以前から気になっていたImperial War Museum Londonを訪ねた。特に何事かを主張するでも無く、20世紀以降の英国が関与した戦争の装備に関する展示がなされていた。気になっていたのは日本の扱いである。しかし、気になっていたこととはまるでちがうことに引きつけられてしまった。
昭和天皇の崩御の時、ちょうどマンチェスターで暮らしていたのだが、街で東洋人が暴漢に襲われるという事故がいくつかあったと聞いた。第二次世界大戦の時、マンチェスターの部隊がシンガポールに駐屯していた所為で、彼の地では反日意識が高いとも聞かされていた。
さらに昔、オーストラリアを旅行したとき、キャンベラの戦争記念館では日本軍によるダーウィン空襲の映像がエンドレスで流されていた。日本人のなかで、オーストラリアと戦火を交えたことがあるという事実を認識している人がどれほどいるのか知らないが、オーストラリアにとっては数少ない戦争のなかの最大の敵国が日本であったということを改めて思い知らされて衝撃を受けた。
さて、今日訪れた戦争博物館だが、英国にとっては二つの世界大戦が欧州の戦争であったという意識が強いのだと感じられた。そして、その二つの世界大戦のどちらにおいても敵国であったドイツの存在感は大きかった。博物館の建物に入ると、天井まで吹き抜けの空間があり、そこに兵器が展示してあるが、目を引くのはV2やV1とハインケルのジェット戦闘機である。その吹き抜けのなかに日本の兵器は無いが、広島に投下された原爆と同型の爆弾があり、多くの人が写真に収めていた。吹き抜け以外の場所での展示は、戦争毎に分かれている。日本のコーナーは第二次大戦の「Far East」という小間だけだった。シンガポール陥落に関することと、日本の降伏に関することが展示の中心だ。ここでもドイツに関する展示は大規模である。戦争毎の展示とは別に、ユダヤ人虐殺に関することだけを展示した部屋がいくつかあり、収容所で生き残った人々のインタビュー映像がエンドレスで流されている。
この「Holocaust」と題された一角は、やはり、あの戦争を語る上で無視することはできないであろう。私は、そもそもユダヤ人とは何者なのかということが理解できていないし、何故ユダヤ人が目の敵にされなければならなかったのかもわからない。ユダヤ人に限らず、人種差別思想が強かったとされるヒトラーが日本との同盟を結んだことも理解できない。理解できないことばかりなのだが、この一角に釘付けになってしまった。1989年の夏、ダッハウ(Dachau)の強制収容所跡を訪れた。とても天気のよい穏やかな日だった。しかし、そこで目にしたのは、人がどれほど残酷になることができるのかという残虐さのカタログのような展示だった。昔の管理棟が博物館のように使われ、囚人棟は2棟を残し跡形もなく撤去されて玉砂利が敷き詰められており、その外れに記念碑が建てられていた。ガス室と焼却炉が収められた建物は保存され展示に供されていた。説明書きによれば、理由は不明だが、ガス室がガス室として使われたことは無かったとあった。その代わり、米軍によって解放された時、この建物は死体で溢れかえっており、その写真があった。展示自体は殆ど写真で、その写真だけでは現実を想像することすらできないのだが、抜けるような青空と、そこにあったはずのおぞましい現実とが対照を成しているように感じられた。その対照の間で、記憶されなければならないはずの事実をもきれいに洗い流してしまう時間の残酷さに目眩を覚えた。今日観たユダヤ人虐殺の展示は、その19年前の記憶に比べると、より詳細な展示に見える。しかし、ここはロンドンなのである。どれほど展示を積み上げたところで、たとえ今は空虚となっていても、現実がそこにあった現場の持つ表現力にはかなわないと思った。