけではないのだろう。息子ルイ13世が国王に即位したのは彼が8歳の時であったが、やがて成長すると好き勝手をしている母親が疎ましくなったということではなかったのか。しかし、発注者はどうあれ、ルーベンスはこの作品で画家としての地位を確立したと言えるものである。その意味では、マリー・ド・メディシスは非凡な女性だった。

フランス絵画のコーナーに入って最初に目を奪われるのは「ガブリエル・デストレ姉妹」である。16世紀末に描かれた作品で、入浴中の若い女性の姿である。片方がもう片方の乳首を指でつまんでいるのである。たまたま芸術新潮の6月号で横尾忠則の特集があり、横尾の作品のなかにこの作品をモチーフにしたものがあった。それはともかく、ここに込められた意味はいろいろあるのだろうが、ビジュアルとして面白い。

フランス絵画のコーナーはリシュリュウ翼の一画からシュリー翼へとつながる。シュリー翼に入ってほどなく、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品が並ぶ部屋がある。ラ・トゥールもレンブラントと同じく、闇によって光を表現した作家だ。確かに「聖なる火を前にしたマグダラのマリア」は印象的な作品である。しかし、ここで圧倒的な存在感があるのは「いかさま師」である。とにかく、目玉がすごいのである。これは実物を見ないことには感じることのできない迫力がある。カードゲームをしている2人とディーラー、給仕の姿が描かれているのだが、ゲームに夢中になっている青年がカモで他の3人が悪党というのが一見してわかる。目は口ほどに物を言い、というが、悪党の目の表現が凄まじい。この作品はカラヴァッジョの「いかさま師」に影響を受けているらしいが、背景を漆黒の闇のような黒にしているので、カラヴァッジョよりも悪党の悪党らしさが一層際立っているように見える。画面を見た時に、より悪党の目が際立つということだ。

フラゴナールの作品もまとまって展示されている。この作家の時代、18世紀後半になると、無理矢理に神話の題材に結びつけることなく女性の裸体像を描くことができるようになったのだそうだ。しかし、まだフラゴナールには女性を描くことに躊躇というか遠慮のようなものがあるように感じられる。

女性の裸体像が素晴らしいのは、アングルである。シュリー翼に展示されている「トルコの浴場」や「グランド・オダリスク」を見ると、女性の肌を美しく描くことへのこだわりが伝わってくる。だから、裸体ではなくても色香が漂うのであるドゥノン翼のほうに展示されている「リヴィエール嬢」のモデルは13歳の少女だが、まさにこれから匂い立とうとするその寸前の、蕾の美しさがある。

コローやミレーは、こうしてたくさんの作品を前にすると、その良さが改めて認識される。ミレーの「母親の用心」という作品には心惹かれた。

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*** 引き続きルーブルに関する本文作成中 ***
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小説や随筆を読む楽しみは、そこで語られていることに、それまでの自分の経験の何かしかを重ねてみて、そこに心の揺れのようなものを感じることにあるような気がする。絵画の場合は、暗黙知の部分で作家と通じ合うものがあるとき、その作品と向かい合う喜びがあるのだと思う。勿論、絵画には様々な約束事があり、そうしたものへのリテラシーがなければ、誤解に基づく出会いということになる。しかし、それもまた、人生の現実と符号するのではないだろうか。我々が他者と出会い、そこから関係が生まれるとき、どれほど相手のことを理解しているだろうか。あるいは理解しようとしているだろうか。そもそも我々はどれほど自分自身を理解しているだろうか。

一枚の絵を前にしたとき、画面に描かれているものに対して何かを感じることもあれば、その画面の描き手の心情に思いを馳せて感じることもあるだろう。人生の豊かさというのは、そうした心揺さぶられる経験をどれほど積むことができるかということにかかっていると思う。

閉館時間が間近に迫り、人々が出口へ向かって流れ始める。その流れに乗って、ピラミッド直下の螺旋階段を登り外に出る。時刻は17時45分。まだ陽は高い。

予約しておいたTimhotel Palais Royal Louvreはここから歩いて10分ほどのところにあった。チェックインを済ませ、部屋で30分ほど休む。小さなホテルで、部屋の入口のドアに貼ってある非常口の案内図によれば1フロアに6部屋しかない。何階建てか数えてみなかったが、私の部屋である204号室のある階(日米風の数え方では3階)が建物のまんなかあたりであるようだ。

どこかで晩ご飯を食べ、日が暮れるまで散歩をしようと思い、外へ出る。一人で旅行することの良い点は、自分の好きなように行動できることである。もし、同行者がいたら、今日のように美術館に入浸っていることなどできないだろう。しかし、食事に関しては、同行者がいたほうがよい。選択肢が広がるし、食事に会話は必要だろう。

一人で外食をしなければならない場合、東京なら大戸屋あたりに行くのだろうが、海外の場合は中華料理屋に入ることが多い。味に関してハズレが無いこと、メニューを見て料理が想像できること、比較的空いている店が多いこと、というのが中華料理屋を選択する主な理由である。尤も、肝心の中国には、仕事以外で行ったことがないので、味の比較のベンチマークは日本にある中華料理屋というのは少し寂しいことではある。それでも敢えて結論を言えば、中華はどこも中華である、ということだ。今日は宿の近くでみつけた香港酒家という、どこにでもありそうな名前の店に入った。いただいたのはセットメニューから、中華サラダ、飲茶盛り合わせ、焼きそば、ココナツ餅である。

腹が膨れたところで、ユーロスターが発着するGare du Nordへ向かう。道順と所要時間を確認し、明日なるべく多くの時間を美術館で過ごすことができるようにするのである。

土曜の夜、といってもまだ明るいのだが、これほど電車は混雑するものなのだろうか。それくらい人出がある。それと、昼間は見かけなかった警察官の姿が目立つ。やはり、ひとの集まるところには犯罪がつきものなのだろう。

その後、ルーブルに戻る。美術館は既に閉館しているが、中庭は公開されている。そこを通り抜け、セーヌ川にかかる歩行者専用のPont des Artsという橋を渡る。橋の上は、まるで花見の宴会のように、大勢の人たちがシートを広げて持ち寄った酒を飲みながら楽しげに語らっている。ここから眺めるシテ島は夕日に照らされて美しい。シテ島のほうでも夏の夕日の下で宴会をしているらしく、川岸に大勢の人の姿が見える。川を渡った後、そのシテ島の方へ川沿いの道を歩いていく。だいぶ日は傾き、ノートルダム寺院が黄金色に輝いている。古来、多くの絵画や写真のモチーフになっているが、たしかに絵になる風景だ。日が沈む前に宿に戻ろうと思い、ノートルダム寺院を後にした。