熊本熊的日常

日常生活についての雑記

親子

2008年07月30日 | Weblog
毎週子供とメールのやりとりをしている。先日、6月10日付のブログ「あの世はどこに」と同内容のことを書いて送ったら、一生懸命考えたと思しき返事をよこしてきた。中学生ともなると、伝えたいことは伝わるものだと感心しながらその返事を読んだ。

今読んでいる須賀敦子の全集のなかにも、父親とのことがしばしば登場する。必ずしも良好な関係ではなかったようだが、そもそも親との関係が良好などというのは、どこか薄っぺらな感じを受けるのは、自分にそのような関係が無いからかもしれない。その須賀の随筆のなかでも、私は「ヴェネツィアの宿」に収められている「オリエント・エクスプレス」が好きだ。

子は親に対して反発しながらも、どこか自分のなかの拠り所として親の存在を意識するものなのではないだろうか。ちょうど、船が沿岸を航海するときに灯台の光を要所要所で確認するように。しかし、やがて船は灯台の光の届かない大海へ出ていく。そして、灯台ではなく、天体を観察しながら大海原を渡るのである。それがまっとうな航海だろう。いつまでも灯台の光の見えるところをぐるぐる回っているという航海もあるだろうが、それはかえって寂しいことのように思う。