同僚との会話のなかで、裁判官という職業に対する形容の仕方が話題になった。個人的には裁判官と関わった経験があり、そのことを思い出した。
ライブドア事件に関し、7月25日に東京高等裁判所が堀江被告に対する一審の実刑判決を支持し、被告の控訴を棄却、被告は即日上告したと報じられた。私は堀江被告の弁護人の一人と民事訴訟裁判を戦ったことがある。私が被告で、そのヤメケン弁護士は原告側代理人の一人であった。既に判決は確定し、原告側の主張が全て退けられたが、裁判の被告というのは裁判に勝っても何も得ることはない。少なからぬ弁護士費用の負担と、自分の側の証人をお願いして回る精神的負担と、証拠集めやそのための多大な時間の負担がついて回る。それで原告の訴えを退けても、それで終わりである。負担だけが残る。しかし、そうした経験を通じ、学んだことは山のようにある。特に、裁判、さらに敷衍すれば世の中、のしくみを実体験として理解できたことは大きい。
このブログのなかにも時々書いているが、「白黒つける」という言葉がある。なるほど、最初から白かったり黒かったりするものなどないのだな、ということはこの裁判というものを経験して自分のなかに刻み込まれた認識である。
私の件では、私と原告とのやりとりのなかで言及されていた人々のなかに、自殺された方もおられるので、詳細は伏せておく。
ライブドア事件に関し、7月25日に東京高等裁判所が堀江被告に対する一審の実刑判決を支持し、被告の控訴を棄却、被告は即日上告したと報じられた。私は堀江被告の弁護人の一人と民事訴訟裁判を戦ったことがある。私が被告で、そのヤメケン弁護士は原告側代理人の一人であった。既に判決は確定し、原告側の主張が全て退けられたが、裁判の被告というのは裁判に勝っても何も得ることはない。少なからぬ弁護士費用の負担と、自分の側の証人をお願いして回る精神的負担と、証拠集めやそのための多大な時間の負担がついて回る。それで原告の訴えを退けても、それで終わりである。負担だけが残る。しかし、そうした経験を通じ、学んだことは山のようにある。特に、裁判、さらに敷衍すれば世の中、のしくみを実体験として理解できたことは大きい。
このブログのなかにも時々書いているが、「白黒つける」という言葉がある。なるほど、最初から白かったり黒かったりするものなどないのだな、ということはこの裁判というものを経験して自分のなかに刻み込まれた認識である。
私の件では、私と原告とのやりとりのなかで言及されていた人々のなかに、自殺された方もおられるので、詳細は伏せておく。